<BLACK RAINBOW> 1
七月末。
霊界特別防衛隊は、再び人間界へ赴いた。
彼らが人間界へ来るなど、滅多にないこと……それがこの年は、異例中の異例とも言うべき、四回目だった。
一度目は、魔族として蘇った浦飯幽助の抹殺(正確に言えば、蘇る前に抹殺する予定だった)。
以降も浦飯幽助の抹殺は何度か試みられようとしたが、しかし肝心の実行役が見つからず、先延ばしされていたところ、魔界から彼を招待したいという申し出があった。
表向きは、人間界において最重要危険人物となるであろう魔族を、効率よく抹消出来るという名目で。
霊界の長・閻魔大王はこれに同意し、浦飯幽助を魔界へ送り届けることにした。
そのために徴集されたのが特防隊であり、これが二度目だった。
三度目も同じく、邪眼師・飛影を魔界へ送り届けるため……。
この二人は人間界において、まだ大した悪事は行っていないが(せいぜいが盗みかケンカ程度である)、強大な力を持った以上、何を起こすか分からない。
早々に始末したかった閻魔大王にとって、魔界からの招待は願ってもないチャンスだったのだろう。
そして……この四度目も同じだった。
今回送り届けるのは、妖狐蔵馬。
ある意味、彼は浦飯幽助や飛影よりも、危険と思われていた。
人間となってからは、コエンマよりの指令での妖怪殺し以外は大したことはしていない。
むしろ人間界や霊界にとって、厄介な妖怪を倒してきてくれていた。
最も本人は霊界など、眼中になかったろうが……。
しかし彼は昔、魔界でその名を知らぬ者はいないと言われたほどの大悪党。
いや、今でも名を知らぬ者はいないだろう。
極悪非道の盗賊妖怪、妖狐蔵馬。
生きた伝説であり、死して尚人間界で生き延び、そして更にその名を世に知らしめた。
彼の場合は、普通の人間界での生活も気に入っているようなので、浦飯幽助や飛影のように長期滞在(あるいは永住)の予定ではないという噂もあるが、とにかく一度魔界へ行ってもらっていて、その間に出来る限り対策を立てたい。
それが閻魔大王の浅はかな考えだったが、特防隊に口出しすることは出来なかった……。
その夜。
とあるビルの屋上で、魔界の穴が開けられようとしていた。
それを見ながら、夜風になびく紅い髪を抑え、佇む妖狐蔵馬。
茶色のジャケットの下に青いシャツ、白い清潔そうなズボンをはき、狐のキーホルダーがついた小さなリュックサックを背負っていた。
少し離れたところには桑原やぼたんなど、僅かな見送りが来ている。
彼らとも時折僅かながら言葉を交わしていたが、大概彼は一人でぼんやりと開きかけた魔界の穴を見上げていた。
と、ふいに一人の隊員が蔵馬に歩み寄った。
気配を絶つのが得意な蔵馬である、当然誰かが歩み寄ってきていても、相当他のことに気を取られていない限りは気付くだろう。
(少し前、邪眼師・飛影にいきなり話しかけられて驚いたというのは、秘密である)
ふうっとため息をついてから、振り返る蔵馬。
表情は特に変わらない。
しかし、少し考えるような面持ちになり、それから問いかけるように言った。
「舜潤……だったか?」
「ああ。よく覚えていたな」
「あんなことがあれば、ね」
意味ありげに言う蔵馬。
舜潤と呼ばれた隊員は、気を悪くした風でもなく、「そうだな」と言って、蔵馬の横に立った。
しばらく沈黙が続いた。
どちらも話さず、ただ広がっていく魔界の穴を見つめている。
舜潤は話したいことでもあって近づいたのではないのだろうか?
「そういえば」
話を再開したのは、意外にも蔵馬の方だった。
舜潤は何気なく蔵馬の方を見る。
すると蔵馬は小悪魔的な笑みを浮かべながら言った。
「前の隊長は失脚か?」
「辞任だ、辞任」
ため息をつき、少し苛立ちながら言う舜潤。
前の隊長・大竹は、浦飯幽助の抹殺に失敗した責任を取って辞任している。
それによって何が変わるというわけでもないが……。
そして今の隊長はこの舜潤だった。
しかし、寿命の長い霊界人いえど、舜潤はそれほど年は経ていないはずである。
現に大竹と比べても、彼はかなり若かった。
だがよくよく見てみると、他の隊員は更に若い。
若干、舜潤よりも年上に見える者もいるが、それはその者が老けてみえるだけで、実際舜潤は現隊員の中で最年長、そして経歴としても一番長いのだ。
特防隊の引退が普通の職よりも早く、対象年齢が低いというのならば、まだ分かるが、大竹が現役でしかも隊長を務めていたのだ。
つまり、特防隊はそれなりに年を経ても、実力さえあればやっていけるのである。
それなのに、何故今は年若い者たちしかいないのだろうか……?
それについて、蔵馬は別段不思議がってはいなかった。
見かけは若くとも、彼ほど長寿で情報に富んでいる者ならば、不信に思うだろうに……。
だが、彼は微塵も不可思議には思わず、他の隊員を見やりながら世間話程度に、舜潤に言った。
「特防隊も随分と変わったな。若い奴らばかりだ」
「ほとんどお前に殺されたからな」
「お互い様だ。俺は貴様に殺された……」
そう言って、再び魔界の穴を見た。
その横顔を見て、舜潤は思い出していた。
あの日のことを……。
今から十八年ほど前。
霊界では少し前から行われていた協議に、判決が降りようとされていた。
協議内容は近年、魔界のうち霊界が管理している最上層部や人間界へ進出してきている妖怪の処分。
今のところは目立った悪事を働いてはいないが、相手が相手だけに、霊界も警戒せざるを得なかったのだ。
妖怪の名は……蔵馬。
南野秀一になる直前の妖狐蔵馬だった。
そして降りた判決は、実に簡単明瞭。
『抹殺』
元からそれ以外は誰も考えなかったろう。
霊界にとって、強力かつ頭のいい妖怪は最も危険な部類にある。
いくら強くても、ある程度馬鹿ならば、事が起こった後でも対処のしようがあるが、頭脳明晰で冷静沈着な彼は、事が起こった後では遅すぎるとの判決だった。
それに異論を唱える者はなく、早速作戦会議が執り行われ、特防隊が出動することになった。
例え相手が一人でも、油断は禁物。
全員で抹殺に当たることになり、当時特防隊になってからまだ日の浅かった舜潤も行くことになった。
つまり彼は十八年前、新米だったのである。
霊界にとって十八年など、極々微量の時間。
たったの十八年で、今は隊長……それはエリート中のエリートコースであった。
もちろん、それなりの…いや、大きな理由があったのだが……。
……あの時、命令を告げられた時の舜潤の興奮は、おそらく他の隊員の数倍は高まっていた。
特防隊になってから数年。
霊界の軍でもエリートコースに乗って、順風満帆な出世をしてきたというのに、憧れていた職場は『ヒマ』の一言に片づけられた。
その名の通り、特別な時にしか出動しない上、例え出動したとしても、小物妖怪ばかり。
もちろん人間界においては強者とされるB級以上には違いないが、それでも期待外れでしかなかった。
強力な霊気弾を発射することもなく、素手での勝負で充分。
もっと興奮する戦いを、もっと燃える戦いを求めていた舜潤にとって、特防隊としての生活は落胆以外の何物でもなかったのだ……。
そんな折りにこの仕事である。
妖狐蔵馬といえば、A級首のA級妖怪。
このチャンスを逃してなるものか。
そう意気込んで、舜潤は出動の日を待った。
が……、
運悪く前科持ちの極悪妖怪(といってもB級程度だったが)が現れたとの情報が入ったのだ。
新人である以上、「妖狐蔵馬の抹殺に行きたい」と言っても、聞き入れてもらえるはずがない。
やむなく当時は隊員だった大竹と二人でそちらへ向かった。
幸い、大した敵ではなく、あっさりと片づいたのだが……。
舜潤の心の内は不満でいっぱいだった。
こんなことがあっていいのだろうか?
せっかく、思う存分実力を発揮出来る戦いが待っていたというのに、こんな雑魚妖怪のせいで…。
逆らえないことは分かっていても、このやるせない気持ちはどうにもならなかった……。
がっくりと肩を落とす舜潤を尻目に、大竹はそのまま引き上げた。
先輩だけあって、妖怪処分の書類などの提出もあったためである。
だが、舜潤は帰る気になれなかった。
本来ならば、このまま帰らねばならない。
そうしなくては、条例違反である。
しかし、それでも……。
妖狐蔵馬。
伝説の極悪盗賊。
その眼は氷のように冷たく、その髪は氷河のように光りを放つ銀色だと聞いている。
植物を操る技はまさに神技そのもので、悪魔と神の間を行き交うがごとく妖怪だという…。
噂が噂を呼び、尾ひれがつきまくっているとの噂もあるが……。
だからこそ、自分の目で見てみたい。
出来ることならば、捕らえてみたい。
その願望は消えなかった。
この際、首になってもいい。
妖狐蔵馬を捕らえることが出来れば、それも本望である。
例え今の身分を捨ててもいい。
エリートコースから外れて、血の池のドブさらいでもいいだろう。
どうせ、ヒマだったのだから、低レベルでも忙しい仕事につくのも悪くはない。
舜潤は決心を固めた。
妖狐蔵馬。
絶対にこの手で捕らえてみせる。
条例違反だと分かりつつ、彼は魔界へと走った……。
そこは……正に地獄絵図だった。
当時の隊長や先輩に当たる隊員たち七人……全員倒れていた。
倒れていただけではない。
もはや息は完全に止まっていた。
近くに魂は見られない。
ということは、霊界に向かったのだろう。
いつの間にすれ違ったのだろうか?
興奮していて見逃したのだろうか?
いや、そんなことよりも……。
霊界で最強の部隊である霊界特別防衛隊。
その彼らが今、目の前で血みどろになり、ボロボロになり……。
頭が吹っ飛んでいる者もいれば、胃腸がはみ出している者もいる。
五体がバラバラになっている者も数人おり、ゴロゴロと辺りに転がり、誰が誰のものかも分からなくなっていた。
一体誰が……こんなむごいことを……。
思わず、吐きそうになるのを抑え、舜潤は顔をそらした。
と、振り返った方向に何か動く者の姿がある。
ショックで薄れていた眼をこすり、視界を回復させる。
そこにいたのは……ずるずると足を引きずっている一匹の狐だった。
あちこちが紅くそまっている銀色の毛。
疲れが見えるが、冷たい眼。
瀕死の重傷なのは一目で分かった。
そしてそれが誰なのかも……。
「妖狐…蔵馬……」
思わず声に出してしまった。
はっとそれに気づき、狐が振り返り、そして走り出した。
痛めたか折れたか知らないが、後ろ足を引きずりながらも……。
慌てて舜潤は走り出した。
無意識のうちに腰のホルスターに差し込んであった銃を取る。
これは自分の霊気を弾丸にして打ち出すもので、後に浦飯幽助が武器とする霊丸によく似ている。
しかし、霊丸と違うところは、弾がとても小さく、そして威力もその分倍増するということ……。
舜潤は特防隊の中でも群を抜いて射撃が上手かった。
狙った獲物は決して逃がさない。
まして深手を負っている相手ならば、外すはずがなかった……。
ズダンッ!! ズドンッ!!
「ギャンッ!!」
狐が悲鳴を上げた。
銃から飛び出した二発の弾丸は、明確に急所を貫いた。
撃たれた狐は、弾みで少し跳ね上がり、そして地面に落ちた。
しばらくピクピク震えていたが、すぐに止まった……。
カシャンッ…
舜潤の手から銃が落ちた。
同時に身体の力がどっと抜ける……。
やった……。
そう思ったのは、遠くから大竹の声が聞こえてきてからだった。
それまではずっと放心状態で……。
だから気がつかなかった。
撃たれた瞬間、地面に落ちる前に……。
狐の肉体から霊体が逃げ出していたなど……。
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