<Fake> 3

 

 

その夜、岩本は気分良く帰路についていた。

不良で問題児で、どうやって学校から追い出してやろうかと思っていたヤツが、急に真面目な優等生になるなど、他の教師が認めようが、自分は認めない。
今まで散々人を馬鹿にしてきたヤツに(←と、岩本は思っているらしい)、そんな資格はない。
あの時殴ってこなかったのは残念だが、全教科0点となれば、退学への道は一歩開けたというものだ。

 

次はどんな手を使ってやろうか……。
そんなことを考えていたが、ふと周囲に奇妙な気配を感じた。
足音はしないが、何となく息づかいのようなものが……。
何かが後をつけているような……変質者だろうか?

自分以上の変質者などいないことにも気付かず、岩本はそう思い、足取りを速めた。
が、つけてきているモノも、同じようにペースをあげた。
更に足を速めると、それに合わせるように、速くなってくる。

段々怖くなってきて、ついに岩本は走った。
だが、そのモノも走るようにすぐ後をぴったりとつけてくる。
走るような音はしないのに……。

暗い夜道、なるべく明るい方へ行かなければと、住宅街を抜け商店街を目指すが、いつまで経っても商店街につかない。
いやそれどころか、いつの間にか見覚えもない森の中に来てしまっていた。
皿屋敷市には、このようなところなかったはず……。

 

 

「な、なんだここは!!」

「あの世とこの世の境目…」

どこからともなく声がした。
ばっと後ろを振り返るが、誰もいない。
ついさっきまで、何かが確かに後をつけてきていたのに……。
あまり心霊などには興味はなく、むしろそんなものはないと馬鹿にしてきたが、しかしこの状況下では信じざるを得ないだろう。
だが、岩本もすぐに折れるようなことはなかった。

「ば、馬鹿にするな! どこの学校だ!? とっとと出てこい!!」

声質から、まだ若い…中学生か高校生だろうと踏んだ岩本は叫んだ。
男か女かもよく分からないが……しかし、それでは高い声の女性だということもあるだろうに。
まあそんな冷静な判断が出来る余裕など、微塵もないのだから無理もないが。

「学校? そうだね、ずっと前に行ってたかな。人をあの世に送る学校♪」
「ふ、ふざけるのも大概にしろ! いい加減に出てこい!」
「そんなに怒らないでよ。今出るから」

ため息をつくような声で、声の主は現れた。

 

月に光る髪は、夜空を覆い隠すほど長くしなやかで…。
金色に輝く瞳は、恐ろしいほど美しく、怪しい雰囲気を醸し出していた。
その身体はふわりふわりと宙に浮いている。
これが人間であるだろうか?
いや、そんなわけはあるはずがない!

「ば、ばけもの!!」

叫んだついでに、2〜3歩下がった。
本当ならばこの場から逃げ出してしまいたい気分だったが、足がすくんでろくに動けなかったのだ。

「誰が化け物だって? 人の人生を台無しにするようなことをする方が、よほどタチが悪いよ」

銀色の浮遊者は、眉間にしわを寄せ、明らかに不機嫌な様子で舞い降りてきた。
岩本よりも一歩手間のところで止まると、ガタガタと情けなく震えている岩本に手をかざした。

「な、何の話だ…」
「惚けないでよ。知ってるんだよ? もうすぐあの世に来る人のことはさ」
「も、もうすぐあの世にだと!?」
「そう。君はもう時期死ぬんだ。だから知ってる。君が生徒のテストを弄ったこともね」

全く悪意のない表情で、さらりと述べる浮遊者。
少しばかり笑みを浮かべているのが、余計に恐ろしさを増している。

岩本はもう恐怖の絶頂の中にいた。
これほどの恐怖を感じたことは、今まで無かったろう。
なまじ見た目が美しく、綺麗なだけに、化け物らしい化け物よりも尚恐ろしいものがある…。

 

浮遊者は岩本の怯えを敏感に感じ取り、それを楽しんですらいるようだった。
そして、彼にかざした右手を軽く振って、

「君の命を奪う。まずは…そうだね。心臓の機能から…」

そう言って、手を引っ込めた。
途端、急に胸が締め付けられるような苦しみを訴えた。
がくんとヒザを追って、倒れる岩本。

「ほら、少しずつ呼吸が苦しくなってきただろ?」

言われてみると、呼吸がしにくくなってきていた。
喉をひっかき、もがくが、どうにもこうにも……。

「頭も痛いだろ?」

頭ががんがんしてきた。
金槌で殴られているような……脳がぐらぐらと揺れているような錯覚を覚えるほどの痛みだった。

 

 

 

浮遊者が言うたび、指摘された場所に痛みが襲ってくる。
意識ももはや朦朧とし、本当に死ぬのでは……そう思いだした時、浮遊者が指摘以外の言葉を発した。

「死にたくない?」
「し、死にたくない!! 死にたくない!!」

哀れみは感じられないが、問いかけてきたその言葉に、岩本はすがるように叫んだ。
別に助けてくれるとか、痛みを取り除いてくれるとか言ったわけではないが、しかし指摘され続けるよりは幾分マシな言葉である。
藁にも縋る思いで、岩本は叫び続けた。
眼がぼやけてきているので、浮遊者がどのような表情をしているのか見えないが、浮遊者は彼の望みを聞いてはいたらしい。
しばらくしてから、ぽつりと言った。

 

「だったら取引しない?」
「と、取引だと!?」
「そう。言うことを聞くなら、助けてあげるよ」
「な、何でも聞く!! だから助けてくれ!! 俺はどうすればいい!?」
「その生徒のテストを元に戻してくれるだけでいいよ」

あっさり言う銀髪の浮遊者。
岩本は一瞬固まったが、浮遊者は気にせずに、

「別に満点にしろなんて言わない。元の点数に戻してくれるだけでいい」
「ちょ、ちょっと待て!! それと俺の命とどう関係が…」
「知らないの? 悪行を行った人は、死期が早まるんだ。だから正確に言えば、君は悪行を行ったがために死期が早まったってこと。それを元に戻してあげようかって言ってるんだよ……それとも今死ぬ? こっちとしてはどちらに転んでもかまわな…」
「す、する!! 今から学校に戻って、やり直す!! 桑原には明日謝る!! だから助けてくれ!!」
「……約束だよ?」

念を押すように言ってから、浮遊者は岩本の前に一つの小瓶を落とした。
慌てて、空中でつかむ岩本。
これをどうすれば…と問いかける前に、浮遊者は言った。

「これが君を助ける秘薬。飲めば、一瞬で治るよ」
「わ、分かった!!」

浮遊者の説明を聞き終えるが速いか、岩本は瓶の中身を飲んだ。
ひっくり返すほど大慌てで飲んだが、瓶の中には弁がついているらしく、一口分ごとにしか出てこない仕組みになっているらしい。
一口、それは本当に微量だったが……秘薬が喉を通っていくにつれ、身体が段々楽になっていった。
胸を締め付ける痛みも、呼吸の苦しさも、頭を叩く痛みも消えていった。

 

ほおっと一息つく岩本。
これでもう一安心だと、地面にへたり込んだ。
が、その耳に氷のように冷たい声が、響いてきた。

「ただし、一年間飲み続けないと助からないよ。一日でも飲みそこねたら、死ぬ。もし君が約束を破れば……秘薬はあっという間に蒸発して消滅する……そうそう。腕にアザがあるでしょう? それが消えたら、もう大丈夫だよ。最も一年後の話だけどね」

そう告げると、浮遊者はその場から消え去った。
しばらくの間、岩本は呆然としたまま、その場に座り込んでいた。
やがて辺りが明るくなってきたかと思うと、そこは皿屋敷中学近くにあるごく普通の住宅街だった……。

 

 

 

 

「ひとまずは一件落着かな」

グラグラと来たときよりも、激しく左右に揺れながら、半ば酔っぱらいのような状態で去っていく岩本を、塀の影から見送る浮遊者…。
まあ、幽白ファンならば一発で分かるだろうが、当然彼はあの銀髪の妖怪・妖狐蔵馬である。
いつもより幾分髪を長くし、そのおかげで背中の浮葉科の魔界植物を上手い具合に隠していた。
別に見えていても、大して問題はなかったろうが。

「サンキュな。マジで助かったぜ」
「いえいえ」

蔵馬の向かい側の角から、ひょっこり顔を覗かせたのは、もちろん桑原である。
蔵馬が魔界の幻影草から作り出した幻覚に引っかからないよう、花粉症用マスクの上に水中ゴーグルと、見た目にも無茶苦茶怪しい格好だったが…。
暑そうに、それらを取り外しながら、蔵馬の元へ歩み寄る桑原。
その間に蔵馬は南野秀一の姿へと戻っていた。

最近になって、蔵馬は姿だけは妖狐に戻るようになっていた。
もちろん瞬きするほど自由に…とはいかなかったが、感情を高めると変化出来るのだ。
髪の毛の長さは流石に変化では出来ないが、簡単な薬草ですぐに伸びるらしい。
最もあまりに長いと邪魔になるようで、南野秀一に戻ってからは、いつもの長さに戻っていたが。

二人並んで、岩本を見送るが、桑原はいささか浮かない顔だった。

「こう言っちゃなんだけどよ。本当に大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。わざわざアザまで残したし。夢だとは思えないでしょ、あれじゃ」
「そりゃな……あんだけ趣味のわりーアザ、ねえよ」
「言っておきますが、俺の趣味ではないから」
「わーってる」

一体どういうアザだったのか……。
実際に目撃した桑原と蔵馬、そしてアザを刻み込まれた張本人以外には、永遠に分からぬことだろう。
そして分からずにいることが、最も最良だと思われる。

 

 

「ところでよ。1つ聞きてえんだけど」
「何を?」
「あの薬、なんていう薬なんだ?」

岩本が完全に見えなくなり、とりとめもない話をしながら帰路についた頃になって、何気なく尋ねる桑原。
ずっと気になっていたのだろうが、自分でも色々考えていたらしい。

「名前言われても分からねえだろうけどよ。すっげー、薬なんだろ? けどよ、あんな万能薬あるんだったら、今までだって使えばよかっ…」
「くっくっく……あははっ!」
「く…蔵馬?」

突然腹をかかえて笑い出した蔵馬に、ぎょっとする桑原。
あっけにとられて見ている桑原をよそに、蔵馬はおかしそうに笑い続けた。
それでも彼の美しさは損なわれることはなかったが…。
しばらくの間、笑い続けていた蔵馬を見ていた桑原だったが、はっと我に返って、

「お、おい、どういう薬なんだ? 笑わずにはいられねえほど、高価なのか? それとも珍しいのか? まさか実は毒とか…」
「違う違う。あれはただの水だよ」

「え゛、え゛え゛ー!?」

 

大絶叫する桑原。
直後、氷のように固まった上、眼を白黒させ、呆然と立ちつくした。
蔵馬の方は暢気なもので、笑顔のまま、コンコンと桑原の額をこづいた。
バラバラと崩れ落ちた後、一瞬で復帰して、頭を振り回しながら、再度尋ねる桑原(人間か、本当に…)。
あまりのショックに、舌はまともに回らなかったが。

「だって、あいつ……」
「プラセボ効果っていってね。仮に毒だと言って飲ませたものが、ただのサプリメントでも、人間は思いこまされると信じ込んでしまうんだよ。しかもそれが身体に顕著に表れてくる。本当は何ともない薬でも、本人が毒だと思えば、勝手に失神して最悪死ぬし、逆に特効薬だって言えば、下剤でも完治する」
「お、おいおい……」

「だから水でも治るんだよ。元々病気でもなんでもなかったんだから」
「え゛、あれ嘘なのか? あの胸苦しくなるのとか、息苦しくなるのとか……植物使ったんじゃないのか?」
「ああ。あの状況でああいうこと言われたら、実際何もなくても痛くなるものだからね。わざわざ使う必要なんかないよ。俺が今回使った植物は、周囲を森に見せかける幻影草と、アザを浮き上がらせる刺青草だけ。最も刺青草は元々一年間だけしか効力がないけどね」
「……」

もはや何も突っ込む気になれない桑原。
あれだけ苦しませておいて、実は人間の思いこみを利用しただけの心理攻撃。
つまり岩本が勝手に思いこんで、勝手に苦しんでいただけとは……。

しかし、これならば、傷つけることはないし、桑原に疑いがかかることもない。
彼にはこんなこと、まず出来ないのだから…。
テストも直されるし、今後岩本が教師を続けるに当たっても、来年の今頃までは大人しくしていることだろう……。

「とりあえずこれで邪魔は入らないはずだよ。後は、桑原くん次第。必ず受かってね」
「わーってる」

 

 

 

それから数ヶ月後。
蔵馬は再び魔界へ赴いた。

出発の日は、偶然にも桑原の合格発表の日。
見送りも行きたかったし、手土産に合格証明書を見せてやりたかったが……。

「……補欠合格じゃ、行けねえし、見せられねえな…」

数ヶ月前、蔵馬が旅立った屋上で、はあっとため息をつく桑原。
ここから行くとは聞いていない。
多分違うだろう。
同じ場所に二度も魔界の穴を開けるのは、それだけでそこが魔界と密接になってしまうのだから。

 

「あ〜あ。浦飯との賭、引き分けだな」

補欠とはいえ、合格者の何人かは併願希望である。
桑原は補欠生の中では、かなり上位に食い込んでいるらしいので、ほぼ入学は間違いなかった。

期待には添えなかったかもしれない。
だが、約束は果たせた。
骸工大付属に受かること……。

 

今度魔界から戻ってきた時に、見せてやろう。
立派に高校に通い、人間として生きる道を見つけた自分を……。

 

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

幽助くんたちが魔界へ行っている間、一人勉強をしていた桑原くんのお話でした!
といっても、蔵馬さんはずっと魔界へ行っていたわけではなく、勉強も教えていたようですけどね。
しかし、あれだけ不良だった彼に対して、世間の目はおそらく冷たいでしょう…。
イヤなものですね、表面だけしか見ない世の中って。

プラセボ効果は実際にある医療用語です。
人間にだけ効く変わった効果で……。
管理人の姉も寝付けない日が続いた時、父から睡眠薬だと言われて飲んだ薬のおかげで寝付いたそうです。
(実はただの胃腸薬だったらしいんですが…/笑)

書いといてなんですが、ちょっと岩本のこと、悪く書きすぎたでしょうか?
個人的には「幽☆遊☆白書 嫌いなキャラクターベスト10」には入ってるんですが…。
蔵馬さんとは直接関係がない分、結構後の方ですけどね(おいおい)