<Fake> 2

 

 

蔵馬が魔界へ行ってから、一ヶ月弱が過ぎた。

季節は八月の終わり。
照りつける太陽による残暑が厳しい毎日だが、受験生である桑原には関係のないこと。
毎日毎日、机に向かって、ひたすら勉強。
幽助との賭もあるし、絶対に主席合格せねばならない桑原にとって、この夏は勝負所なのである。

何処が友達なんだというような『夏休みの友』は、7月中に終わらせた。
時間がかかりそうな読書感想文やら自由研究やらも、好きな猫に関するもので片づけた。
静流が知り合いから譲って貰ってきた問題集等を繰り返しやり、自由参加の夏期講習にも全て参加した。

元不良である彼が、僅かな期間で平均点を超え、どんどん学力をつけていくのは、正に驚異的で…。
教師の中には、驚きを隠せない者もいたし、密かに感心している者もいた。
特に竹中は、以前から幽助と同じように彼を見守っていたところがあるため、遠回しに褒めたりもしている。
流石にその時は桑原も正直に照れたものだが…。

 

 

しかし、世の中そう甘くはない…。
というより世の中には、加熱滅菌しようが、濾過滅菌しようが、照射滅菌しようが、EOガス滅菌しようが、死なないくらい汚いバイ菌もいるのだ。

そしてそれは運悪く、桑原が通う皿屋敷中学にもいるのである。
更に運の悪いことに一つではなく、二匹も……。
片方の名前を明石、もう片方を岩本といった。

幸いにも、明石の方は今年一年生担当のため、桑原とは直接繋がりはない。
二年生の時には、理科のテスト騒動で色々あったが、あれ以降は特に動きはないし…。
竹中に全てを見られていたという事実を突きつけられたことで、少し大人しくなってもいる。
いつ、教育委員会やらPTA騒ぎになり、首が吹っ飛ぶことを思えば……元々、根が臆病で肝が小さいため、あまり派手なことは出来ないタチなのだ。

が、しかし……。
もう一匹の方は、悪いことに桑原の学年を受け持ち、あまつさえ桑原の担任、挙げ句の果てには進路教官だというから、これはもう悪夢としか言いようがないだろう。
催眠術がどうこうの騒ぎで、生徒に暴力を振るい、公共物を破壊しまくったわりには、普通に学校へ復帰しているとは、にわかには信じがたいが…。
実際しているのだから、世の中ふざけている。
国が乱れていることに比例するように、教師も乱れてゆくものなのだろうか……。

 

それはさておき、桑原はとにかく雑菌教師の意見はなるべく聞かずに、勉強に専念した。
聞いたところで、雑音のようにしか聞こえないだろうが。

当たり前のように繰り返される、嫌みと嫌がらせ。
やってみなければ分からないのに、最初から無駄だと決めつけてくる鬱陶しさ。
人の意見も聞かずに、一方的に押しつけられる矛盾しまくった説教。
もはや聞くにも値しない。

二週間に一度ほど、夏期講習の合間を縫って行われる進路指導、これほど無駄な時間もない。
この時間を勉強に使えれば、どれほど有効か……。
だが、出ないわけにも行かない。
出なければ、また色々と面倒なことが待っているのだから……ともかく、耐えに耐え、家に帰ってから遅れを取り戻すべく頑張る。
今の桑原に出来ることは、これしかない。

 

そしてその努力は着実に実っていた。
夏休み最後の週に行われた、学力テスト。
今までのテストは、分かっても半分程度……大久保のバイトの一件のあれが限度であった。

しかし今回、桑原はほとんどの問題をこなしたのだ。
今まで何故分からなかったのか……それが不思議なくらい、すらすら解けた。
鉛筆が軽い、頭を抱えない、問題が解けた瞬間とても気分がいい……。
これほどの快感は、幽助とのケンカや、雪菜との会話の他なかった。

提出した時も、心は満足感で満たされていた。
もしかすると、今までの最高点…いやそれは確実なはず。
ひょっとしたら、八〇点代…九〇点代に上っているかもしれない!
そこまでの自信が持てるようになったのは、まさに奇跡と言えよう。

 

 

だが……。

ここで例の愚劣教師の存在が、桑原の先行きを暗くしていた。
正確に言えば、暗くさせたのだ。
テスト返却の瞬間に……。

桑原本人は、まさか二度も同じ事があるとは夢にも思わなかったろう。
それに万が一、二〜三問消されたところで、七〇点代に落ちるくらい……それでももちろん許せないが、しかし岩本のやったことは、それを遙かに上回る最低な行為だったのだ。

 

 

「な、なんだこりゃ!!?」

テストを受け取った瞬間、桑原は蒼白になって叫んだ。
返されたテストの答案……夏休みの学力テストは担任が採点し、担任が返却するのだが、その全科目に書かれた得点。

全教科、0点。

桑原でなくとも、叫ぶだろう。
まさかこんな馬鹿なことがあるだろうか!?

 

一瞬、回答欄を間違えたのかと思ったが、理科や社会など回答欄が似通っている教科はともかく、国語はそうであるはずがない。
『何文字以上〜何文字以内で答えなさい』という問題は、自然と回答欄がはっきりと別れるようになっている。
まさか間違えていれば、テスト中に気付くはず……そしてどの教科も間違っていなかった。
茫然自失状態だが、何とか立ち直り、岩本に詰め寄ると、

「なんでだ!! 嫌がらせもいい加減にしろ!!」

頭から脳みそが沸騰して飛び出してくるのでは…と思われるほど、激憤しまくる桑原。
だが、岩本は平然としたものだった。

「よく見ろ。お前は名前を書き忘れているんだよ」

鼻で嗤って、桑原の手を払いのけながら、岩本は言った。
慌ててテスト用紙を見直す桑原。
五枚の紙を全て見て、呆然とした。
氏名記入の欄……そこは綺麗に白く空いていた。

 

「ば、馬鹿な! おれは、いつも最初に書いて……!!」

叫んでから気付いた。
書かれていなければ、真っ白のはずの氏名記入の欄、そこに薄く書いて消した後があった。
丁寧に消しゴムをかけられたのだろう、よくよく見なければ気付けないくらいの薄い後。
前に明石が消した時のは、誰が見ても消した後があるように思えたろうが、今回のは一度書いた記憶のある桑原にしか分からないようなものだった。

「てっ、てめえ〜…」
「ふん。殴るのか、ええ? 教師の俺を殴るか? 退学にしてほしければ、殴るんだな。はっはっは!」

優越感に満たされた高笑いをしながら、岩本は立ち去った。
夕暮れで暗くなりかけた教室に、桑原だけがぽつんっと残されていた。

あれほど頑張ったのに……。
これからの人生を変えようとしたのに……。
何故、こんな……。

 

放心状態のまま、桑原は学校を後にした。
ふらふらと左右に揺れながら……。
0点と書かれた答案は、鞄の中にくしゃくしゃになって押し込まれている。
もはやどうしていいか分からなくなってしまった。
いくら頑張っても無駄なのか……桑原らしくもなく、絶望の淵に立たされていた。

 

 

と、その時。
ろくに前を見ていなかったせいか、角を曲がったところで、向こう側から来た人物にぶつかってしまった。

「あっ、わりー…」

顔もあげず、小さな声で謝る桑原。
こんな落ち込んだ気持ちでは、顔を上げる気にもなれない。
いちおう謝りはしたので、うつむいたまま、その人物の横を通り過ぎようとした。

が、相手が発した言葉に、その足が止まった。
言葉自体というよりも、桑原はその声に聞き覚えがあったのだ。

 

 

「桑原くん?」
「……へ?」

間抜けな声を出しながら、顔を上げ振り返る桑原。
そこにいたのは……。
長く紅い髪、大きな緑色の瞳、少し幼い感じがする綺麗な面……。

 

「く、蔵馬!?」

 

思わず、なりふり構わず、傍目も気にせず……まあいつものことだが叫んだ。
そこにいたのは間違いなく、一ヶ月前に桑原が見送った南野秀一こと蔵馬、その人だったのだ。

「な、なな、な、何でお前ここに!? 魔界に行ったんじゃなかったのか!?」
「行ったよ。夏休みの間だけ」
「は、はあ?」
「学校サボるわけにはいかないだろ。まあ、少しならやったことあるけど」

驚愕する桑原に対して、蔵馬は当たり前のように言ってのけた。
確かに彼には学校がある。
幽助は自然中退の形となったし、飛影は元々行っていないが、彼はまだ現役高校生……いや、今はそういう問題ではないような気もしないでもないが。

だが、桑原は嬉しかった。
正直、急に三人がいなくなって、寂しい部分もあったので……。

 

「久しぶりだなー! っていっても、一ヶ月だけどよ。元気そうだな」
「ああ…でも桑原くんは元気なさそうだね」
「えっ……」
「隠さなくていいよ。何があったんだい?」

真顔で尋ねる蔵馬に、言葉が詰まる桑原。
たった今、一ヶ月ぶりに再会したというのに……蔵馬には何もかも、お見通しのようである。
桑原には、隠す必要もないし、そのつもりもなかった。

「いや、実は……」

 

 

 

 

「なるほどね」

桑原の話を聞き終えた蔵馬は、何処か妖狐の時の表情に似ていた。
抑えているが、明らかに怒っている。
それを見て桑原はもちろん怯えたりはしないが、少しばかり懐かしかった。
蔵馬のこういう表情を見たのは、仙水との一件以来だったので……。

少しの沈黙の後、蔵馬は口を開いた。

「そういうことなら、いい方法があるよ」
「ほ、本当か!?」
「ああ」
「ど、どうやるんだ!?」

この状況で、どうすればテストを元に戻せるのか……。
前のように竹中に頼ろうにも、彼は今、前に岩本に殴られたところの定期検査のため入院中だし、他の教師はアテにならない。
というより、蔵馬は桑原の学校には詳しくないはずだから、岩本以外の教師の手を借りようとは思っていないはず。
だが、ならばどういう方法があるのか……。

桑原にはまるで見当がつかないが、しかし蔵馬は余裕の表情で、にやりと笑って言った。

「まずはその先生に会わないとね」