<その中身> 1
「今回の任務はこれだ!」
いきなり幽助宅へ押しかけてきたコエンマが、いきなり彼らの目前に置いたのは、1つの箱だった。
卓上ゲームをしつつ、菓子をかじっていた幽助&桑原。
突然の来客に一瞬呆然としたが、はっと正気に戻り、箱に押しつぶされて、散らばりに散らばり、再開不能となった卓上ゲームを見つめた…。
「あー! もう少しで勝てるところだったのによ!! コエンマ、てめー!!」
「ぐ、ぐるじい…」
珍しく勝機が見えていた桑原。
頭の上で火山を爆発させながら、問答無用でコエンマの首をつかみあげると、ぶんぶん振り回しまくった。
が、途中で手が滑り、哀れコエンマは遠心力の力で吹っ飛び、虚しく壁に大穴を開けて、隣の部屋でノびてしまった。
「ま、運も実力のうちってな! っと、それより……」
負けそうになっていた幽助だが、コエンマのおかげでその危機を脱したためか、突然窓ガラスを壊しながらの来訪者だったというのに、随分と機嫌がいいようである。
拳と拳の勝負では、横やりされれば激憤する彼だが、卓上ゲームでは別らしい。
まあ相手が桑原だったということもあるだろうが。
「何なんだ? この箱」
無惨にも崩壊した卓上ゲームの上に置かれた箱。
大きさは幽助の頭くらい、色は茶色で材質はどうやら段ボール。
そこら辺の一〇〇円均一で売っていそうな、結構普通の箱だった。
蓋はいちおう閉じてあるが、ほおっておけば開いてしまいそうな構造のせいか、ガムテープで固定されている始末……お世辞にも、豪華とは言えないものだった。
しばらくしげしげ眺めていた幽助。
開けてみようと手を伸ばしたが、
「開けるな!!」
突然、怒鳴られ、思わず手を引っ込めた。
声の主は、やっとのことで意識を取り戻し、向こうの部屋から舞い戻ってきたコエンマだったが…。
何故か随分と焦っているらしい。
「開けるな! それは!!」
「な、何なんだよ。いいじゃねえか、中身見るくらい」
「ダメだ! それは…その中身…その箱の中身は…」
ぜいぜいと肩で息をしつつ、テーブルの脇にしゃがみこむコエンマ。
具合でも悪いのかと、幽助と桑原は下からのぞき込もうとしたが、その必要もなく彼は顔をあげ、蒼白の顔で叫んだ。
「パンドラの箱……決して開けてはならない箱、だ!」
「決して開けてはならない箱〜?」
コエンマは真剣そのものだったが、幽助は面倒くさそうに、そして胡散臭そうに箱を手に取った。
両手で持って、しげしげ眺めたり、片手で持って降ってみたり、指の上でクルクル回してみたり……。
揺らすたびに箱の中身は、カタカタと音を立てていたが、どういうものが入っているかは全く分からない。
「こ、こら! 乱暴に扱うな!!」
幽助が箱を床にたたき付けだしたので、コエンマは慌ててひったくった。
幸い壊れてはいないらしいが、少し変形している。
それを必死に直そうとするコエンマ。
元通りとはいかなかったが、とりあえずは見れる形になった。
ほっと一安心しているコエンマの後ろで、幽助は自分のしたことが悪いことだとは思っていないといった風に(実際思っていないのだろう。ボロ箱を叩いただけ、くらいにしか…)、けろっとした顔で聞いた。
「なあ、何で開けたら、ダメなんだ??」
「わからん。ただ、開ければよくないことが起こる。それは間違いない」
箱を床に置き、キッとした表情になって言うコエンマ。
ここまで真面目になられると、流石に箱を乱暴に扱う気にもなれない幽助。
とりあえず話を聞いてみることにした。
「中身は分からないが、とにかく人間界にとって…いや、魔界や霊界にとっても、危険なものが入っていることは間違いない」
「そりゃあ厄介だな。でも、開けなければいいんだろ。その箱」
「ああもちろん、開けることは許されない……だが、それを開けようとする、不謹慎な輩がおってな」
「ほ〜。それはヤバイな」
緊張感ゼロ、一大事件だとは全く思っていないらしい。
しかし箱がこんなボロでは……幽助でなくとも、疑いたくなるだろう。
だが、コエンマは真剣そのもので、
「今回の任務はそいつらから、この箱を守ることだ! 頼んだぞ!!」
「箱を守るって言われてもな〜」
「なあ」
コエンマが去った後、幽助と桑原は、目の前に置かれたボロ箱とにらめっこをしていた。
何度見ても、ボロ箱はボロ箱。
幽助が凹ませたのも相まって、ボロさは更に強調されている。
「何が入ってんだろうな」
「さあな。人間界にとっても、霊界にとっても、魔界にとっても、厄介なもの……何かあるか?」
「…爆弾か?」
「世界三つ爆破出来る爆弾なんて、あるのか?」
「無理があるよな〜」
いくらなんでも、無理があるだろう。
第一そんなものならば、こんなボロ箱には入っていないだろうし。
「じゃあ、細菌兵器とか?」
「何だよ、細菌兵器って?」
「あ、あのな、浦飯。おめえ、細菌兵器も知らねえのか?」
「知るか、んなもん」
いくら中学中退とはいえ……細菌兵器くらい、小学生でも知っていそうなものだが。
ちなみに細菌兵器とは、別名・生物兵器といい、病原性を示す微生物を散布することにより、人畜・植物などを加害殺傷するための兵器であり、ある意味数万の軍隊よりも恐ろしい武器である。
しかし、それでもこんな箱に入れるわけがないと思うのだが…。
「なあ、魔界とか霊界にそれっぽいのねえのか? 呪いとか、妖力とかに関係してるのがよ。人間界ので、考えるよりも現実的だろ」
「聞いたことねえよ。霊界の大砲でも、世界全部なんて無理だろうしな」
その前に、こんなに小さくないだろうに。
こんな箱では、大砲どころか拳銃でも小型のものしか入りそうにない。
拳銃で世界が滅んでは、悔しいを通り越して、虚しくアホらしいだろう……。
いくら考えても、皆目見当がつかない幽助たち。
時が経つに連れて、中身を知りたいという欲求ばかりが、むくむくと膨れあがっていった。
だが、開けるわけにはいかない。
『決して開けてはならない』と言った時のコエンマは、本当に必死だった。
開ければどうなるかは分からないが、とにかくヤバイことなのだ。
知りたい、開けたい、でも開けられない、でも知りたい……。
悪循環極まりないが、しかしどうしてもこのメビウスリングからは逃れられそうもなかった。
悶々と悩み続けていたが、まだ若い幽助にとって、このイライラに限界が来るのには、そう時間はかからなかった。
コエンマが去ってから、僅か10分後(短っ!)
ついに幽助は立ち上がったのだ。
桑原はまだ座ったまま、頭を捻っていた。
彼は幽助よりは、我慢強く、慎重なためだろう。
が、幽助がバッと箱を持ち上げたのを見て、慌ててその腕をつかみ、
「お、おい。箱開けんのか? マズいぞ、そりゃ!」
「何言ってんだ。開けねえよ」
「そ、そうか……じゃあ、どうすんだ?」
「決まってらあ! こういう時は!!」
「こういう時は!?」
勢い勇んで立つ幽助に、真剣な眼差しを送る桑原。
一体、今彼は何を考えているのか……。
考えているようで何も考えていない単細胞だが、時折突拍子もないことを平気でやってのける男である。
こういう時には、僅かに期待を持ちたくなってしまう。
果たして彼の下した結論は……!?
「蔵馬に聞く」
ずるっ
思わず、ずっこける桑原。
何かひっくり返るようなことを言っただろうかと、不思議そうに見ていた幽助だが、やがて箱をかかえたまま玄関へ向かった。
「……ま、それが打倒か。どうせ俺たちで悩んでても、ワケわからねえんだし…」
よろよろと起きあがり、腰をさすりながら言う桑原。
しかし、あの状況で、いきなりこういう発想が出来るとは……。
普通、箱で頭がいっぱいで、この場にいない人物のことなど考えられないと思うが、幽助はそうでないらしい。
まあ奇想天外な発想という意味では、その期待を裏切らずにはいてくれたようだが…。
感心しつつ、呆れながら、彼の後を追った。
「……決して開けてはならない箱?」
いきなり押しかけ、しかも霊界からの指令だという箱を見ながら、怪訝に尋ねる蔵馬。
玄関で見た瞬間、『何だい? この古い段ボールは。廃品回収なら、昨日終わったから、次は再来週だよ。燃えるゴミなら、明日だけど』と言ったくらいのボロ箱が、そういう事情があるとは、にわかには信じがたいらしい。
まあ、こんなボロ箱では無理もないだろう。
幽助たちが首を縦に振ってからも、しばらく不可解そうに箱を見ていた。
少しの間、沈黙があってから、蔵馬は再び口を開いた。
「ひょっとして…パンドラの箱?」
「知ってんのか!?」
「いや、一般的によく言われてるから……パンドラの箱。ギリシャ神話に出てくるんだけどね。人類で最初の女性・パンドラに神が与えた箱だよ。決して開けてはいけないと言ってね。中身は教えずに。けど、人間の好奇心がそんな約束を守れるはずもなく…」
「開けたのか?」
「ああ。だが、中に入っていたのは、人間にとっての『悪』。病魔や悪心といったものが、たくさん飛び出してきた」
「最低だな。箱やった神さまってのは」
ツッコミどころが違うだろうに。
しかしまあ、幽助たちならば、わざわざ悪いものの詰まった箱を渡した方に、悪を感じるのも無理はない。
今正に、自分たちがその境遇に立たされているのだから……。
「で、どうなった?」
「あわててパンドラは箱を閉めたけど、後の祭り。中身はほとんど出てしまっていたんだ。それが今の世界の悪の元だと言われているんだよ」
「じゃあこの中身も……」
「コエンマがよくないと言ったんだから、そうなんじゃない?」
そう言って、蔵馬はあっさりそっぽを向いてしまった。
椅子に腰掛けて、机の上に置いてあった本を手に取り、栞をはさんであったページから読みはじめる。
ふと下から母が声をかけてきたため、お茶を取りに行ったが、それが終わった後は再び本を読み出した。
まるで、こんなボロ箱になど、興味がないと言った風に…。
いちおう中身はどういうものなのか、見当はついた幽助たちだが……。
しかし、こう中途半端に言われては、逆にどういう『悪』が入っているのか、気になるではないか!
気になる、開けたい、でも開けられない、でも気になる……。
さっきの『知りたい』の部分が『気になる』になっただけだが、それだけで彼らの好奇心は更にグレードアップした。
日本語とは、言葉1つでこうも感情が変わるものなのだろうか?
アテにしていた蔵馬は、中身の予想しか立ててくれず、その後は全く無視。
いつもの彼ならば、もう少し相談に乗ってくれたりするものだが、多分彼は未だに信じていないのだろう。
こんなボロ箱がそういう事情のあるものだとは…。
『パンドラの箱』というものの存在も、神話の中の伝説にすぎない、ただそれだけなのだろう。
これがもう少し立派な箱ならば、蔵馬も一緒に悩んでくれたかも知れないが…。
「き、気になる……ちょ、ちょっとだけなら、開けても…」
「ば、ばかやろ、浦飯! 悪ーもんが入ってんだぞ! 物とかじゃねえ、本当の悪で、元に戻せなくなったら、どうすんだ!!」
「んなこと、言ったってよー!」
ぎゃーぎゃー言いつつ、幽助も本気で開ける気にはなれないらしい。
あそこまで言われては……しかも言ったのは、他でもない蔵馬なのだ。
これがコエンマや桑原であれば、『嘘だろう』と思って、開けてしまうかも知れない。
しかし、あの蔵馬なのだ。
他のものに興味を移しているのは、もしかすると興味がないわけではなく、開けたい欲求から離れようとしているのかもしれない。
そう考えると、自分たちも別のものに興味をそらした方がいいのかもしれないが……だが、ここまできてそれが出来れば、最初から悩みはしない。
早く時が過ぎて欲しい。
箱が自分の手元から去る瞬間を早く……という、もはや絶体絶命のところまで追いつめられて、幽助たちはハッとした。
「……そういや、コエンマの野郎。いつまで守ってろって言ったっけ?」
「……おい、言ってねえんじゃねえか!?」
今頃、気付いたのだろうか?
コエンマはあくまで、『今回の任務はそいつらから、この箱を守ることだ! 頼んだぞ!!』と言い残しただけである。
いつまで守っていれば…いや、いつまで持っていればいいのか、そんなことは一言も言わなかった。
それどころか、箱を開けようとする連中は、今のところ一行に来る気配はない。
辺りに殺気や悪意は全く感ぜられない。
そんなものがあれば、とっくに蔵馬も構えているはずである。
暢気に本など読んでいないだろう。
つまり、箱を開けようとする連中というのは、どういうヤツかは分からないが、しばらく来ないはずである。
唐突に来る可能性もなくはないが、そうであればコエンマは最初に言っているはず……となれば、連中というのは、今日明日には来ない可能性の方が高いのだ。
「あ、あんにゃろー!!」
「俺たちに数日間悩めってのかー!!」
「何を吠えている」
コエンマへの怒りで燃え上がる幽助と桑原の耳に、彼ら以外の声が入ってきた。
かといって、蔵馬ではない。
バッと振り返ると……いつの間に来ていたのだろうか?
すぐ横手の窓に、黒装束に身を包んだ少年が座っていた。
「飛影!」
「おめえ、いつきやがった!?」
仰天して、後ずさりしている幽助たちをよそに、飛影は堂々と部屋に入ってきた。
それをごく当たり前のように迎え入れる蔵馬。
本に栞を挟んで閉じながら、にこっと笑って、
「久しぶり。今日はどうしたんだ?」
「ヒマだっただけだ……何だ、この箱は」
ふと視界に入ってきたボロ箱を見て、飛影はしゃがみながら言った。
「あ、開けるなよ。これはパンドラの箱といって…」
「中身はなんだ」
カパッ…
開けた…。
開けてしまった…。
それも、いとも簡単に……。
幽助たちがあれだけ悩んだというのに……飛影は開けてしまったのだ。
パンドラの箱を……。
「ああー!!!」
幽助と桑原が大絶叫するのと、開かれた箱の中から、得体の知れない煙が巻き起こったのは、ほぼ同時だった。
あっという間に、部屋の中は煙で充満されていく。
白い煙に包まれ、周囲は全く見えなくなってしまった。
その中で叫び声だけが木霊している。
「な、何だ、これは!」
「飛影、てめえー!!」
「なんてことしやがったんだ!!」
「だから、何だこれは!」
自分がやったのだとは、今ひとつ分かっていないらしい飛影。
ぎゃんぎゃん吠えてくる幽助たちが、何を言いたいのかも、当然分かっていない。
まあ、箱のことをほとんど聞かされないうちに開けてしまったのだから、無理もないが……。
いちおう『開けるなよ』とは言われたが、そんなこと聞いていなかったろうし。
しかし幽助たちは、自分たちが悩んでいたのを、あっさり打ち砕かれたことと、世界にとってとてつもなく危険なものが出てきてしまったということで、頭がいっぱいで、説明不足に叫びまくった。
「てめえのせいで、この世がー! あの世がー! 世界がー!!」
「これで人間界も霊界も魔界も終わりだー!!」
「何をワケの分からんことを…」
「てめえのせいだ!! あー、せめて螢子にちゃんと告白しとくんだったー!」
「雪菜さんに愛の告白…は、もうしたが、せめて一度くらいデートをー!!」
「……」
桑原の一言が気にくわなかったのだろう、飛影は黙ってしまった。
その後も二人は飛影が聞いていようといまいと、全くかまわずに、延々煙の中で叫び続けていた。
しかし……しばらくして、煙が段々と晴れてきたではないか。
ぼんやりと開けてきた視界の向こうに……何か見える。
輪郭ははっきりしないが、紅く大きな……きっとこれが世界を終わらせるものに違いない、幽助たちはそう確信した。
「ああ、これで……ん?」
「世界が……へ?」
呆然と煙が晴れていくのを見送っていた幽助たちだが……煙が完全に消え失せた時、目の前の光景に唖然とした。
そこにあったもの……。
それは、蔵馬の部屋を半分くらい占領する大きさの赤いバルーンだった。
どう見ても、原産は人間界……端っこに自動式のポンプがついており、スイッチのピンは崩壊した段ボールの切れっ端に繋がっていた。
つまり、蓋を開けると同時に空気が送られ、膨らむ仕組みになっていたわけである。
部屋の隅には、もうほとんど消えかけているドライアイスが……。
そして、バルーンの中央。
幽助たちから最も見やすい位置に……。
『やーいやーい、だーまされーた〜♪』
と、書かれていたのだった……。
「……おい、世界の終わりがどうかしたか?」
まだよく分かっていないらしいが、とりあえず幽助たちがワケの分からないことで誰かに騙されていたことだけは分かったらしい飛影。
からかい半分に言ってみたものの、幽助と桑原はそれどころではなかった。
震える拳を握りしめ、額に浮き出た血管から、血を吹き立たせながら、喉の奥から声の限り叫んだ。
「コ、コエンマのやろー!!!ゆるせねえー!!」
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