<朧夢> 2
「ここが……」
光の中へ飛び込んで、どれくらいの時間が経ったろうか。
一秒だったような気もするし、一時間くらいだった気もする。
とにかく、光から再び脱出した時、幽助たちは見知らぬ空間にいた。
「ここが蔵馬の夢の中…か」
「随分、暗ーな。しかも天気悪いし」
空…と呼ぶべきだろうか?
夢の中でそのような例えは正しくないのかも知れないが、とにかく頭上に広がる空間を見上げながら、幽助は言った。
暗黒…という言葉がぴたりと当てはまる暗い空。
それは限りなく続くようで、端は見えず、そして空の色が変わる様子も見えなかった。
変わるところといえば、時折響く遠雷によるものだけか……。
それも空が割れるような音で、正直幽助は耳を押さえたい気持ちだった。
足元も安定していない。
グラグラと揺れ、少しでもバランスを崩せば、ひっくり返りそうになる。
最も桑原なら、すぐにでも倒れるかも……一緒に来なかったことを、少しだけ悔やむ幽助だった。
「何をしている」
「え、いや何でも……それより、ナイトメア何処だよ」
「この空間の何処かにはいるはずだ。とりわけ、蔵馬が触れられたくない部分にな…」
「どういう意味だよ」
「……蔵馬が言っていただろうが。奴は悪夢を見せると。ならば、悪夢と呼ぶに相応しい過去の記憶を引きずり出してくるのが筋だ」
「あ、なるほどな。けど、何処だよ、それ。ずっと同じ景色が続いてるだけ……って、おい飛影、待てよ!」
スタスタ飛影が歩き出したので、慌てて後を追う幽助。
しかし……この端の見えぬ広い空間の何処にいるのか。
第一、ずっと同じ景色だというのに、過去の記憶も何もあるとは思えない。
……と、思っていたのだが。
歩き続けること、どのくらいかは分からない。
ここでは時間の感覚が全く見当もつかない上、景色が変わらないせいで、距離感もないためだが。
しかし、相当歩いただろう。
相手が飛影ではそれほど喋ることもなかったし(ケンカは何度かしたが)。
ぼんやりと遠くに影が見えた。
この暗がりでありながら、そこが更に暗く深い闇に覆われていることは一目で分かった。
そしてそこがあまり心地の良い場所ではないことも……。
「行くぜ」
「ああ」
迷わず、歩を進めていく幽助と飛影。
段々そのスピードは速くなり、最後には走り出していた。
闇が逃げるとは考えにくいが、それでも……いや、そんなことは全く考えていなかった。
ただ、身体が勝手に動いていた。
一秒でも早く、あそこへ行きたいと……。
闇へ飛び込んだ途端、景色が一変した。
暗いことには代わりはない。
しかしここは……。
「竹藪か? 何でこんな…」
「これが蔵馬の記憶だろう。最も辛い過去だろうな…」
「一体何が…」
「よせ! 黒鵺!」
遠くで声がした。
聞き覚えのある声……しかし、聞き慣れた声ではなかった。
お互いに顔を見合わせることもなく、そちらの方へ走り出す二人。
慣れた声でなくとも、それがだれのものかは瞬時に理解出来た。
そしてその感は外れなかった。
行き着いた先にいたのは……銀髪と同じ色の長い尾をなびかす、白装束の美妖怪。
しかし、その金色の瞳は、今まで幽助たちが見てきたそれとは大きく違っていた。
驚愕に歪み、見開かれている。
赤毛の時には時折見た……幽助は覚えていないが、飛影は知っている。
幽助が二度目に死んだ、あの時と同じ瞳……。
そしてその視線の先には……何本もの竹で串刺しにされた、一人の男がいた。
黒く長い髪と黒い翼、黒が中心の装束に藍色の瞳。
蔵馬とは対照的な印象だが、どことなく似ているような気もする。
幽助は彼が誰なのか、すぐには思い出せなかった。
それもそのはず、幽助は彼とは直接会ったことはない。
彼に化けた『誰か』は見たが、それも一瞬のことで……爆発のようなものが起こった後、蔵馬が再び名前を呼ばねば、おそらくは思い出せなかったろう。
「黒鵺ーー!!」
「!! 思いだした! 冥界の連中と戦った時の…」
「蔵馬の昔の仲間…」
飛影も同時に思いだした。
黒鵺と呼ばれた彼……。
妖狐蔵馬の仲間で…そして、蔵馬が助けられなかったことを、最も悔やんでいた男。
その彼になりすました敵…名前も忘れた冥界鬼は、蔵馬が自ら消し去った。
それでも蔵馬の心は全く晴れることはなく……嘆く彼の顔は、今でも鮮明に覚えている。
何と声をかけていいのか分からずに、思ったことをそのまま告げたが…。
辛い過去が辛い過去でなくなることはない。
心の棘が抜けることは、決してない。
それが緩和されたり、別の形になったりはしたとしても……。
何も言わずに、その場に立ちつくしている幽助と飛影。
手を出せないのは分かっていた。
これが夢である以上、助けることは出来ない。
自分たちの介入は許されない。
ここは夢なのだから……。
「俺に構わず逃げろ、蔵馬ー!!」
「お前を置いて、逃げられるか!!」
盗品らしい鏡を投げ捨て、戻ろうとする蔵馬。
しかし、その足に何かが引っかかった。
流石に転ぶことはなかったが、蔵馬はその場から進めなくなってしまっていた。
はっとし見下ろした足元、鳥の長い尾羽のようなものが絡みついていた。
そしてその周囲には羽根が数枚地面に突き刺さっている。
それが黒い光を発し、空までのびたのは直後のことだった……。
「これは!? おい、何のつもりだ!!」
「逃げろと言っているんだ!!」
「黒鵺、お前まさか!! やめろ、これをほどけ!!」
「……生きろよ、蔵馬」
カッと光が強くなったかと思うと、景色が変わった。
暗いのは変わらない……だが、そこは竹藪ではなかった。
広い平原のような場所。
丁度、先程幽助たちが歩いていたような所である。
暗がりの下で、蔵馬はぼんやり座り込んでいた。
足にはまだあの尾羽が絡まったまま……しかし、それには先程の光は微塵もない。
同時に感じていた、強い生気も感じない。
転位術を使ったから…というだけではない。
それは羽根の主の死を意味しているのだろう。
信じたくなくとも、蔵馬には分かっていた。
もう黒鵺が……この世にいないことは。
幽助たちの姿は見えていないのだろう。
ほんの数メートルしか離れていないところに立っているのに、蔵馬の瞳は自分たちを映してはいなかった。
「蔵馬の奴……救えなかったって言ってたけど…救えるわけねえじゃねえか、これじゃ…」
「理屈で考えられるなら、あいつが自分を責めたりするか」
「そうだな…」
ここまで蔵馬が落ち込んでいるのは、幽助は見たことがない。
母が死ぬかも知れないと言っていた時は、既に自分の死を覚悟で助ける手だてがあったためか、それほど気落ちはしていなかった。
飛影にしてもそうだ。
幽助が死んだ時は、悲しみよりも怒りが先立ち、死ぬ覚悟で仙水を追いかけていったのだから。
しかし……今の蔵馬は違う。
復讐したくとも、相手がここにいない。
探そうにも、おそらく今自分が何処にいるかも、はっきり分からないのだろう。
幽助には分からなかったが、飛影には分かっていた。
ここがさっきの竹藪とは全く違う場所……魔界の中でも何層も上で、そう簡単には戻れない場所。
それこそ、魔界の穴でも開けない限りは行けないであろう、複雑な空間であるということが…。
復讐も出来ない、弔いも出来ない。
何より、自分は何も出来なかった。
守れなかった、助けられなかった……それがどうしようもなかったこととは思えない。
自分は何も…黒鵺に何もしてやれなかったのだと。
その後悔が、蔵馬を押しつぶそうとしていた……。
……しばらく、幽助と飛影は何も言わずに、蔵馬を見つめていた。
声をかけることも出来ず…いや声をかけたところで無駄だが、例え声が聞こえたとしても、かけてやれることなど出来なかった。
幽助も桑原を助けられなかった…と思った過去がある。
だが、あれとは少し違う気がする。
桑原が本当は生きていた…ということもあるだろうが。
今、蔵馬は独りなのだ。
幽助には他に守るべき仲間…そして支えてくれる仲間がいた。
それが崩れかけた心を支えていた。
まだ倒れるわけにはいかない。
その精神が幽助を戦わせたのだ。
だが、蔵馬は違う。
この広い魔界に、彼は今……独り。
その孤独感が余計に辛さを強め、彼の後悔を強めてしまっている。
そんな彼に声をかけることなど……。
いつしか顔もそらしていた。
見ていられなかった。
何も出来ないのは……何もしてやれないのは、自分も同じ。
今の蔵馬を見ていると、その気持ちがよく分かる。
非力で無力な自分というのが、どれほど辛いものなのかが……。
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