<西の空> 1

 

「ぶっ殺してやる!!」

……咄嗟とはいえ、怒りにまかせて叫んだあの言葉。
今になってみれば、何故あんなことを言えたのか……。

 

 

いつものように大量の木々をなぎ倒しながら、魔界を突き進む移動要塞・百足。
その屋上、つまり外壁の部分で、飛影はぼんやり空を見上げていた。
普段ならば特に何も考えず、ただ薄暗い空を見ているだけなのだが……。

今日に限って、何故そんな昔のことを思いだしたのだろうか……?

これといった理由など見あたらない。
百足の移動速度に変化はないし、保護する人間の数もいつもより少し少ない程度。
空模様も特に異常はなく、いつも通りの灰色がかった雲に、時折稲光が聞こえてくるばかりである。

だが、別に気にはならなかった。
ふいに何かを思い出すなど、珍しいことでもないだろう。
たまたま思いだしたのが、今だっただけ……それで十分である。

その内容の方は、無視しにくいものだったが……。

 

 

蔵馬に「殺す」の言葉を言い放ったのは、あれが初めてではない。

初対面の時。
雪菜のことを寝言で聞かれた上、しかもあれこれ詮索され、挙げ句の果てにはそれが当たっていた時には、つい腹が立ち、言ってしまった。
別に本気で殺意があったわけではない。
他に言うことがなかったが、何か言ってやらないと気がおさまらなかった、それだけだった。
蔵馬の方も、本気でないと分かっていたのだろう、暢気に座ったままだったし…。

二度目は……本人に言ったわけではないが、幽助に向かって言った。
霊界三大秘宝を3つ手に入れた時。
別にあの時も、本気で殺す気はなかった。
何となく流れ上、そう言ってしまっただけ……。
隙をつくと言ったが、剛鬼は別として、蔵馬が隙など見せようはずもない。
流石に付き合いが浅かっただけあって、幽助はそのことに気づかなかったらしいが。

 

だが……三度目。
幽助を庇い、降魔の剣の餌食になり、間髪入れず、自分の邪眼に血を浴びせた時。
あの時は本気だった。

無意識のうちに、本気で「ぶっ殺してやる!」と叫んでいた。
幽助が立ちはだからねば、即座に実行していたと思う。

自分にあれほどの感情があったのかと思うくらいの、凄まじい怒り。
あれほど怒ったのは、生まれて初めてだったような気がする。

それと同時にわき上がったのは、絶望……裏切られたことに対するものだと分かったのは、後のことだが。
だがそれも無理はないかもしれない。
飛影は……裏切られることで怒りを感じたのも、初めてだったのだ。

 

 

裏切られることなど、慣れていた。

盗賊の世界では当たり前。
いかに相手より早く裏切るか、それが生死の分け目といっても、過言ではない。
生まれながらにして忌み子、盗賊として育った以上、暗黙の掟は誰よりも分かっていたはずである。

なのに……。
あの裏切りだけは……。
どうしても許せなかった。

蔵馬に裏切られたのは、あれが初めてではない。

仲間を抜けた時……あれも一種、裏切りだったろう。
だがあの時は、それほどの怒りは感じなかった。
蔵馬に病気の母親がいること、彼女を治すには暗黒鏡を使うしかないことは、前々から知っていた。
そのために仲間に加わったことも……だから、あの時は裏切ったことに対しての怒りよりも、むしろ自ら命を落としに向かう彼に対しての怒りの方が大きかったように思う。

だからこそ、すぐには攻撃せず、言葉を投げかけ続けた。
少しでも気が変わらないかと……結局無駄足だったが。
剛鬼が蔵馬に殴りかかろうとした時、決意を固めた。

ここで剛鬼は死ぬ。
蔵馬は暗黒鏡を持って、去っていく。
餓鬼玉を手に入れた後は、満月に蔵馬が暗黒鏡を使うのを待って、暗黒鏡を手に入れる。
それで全てが終わる……。

そう思った矢先だった。
幽助が現れたのは……。

 

皆無と言っても過言でないほど、霊力は感じなかった。
いや、正確にはコントロール出来ている霊力が、ほとんどなかったのだ。
霊気を使い始めたばかりだったのだろう、まるで使いこなせていないガキ。
殺そうと思えば殺せたが、目の前で人間を殺されれば、蔵馬とて黙ってはいないはず。
念を入れるという意味でも、その場は引き上げた。
その直後、蔵馬も退散したようだが……。

多分、気付いていたのだろう。
幽助の隠された力に……。
そうでなければ、剛鬼が子供の魂を奪ったままにしてはおかなかっただろう。

 

 

……結局、当初考えていたのとは、大幅に変わってしまった。

剛鬼の餓鬼玉はどうでもいいが、蔵馬の暗黒鏡。
まさかあんな形で幽助の手に入るとは思わなかった。

自分の命をあっさり分け与えた幽助も理解しがたかったが、事情をあっさりと幽助に話した蔵馬も分からなかった。
あそこまで色々と……自分には話したことなどないくせに。

だが、蔵馬の母が助かった後は……もう、そんなことどうでもよかった。
2つの宝は浦飯幽助の元にある。
ならば、話は早い。
予定は狂ったが、あの単純バカな男ならば、誘い出すのは容易。
彼と親しいと思われる雪村螢子を人質にとって、倉庫に誘い出して……。

それで全てのカタがつく。

 

もう蔵馬と会うこともない。
会ってはいけないのだ。

蔵馬は母親と共に、人間界で生きていくことを選んだ。
町を仕切っている以上、妖怪の道を捨てたわけではないだろうが、それでも自分とは全く違う道を選んだのだ。
少なからず、前と同じ関係には戻れない。
対等な妖怪としては……同じ目的を持つ、仲間としては……。

だから会わないのが、一番いい。
そう思っていた。

 

だが……会ってしまった。
そして再会の形は最悪だった……。

 

 

 

ドス!と鈍い音がした。

 

同時に小さく呻く声が聞こえる。
おそらく幽助には聞こえなかったろう、小さな声だった。

幽助の脳天を貫こうとした剣は、文字通りひと思いに殺るつもりだったので、角度はほぼ水平。
転がった剣を拾った位置から走った分の速度、加えて上半身を回転させた分のエネルギーも相まって、勢いは半端でなかった。
ついで、彼が立ちふさがった位置は、幽助よりも二歩ほど手前……実際は二歩後ろにいる人物を刺そうという勢いで、剣は刺さったのだ。

鈍い音の後にも、身体にめり込んでいくのは、自明の理。
むろんそれは微々たる時間だったろうが、それが飛影にはカメラをコマ送りしているように見えた。
ようやく剣が止まった時には、ある種ホッとしていたような気もする。
しかしその時には、既に鍔近くまで突き刺さっていたのだが……。

 

直後、蔵馬が自分の腕をつかんだ。
震えているのが、一瞬で分かった。
咄嗟に急所を外したのは、傷位置から分かったが、だからといっても楽観できる怪我でもない。
立っているのも厳しいのは、一目出来た。

だが、しかし……彼は動きを止めなかった。
空いた方の手で、剣の鍔もとを握り、手の平を血で染める。
一体何を考えているのか……思わぬ出来事が続いたため、全ての思考回路が一瞬停止した。

 

はっと我に返った時、突然目が見えなくなった。
同時に邪眼と両眼に激痛が走る。
血……蔵馬のものだとは、瞬時に理解できた。
人間のものとは違い、妖気の通った血はそれだけで充分武器になるほどの力を持っている。
それを直接、力の元である邪眼にかけられたのだから、たまったものではない。

思わず剣を手放した。
それを腹に刺したまま、蔵馬は女どもの元へ。

飛影を「倒せ!!」と、言い残して……。

 

 

 

目の前が真っ暗になった。
血のせいではない。
もうあの時には、両眼は見えていた。
でも……何も見えなかった、真っ暗だった。
しかし、頭の中は対照的に真っ白に染まっていた。

氷河の国から投げ捨てられた時と同じような……。
いや、少なからず、あの時よりもショックは大きかったはずである。
こんなことが起きるなど、思ってもみなかったのだから。

大切な存在から切り捨てられる絶望感。
裏切られるということが、ここまで辛く悲しいことだとは思わなかった。
そしてこれほどまでに怒りを感じることだとは……。

それは相手が蔵馬だったからに、他ならない。
あの時の飛影にとって、唯一信頼出来た男。
力においても、精神においても。

その彼からの裏切り……。

 

閉ざされた視界がゆっくりと回復し、そして見えた紅い髪の後ろ姿。
消してしまいたかった。
自分の辛さや悲しみや怒りと共に……。

 

ためらわず叫んだ。

いや、感情で叫んだのではない。

身体で、心で、全てで……。

 

「ぶっ殺してやる!!」