<純-PURE-> 1

 

 

「僕は……どうすればいいんだ?」

そう御手洗くんが聞いた時、正直俺は一瞬言葉に詰まってしまった。
その時の彼の瞳が……あまりに、似ていたから。
いや、実際俺はあの瞳を見られないはずなんだが。
何故か似ている気がした。

あの頃の……俺と……。

 

 

あれは俺がまだ子供だった頃。
……といっても、南野秀一での話だから、10年と少し前か。
確か3〜4歳くらいの頃だ。
ハンターに追われ、人間界に来て、南野志保利という人間に乗り移り、その子供となって、まだ間もない頃。

俺には『妖狐』としての記憶はなかった。

当然だ。
妖力も尽きかけていたというのに、記憶など維持していられる余裕などあるはずがない。
生きるだけで精一杯の状況で、どうやって『妖狐』のことを覚えていられるだろう?

 

今になってみれば、何となく思い出せる。
あの時のことは……。

母さんに乗り移った途端、記憶や意識がぼんやりと薄れていった。
『妖狐』として盗賊をしていたこと、黄泉という部下を裏切ったこと、黒鵺という親友を失ったこと、ハンターに追われ深手を負わされたことも…。
襲いかかる銃弾、舞い上がる銀の毛、噴き出す血、飛び散る肉塊、崩壊した身体……。
その全てが、段々と闇に溶け居るように…。

しかし、無防備な赤ん坊として生まれるはめになることは、かなり歯がゆく感じていたと思う。
例えそれが自業自得のことだと分かっていても……。

 

 

それから数ヶ月後、俺は生まれた。
赤ん坊の頃の記憶は今でもあまりはっきりしない。
せいぜい、赤ん坊の俺を母さんが抱いていて、傍らに父さんがいたことくらいだ。

人間は皆そうだと言う。
大体3歳くらいからの記憶しかないと…。
だから、その辺りのことがあまり思い出せないのは、正常なのだろう。
といっても、かすかにでも覚えている時点で正常ではないかもな。

 

そして明確に覚えている記憶は、やはり他の人間と同じように3歳くらいの頃からだ。

はっきりとした一番古い記憶。
母さんと歩いている俺。
近所の公園か何処かだろう。
時折、俺が走り出しては、母さんの腕を引っ張る。
この頃既に父さんはいなくて、母さんは働いていて……あまり遊べなかった俺は、時折こんなことがあると心底喜んでいた。

俺にとって、母子家庭で働いている母さんとあまり遊べないのは、至極当たり前のことで、そのことで文句を言わないことも当たり前のことだった。
しかし、後で考えてみれば、それは『当たり前』ではなかったらしい。
保育所の保母たちが口々に母さんに言っていたのは、今でも覚えている。

「秀一くんって、本当に聞き分けの良い子ね」
「ワガママ言わないし、喚いたりしないし。秀一くんといると、他の子たちがすごく小さく見えちゃうの」

最近、園児が増えてきたらしいこの保育所では、俺のように聞き分けの良い、手のかからない子は割りと好かれていたらしい。
これが園児の数が少なければ、また別だったのかもしれないが、とりあえず俺や母さんの評判は悪くなかった。
それを聞いて、羨ましがる親も少なくなかった。
育児疲れが目に見えている母親たちは、当たり前のように訪れる反抗期に頭を抱えていたらしいから…。
そういう意味では、反抗期らしい反抗期のない俺は羨ましい対象だったのかもしれない。

 

だが、母さんはそう羨ましがられる度に、少し困ったような笑顔で、

「本当に聞き分けの良すぎる子で…」

と、言っていた。
当時の俺にはよく分からなかった。
自分では聞き分けをよくしているつもりはなかったから…。

多分母さんは、もう少し俺にワガママを言ってほしかったんだと思う。
男の俺には理解出来ない部分もあるが、母親にとって子供というものは、聞き分けが良いとか、成績が良いとかで測れるものではないらしいのだ。
色んなことを言って、時には手を焼かせてほしいというのが母性本能らしい。
今になって思っても仕方ないことだけど……。

 

ただ、その頃から何となく思っていた。

俺は他の子たちとは、何処か……何かが違うと。

 

 

 

それが分かったのは、あの時だ。
いつものように保育所の庭で、他の子供たちと遊んでいた時……。

急に他の子供たちが倒れた。
次々にバタバタと倒れていく光景に驚き、俺は慌てて保母たちを呼びに建物へ戻った。
珍しい俺の慌てように、保母たちも異変を感じ取ったのだろう。
俺には建物内にいるよう言って、庭へ走った。

が、その走り出た保母たちまでもが倒れたのだ。
建物内に残った保母たちは、中から見える庭の様子に泣き喚く子供をなだめるので手一杯といった風だった。
しかしそのうち、建物内にいる子供や保母たちまで倒れだし……。

ついには俺以外の全員が倒れてしまったのだ。

混乱しつつも混乱仕切れないのも、はっきりいって異常だろうが、そんなことを考えている余裕はなかった。
適当に側にいた保母や子供を揺さぶってみるが、誰も起きない。
眼を見開いたまま、ぴくりとも動かなかった。

まだ3〜4歳程度では、『死』という感覚はまだなく、ただ倒れたということしか分からなかった。
ここで救急車を呼ぶということまで考えつかなかったのは、後になって思えばいいことだったと思う。
救急車など呼んでいれば、隊員たちも倒れていただろうから……。

 

「どうなって……」

呆然としながら、ふらふらと外へ出て行くと、砂場の辺りに見知らぬ男2人が立っていた。
形的には人間っぽいが、角やら尖った耳やら、コウモリのようなツバサやら……とりあえず『変』だった。
まだ妖怪とか幽霊とかそういうものを噂ですら知らない頃だから、恐怖心などはなく、変な人たちがいるとしか思っていなかった。
男たちは嗤いながら倒れた子供や保母たちを見て回っていたが、ふと自分たちを見ている俺に気付いたらしい。

「おい。まだ一人いるぜ」
「あ? マジかよ。全員分盗ったと思ったのによ……ん? あんだ、こいつ妖怪だぜ」
「そういえば、微弱だが妖気が……だが、何でこんなところにいるんだ? 園児の格好だぜ、このガキ」
「半妖怪か? それにしては妖気の質が…」

わやわや言っている男たちの声は、俺にはよく分からなかった。
妖怪だの妖気だの言われても、まだそんなことを理解出来る年ではなかったし、第一それが自分について言われているとすれば尚更だ…。

 

「よう…かい。ようかいって、何?」
「ああ? こいつ自分が妖怪だって、分かってねえのか?」
「んじゃ、楽勝だな。妖気も使えねえだろうし。どうする? お前、やるか?」
「俺に任せとけ」

男の一人が俺に歩み寄ってきた。
何をされるのか全く分からなかったが……何となく嫌な予感がした。
本能的に逃げた。

しかし、子供の足だ。
あっさり追いつかれ、片手で首根っこをもたれて、持ち上げられた。
瞬時に方向転換され、開いている方の手で首をつかまれた。
つかまれただけではなく、そのまま締め上げられた。

 

記憶にある限り、生まれて初めて『苦しい』という感情を覚えた。
息が出来ないというのも初めてだった。
プールで泳いだことくらいはあるが、強制的な呼吸困難などこれが初めてだったから……。

「(……く、く…る……し…い……)」
「おらよ。見られた以上は、生かしておけねえからな!」
「妖怪の魂は不味くて食えねえからな。そのままやっちまえ」
「言われなくともやるに決まってらあ!! 弱いヤツを殺すのは、俺の趣味だしな!」
「……!!」

 

 

『殺す』

 

その言葉に俺は硬直してしまった。
怖かったわけではない。
もはや恐怖の域を超えていたのかもしれないが、それだけではない。

『殺す』など、保育園児が日常で聞く言葉ではない。
なのに俺は……知っていた。
その意味を、はっきりと。

そして、知っていただけでなく、とても身近な存在のように思えた。

それを思った途端、走馬燈のように『妖狐』の記憶が脳裏を駆けめぐった。
『妖狐』として生きてきた全て、盗賊としての仕事、『殺し』てきた連中、裏切った奴等、失った者、失った身体、今に至る経歴。
そして、自分自身の正体を……。

 

 

「あ…あ……ああ……」

「ん? 何だこいつ、変な声出しやがって」
「恐怖で凍り付いたんだろ。さっさとやれよ。人が来るぜ」
「そうだな。んじゃ、そろそろトドメを刺すとするかっ……」

 

「うわあああああっ!!!」