<朧夢> 3
「……おい」
「何だ…」
「……あそこにいるモノ。何に見える」
「どれだ……」
飛影の言葉に、ふっと顔を上げる幽助。
また何か蔵馬の辛い過去の続きでもあったのかと思ったが……しかし、飛影の顔はそういったものを見ている風ではなかった。
むしろ何か忌むべき存在を見ているような……。
視線を追ってみると、それは蔵馬へ向かっていた。
正確には俯く蔵馬の背後にいる、何かに……。
「あれ…何だ? 白い…炎みてえだけど」
「炎は実態ではない。中に何かいる……」
「見えねえのか?」
「邪眼が使えんからな……だが、あれは記憶ではない。別の気配がする」
「……!! ナイトメア!!」
叫ぶが早いか、幽助は走り出した。
飛影も遅れず飛び出す。
やはり蔵馬には二人が見えていないが、しかし白い炎らしいモノには見えていた。
記憶の夢の世界で、夢以外のモノが見えている……となれば、答えは一つ。
蔵馬の悪夢に巣くった悪魔・ナイトメアに間違いない!!
必死の形相で向かってくる幽助たちが怖かったのか……いや、正しい見解と判断だろうが、ナイトメアは逃げ出した。
もちろん幽助たちが追いかけないわけがない。
ナイトメアは走るが、幽助たちの方がスピードは上。
夢は奴の領域だとコエンマは言っていたが、しかし元の腕が上では話にならない。
そうでなくても、今幽助たちの怒りは絶頂を極めているのだ。
眠り続けている蔵馬が、こんな記憶を引きずり出されているのかと思うと、激怒せずにはいられない。
辛い記憶を忘れろとは言わないし、忘れることなど出来ないだろう。
しかし、それは本人の問題であって、赤の他人が引っかき回していいモノではないのだ……。
「待ちやがれー!!」
「殺す!!」
必死に逃げるナイトメアと、それを追いかけ続ける幽助たち。
いつの間にか、あの記憶からは抜けだし、最初にたどり着いたあの暗雲の続く空間へ戻ってきていたが、それにも気がつかなかった。
しかし変わりない景色が続く中……ふいに前方が暗くなれば、いくら何でも気がつくだろう。
「あいつ! 別の過去の夢に逃げようってのか!?」
「マズイぞ。夢によっては、見失うかもしれん!!」
夢によっては……その意味を幽助は理解出来なかったが、入り組んでいたりしたら…という意味だととり、あえて聞かなかった。
飛影としては、自分たちが関わるような過去で…例えば自分が刺してしまったこととか、寝言を聞かれたこととか、とにかくあんまり自分自身が思い出したくないような過去だったら、という意味だったのだが。
その考え方の違いだろうか。
夢に飛び込もうとした直前、ナイトメアの足を捕まえたのは、飛影の方だった。
そのまま地面に思い切り殴りつけると、一瞬で白い炎が消え、正体をあらわにした。
白い馬だった。
蔵馬が言っていたとおり、雌の馬で……しかし、思っていたよりもずっと小さかった。
炎のせいで大きく見えていただけらしい。
どう見ても、まだ子馬だった。
そのせいか幽助は一瞬攻撃するのをためらい、躊躇してしまった。
飛影は暴れるナイトメアを押さえ込むのが精一杯で攻撃にまでは、手が回らないらしい。
片手で押さえられるほど、弱小でもないし、こちらは妖力が使えないのだから。
幽助に早く攻撃しろと言わんばかりに、睨みをきかす飛影。
いくら子馬であっても、許すわけにはいかない。
こいつが蔵馬に悪夢を見せていたのだから……。
「この馬野郎!! 覚悟しやがれー!!!」
「幽助、飛影。何してるのさ」
ふいに声がした。
二人の背後……暗闇の方ではなく、彼らが来た方向から。
一瞬硬直した後、振り返った。
そこに立っていたのは……。
長い赤の髪に、緑色の穏やかな瞳を持つ少年。
いつもと変わらぬ姿がそこにはあった。
だが、何故彼がここに……いや、ここは彼の夢の中。
いても不思議はない。
しかし彼は今、ナイトメアのせいで深い眠りに落ちているはず……。
「蔵馬…おめえ…」
「とりあえずその馬、こっちにくれる?」
「あ、ああ…」
何が何だか分からないが、とりあえず馬を引き渡す飛影。
馬はまだ暴れていたが、蔵馬がそのたてがみに触れた途端、大人しくなった。
同時に周囲の景色が一変する。
暗黒の空が晴れ渡る清々しい快晴に代わり、遠雷は風のそよぐ音へ。
揺れる大地は赤い花の咲き乱れる美しい花畑へと変貌した。
あまりの変わりように、唖然呆然の幽助たち。
はっとして再び蔵馬の顔を見たが、彼は相変わらず笑顔でいた。
「……蔵馬」
「何?」
「おめえ…大丈夫なのか?」
「ナイトメアに取り憑かれてるのにって?」
「あ、ああ…」
「もう平気さ。ナイトメアに触れた時点で、夢は取り返したからね。こいつは無力だよ」
ニコッと笑顔で言いながら、足元でうずくまっている白い子馬を撫でる蔵馬。
子馬の方は少しおどおどとしていたが、しかし不安は感じていないようだった。
蔵馬の笑顔がそうさせるのか……だが、その分幽助が顔をこわばらせると、少し怯えたように、彼の後ろへ隠れた。
「おい、蔵馬。そいつ…ナイトメアで間違いないんだよな?」
「ええ、そうですが」
「だったら何で庇うんだよ!! そいつ敵だろ!! おめえの悪夢ひっぱりだしてきて!! 大体なんでてめえここにいるんだ!! 取り憑かれてたんじゃなかったのか!?」
「そんな一変に言われても……」
「一つずつでいい。答えろ」
飛影も不満を露わに、眉間をピクピクさせていた。
散々色々考え込まされた上に、散々走らされて、やっと捕まえたと思ったら、取り憑かれていた張本人が敵を庇うのだ。
納得のいかない理由だったら、一発殴ってやろう……後でどれだけからかわれる結果になっても、そうすることだけは心に決めていた。
「じゃあ一個ずつ言うとしようかな……確かに取り憑かれはしたけどね。取り憑かれる直前に、一部だけ精神を夢から切り離したんだよ。まあ幽体離脱の応用みたいなものかな。その後で改めて入り込んできて、探していたんだけど。幽助たちが捕まえてくれて、探す手間がはぶけてよかったよ」
「……」
これは特に疑うこともないし、怒ることもなさそうである。
幽助を投げ飛ばした直後のあの一瞬でそれだけやってのけるとは、流石というしかない。
ただそれだけである。
問題は、残りの質問……。
「それとね。ナイトメアのことだけど、別に俺はこいつを庇ってはいないよ。夢は返してもらったしね」
「夢、返してもらったらいいってのかよ!?」
「そいつは殺す。次に誰に取り憑くとも限らんからな…」
メラメラと背後で真っ赤な炎を燃やしまくる幽助と飛影。
その様子にナイトメアは更に怯えたように、身体を縮こませ、蔵馬の背後にぴったりとくっついた。
蔵馬はそれを落ち着かせるように、ぽんぽんっと頭を叩いて、二人を見つめた。
「二人とも殺気立ってるみたいだけど、とりあえず落ち着いて聞いて欲しい。ナイトメアにも色々あるんだ。こいつは一般的に人間界で言われている『ナイトメア』ではない。こいつは悪夢を引きずり出すタイプじゃなくて、悪夢を喰らうタイプなんだ」
「……だから、なんだ」
蔵馬の言っている意味がよく分からず、睨みをきかせたまま言う飛影。
一方、幽助の方は、ちんぷんかんぷんなことを言われたためか、はたまた時間経過と共に怒りが冷めてきたのか……いつものケロッとした顔になり、頭をかいていた。
それを見て、少しだけ蔵馬の後ろから顔をのぞかせるナイトメア。
しかし、飛影が視線を僅かに送っただけで、また隠れてしまった。
「飛影。そんなに怖い顔しないでよ」
「五月蠅い。この顔は元々だ」
「そうだろうけど、怖いよ」
バカにしているのか、フォローのつもりなのか……本当にいつもの蔵馬である。
飛影が苛立ち紛れに口を開こうとする前に、先程の話を続けた。
「つまりね。こいつには、『忘れたい記憶を忘れさせる能力』があるってことさ。そのためには一時的に、その人の夢全てを手に入れ、悪夢を探す必要がある。必然的に夢の中は暗くなるが、悪夢を食べたら、元に戻るからね。最終的に害はないよ。こいつに悪気は全くない。酷い悪夢を持っている人に本能的に入り込むだけだから」
「ひなげしが悪夢見てたってのか??」
呆気にとられる幽助。
明るく天真爛漫で、少しドジだが、立ち直りも早いひなげしが、一体どういう悪夢を見たというのか……。
蔵馬なら分かる。
幽助を庇ったといっても、他の者に取り憑かず、蔵馬に入り込んだのも、彼の悪夢を見れば、一目瞭然……だが、ひなげしにはそんなに悔やむ過去があったろうか?
冥界事件の時は色々あったが、結果オーライという結末に至ったのだし…。
しかし、蔵馬には心当たりがあったらしい。
少し困ったように言った。
「実は昨日、ぼたんに会ってね。ひなげしとケンカしたって言うんだよ。酷いことを言ったと言っていた……それが原因だろうね。ついでにぼたんが寝込んだのも、それがあったせいだよ。謝りに行ったのに、ナイトメアに取り憑かれていたんだから」
「……」
それで分かった。
ぼたんが寝込んだという話をした時の蔵馬の表情。
いつもに増して考え込んでいたのは、ぼたんとひなげしのケンカを知っていたせいだったのだ。
しかし、ということは蔵馬は、このナイトメアが悪夢を喰うタイプだと気付いていたということになるが……それを聞く前に、蔵馬は話を最終段階へ持って行ってしまった。
「こいつは悪い妖怪ではない。辛い記憶を忘れたい人だっている。決して悪いことではないさ。処分する必要はない。それにまだ子供だしね」
「……じゃあ、どうすんだよ、そいつ。ガキなんだったら、ほっぽりだすのもマズいんじゃねえのか?」
これは決して悪い意味で言ったわけではない。
幽助も何となく、このナイトメアが悪い妖怪ではないことは分かった。
だからもう殺すつもりはない。
飛影にもなかった。
ここまで来て攻撃しては、後味がとても悪くなりそうである…。
しかし、だからといって放すのは危険だろう。
まだ子供となっては、誰の悪夢に入り込んで、勝手に悪夢を食べてしまうか分からない。
悪夢を忘れたくない人だって、中にはいるだろう。
そう例えば……。
「魔界に連れて行くのか? 誰か育て親探すか?」
「いや、コエンマに引き取ってもらえばいいだろう。こいつの悪夢を食べる行為は、霊界捜査部でよく使われる記憶抹消の術とほぼ同じだ。まあ、霊界の者がそれを行うには、莫大なエネルギーがいるけどね。その点こいつがいれば、簡単に出来るようになる。しつけさえすれば、コエンマにも願ったり叶ったりだよ……というより、最初からそれが目的だったんだと思うけどね」
「……え」
ぴしっと硬直する幽助。
今、彼は何と言ったか……幽助がゆっくりと数秒前のことを思い出す前に、蔵馬は淡々と続けた。
「危害を加えるナイトメアと悪夢を喰らうナイトメアの区別を、コエンマがつけていなかったとは考えにくいだろう? ひなげしに取り憑いた時点で、ある程度の検査はしているはずだ。第一、本当に処分したいだけなら、わざわざ俺たちのところに来ると思う? 被害者は霊界の人なんだよ? 俺たちは霊界の一大事なんかでない限り、人間界のことしか押しつけられてこなかったはずだけど?」
「……」
蔵馬の言葉に、はっとし、過去に押しつけられた事件を思いだしていく幽助。
コエンマの誘拐事件はまた別格だろうが、確かにそうである。
今までやってきたのは、魔界の雑魚が人間界で盗み食いしたとか、自然発生した低級妖怪が暴れているとか(といっても、せいぜいが不良とのケンカだが)、コエンマが人間界で起こした尻ぬぐいだとか……とりあえず、人間界で起きたことばかり。
しかし、ひなげしは別に今人間界にいるわけではなく、霊界にいるのだ。
冥界の一件で、過去の失敗を解消され、また元通り霊界案内人として活動している。
そのひなげしが取り憑かれたという事件が幽助たちのところへ持ってこられるとは考えにくい。
ただでさえ、幽助は魔族になってから、一部の者をのぞいて、霊界人には嫌われて怖がられているのだから……。
「……おい、ってことはつまり…」
「霊界でそういうことを担当しているのは、霊界除霊部っていうらしいけど。間違いなく、始末だろうからね。穏便になおかつ正確に手に入れるには、俺たちが最適だったんでしょ。幽助に、まだ幼い子馬の妖怪を殺せるとは思わなかった、だから連れてきたんだよ。霊力でひなげしから追い出せなかった場合、夢に入り込んでくれそうなのも、幽助くらいだろうからね」
「…け、けどコエンマの奴、蔵馬の夢に入るって時、ナイトメアが夢では強いとか何とか…」
「それは嘘じゃないよ。現に君たちが追いつくのも苦労するくらい、速かったでしょ? ま、逃げられたら困るから、言ったんだろうね」
「コ、コエンマのやろー!!!」
「なあ、蔵馬」
「はい?」
蔵馬の夢から現実へ戻るため……光る出口へやってきた時、幽助は後ろから見送りに来てくれていた彼を振り返った。
腕にはナイトメアをしっかりと抱えている。
飛影のことは、やはりまだ怖がっていたので、幽助が適任だという蔵馬の提案だった。
最も、幽助には悪夢ほどの過去がないせいとも言うかも知れないが……(多分ない、と思う)。
「お前……最初から知ってたのか? こいつが悪夢を喰う方だって」
「そうではないかなと思っていたけど、確証はなかったよ。俺に飛びかかってきた時に、確信した。だから、精神を切り離したんだけどね。悪夢を食べられても困るし」
「……忘れたいとか思わなかったのか?」
きっと、思っていない。
それは分かっていたが、何となく聞いてしまった。
聞いてから、少しだけ言ってはいけなかったかと思ったが……しかし、蔵馬は気を悪くした様子もなく、笑っていた。
首を軽く横に振って言った。
「俺は忘れたいとは思わないよ。例え悪夢でも、忘れたくはない。俺にとっては必要な夢だからね……」
「そっか。じゃな、俺たちが出たら、目覚めるんだろ?」
「ええ、じゃあまた後で」
「おう。行こうぜ、飛影! …って、おい! てめえ、人の話聞けー!」
幽助の言葉よりも先に、飛影は光の中へ飛び込んでいた。
無視されたような気がして、むっとしながら、後を追う幽助。
その直前、最後に夢の中の蔵馬を振り返った。
ここでの出来事を、目覚めた蔵馬が覚えているかどうかは、本人にもよく分からないらしい。
起きた時に、いちおう聞いてみてほしいとは言っていたが……もし、第一声が覚えていないような雰囲気であれば、聞かないでおこうと幽助は決めていた。
どちらでもいいだろう。
絶対に覚えていなければならない夢ではないと思う。
とりわけて良い夢でもないし、まして悪夢でもない。
彼が永遠に覚えていたい、失いたくない夢。
例え、朧気であっても、覚えていたい夢。
二度と還れない、戻れない夢でも…。
悪夢であっても、彼にとってはかけがえのない……あの夢とは違うのだから。
その後、蔵馬の夢から戻った幽助たちによって、コエンマがボロボロにされたことは言うまでもなく、ナイトメアも彼の手には渡らず、魔界で幽助たちが里親を捜したことは言うまでもない……。
終
〜作者の戯れ言〜
えっと……何か微妙ですが。
蔵馬さんにとって、悪夢ってあれしかないと思うんですよね。
黒鵺さんが死んだ時のしか……。
でも悪夢であるから、はっきりとは覚えてなくて、朧気で…。
だから、傀麒にもつけ込まれたんだと思います。
黄泉とのことも悪夢には違いないだろうけど、名前出された途端に焦っていたところを見ると、あの件に関しては全部はっきり覚えているんでしょうし。
目の前で大事な友達殺されたなんて……悪夢でしかないですよね。
はっきりと明確に覚えているのも怖いくらい……。
でも忘れたくはないと思います。
過去に心の傷を持たない人なんかいないですから……(by飛影くん)。
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