<西の空> 2
「ぶっ殺してやる…か」
ぼんやりと空を見上げながら、呟いた。
特に意味はなく……何となく口に出してみたかった。
まさか、背後に立った人物に聞かれているなどとは、思いもよらず……。
「何だ、飛影。誰か殺したいのか?」
「……躯か」
「どうした、元気ないな」
「フン、くだらん」
言葉とは裏腹に、飛影はかなり焦っていた。
蔵馬本人に聞かれてもマズイが……しかし、躯でも充分マズイ。
彼女は蔵馬の次くらいに、自分の思っていることを見抜いてしまうのだから……。
だが、意外にも彼女はそれ以上突っ込まなかった。
もちろん分からなかったわけではないだろう。
分かっていて、尚言わなかったのだ。
そして、代わりに……。
「やる気のないヤツがいても、うざいだけだ。とっとと行ってこい」
「……何処に」
「精神安定剤で栄養剤のところだ。とっとと行け」
そう言って、躯は飛影の背中を蹴飛ばした。
安定しない百足の屋上、体制を立て直す間もなく、飛影は転がり落ちた。
幸い、進行方向とは逆の最後尾にいたので、轢かれることはなかったが。
草っぱらに落ちた飛影は、すぐに起きあがったが、百足の後は追わなかった。
別に何処も怪我などはしていないので、追おうと思えば追えたが。
どうせまた躯に蹴飛ばされるに決まっている。
それに胸の中にあるモヤモヤは、なかなか晴れる気配がなかったし……。
彼女の言うとおりにするのは、気に入らなかったが……結局、飛影は人間界へ行くことにした。
目指す場所は、躯曰くの精神安定剤で栄養剤の男。
飛影にとっては裏切ったくせに、しつこく自分をからかってくるムカつくヤツ……。
それでも、嫌いでないのはなぜだろうか。
それでも、会いたいと思うのはなぜだろう……。
「あれ、飛影。久しぶり」
ふいに窓辺に現れた飛影を、蔵馬は大して驚きもせずに振り返った。
何かを怒っているような、機嫌が悪そうな様子だが、それはいつものことなので気にならないらしい。
にこっと笑って、入ってくるよう、手招きした。
むろんそんなことしなくても、飛影は勝手に入ってくるのだが。
「珍しいね。こんな時間に」
別にからかう意味も、おもしろがる意味もなく、言う蔵馬。
彼がそう言ったのも無理はない。
大概飛影が来るのは、夜…それもかなり遅く大概は0時をまわってからだった。
躯への誕生日プレゼントの時だけは、割合早い時間だったが……あの時は時間よりも傷の方に驚いていた。
しかも今日はあの日よりも更に早い。
それもまだ日も暮れていないくらい……こんな時間に家に来たのは、初めてである。
幸い、現在南野家にいるのは蔵馬だけ。
その彼も今さっき帰ったばかりらしく、制服を着替えている最中だった。
今日の人間界は、この季節にしてはかなり暑い。
制服の下に着ていたカッターシャツは、大分汗で濡れてしまっている。
普段は、制服だけ脱いで、ズボンを履き替えるだけなのだが、今日は上着も代えることにし、Tシャツに着替えようとしていた…丁度その時、飛影は来たのだった。
当然、下はズボンをはいているが、上半身は裸である。
無言のまま、勝手にベッドに座る飛影を背に、蔵馬はタンスから新しいシャツを取り出して、頭からかぶろうとした。
と、その時……。
「……傷は…」
黙ったままだった飛影が、ふと口を開いた。
Tシャツから頭だけ出した状態で振り返る蔵馬。
飛影は一瞬顔をそむけたが、視線だけ彼に向けた。
「腹の傷は……消えてないのか」
「傷?ああ、これ。まあね…」
笑顔で言う蔵馬。
その下の細い腹……岩で撃たれ、糸で引き裂かれ、爆弾で破壊され、燐火円礫刀でえぐられ、鎌で斬られ、あらゆる敵に殴られたり蹴られたりした場所。
未だ消えぬ傷が、くっきりと残されていた。
そしてその発端は間違いなく、飛影によって貫かれた、あの古傷だろう。
蔵馬は自分や幽助たちと違い、ほとんど脱がない。
脱いだ方が、発汗しやすいし動きやすいのではないかと思うが、彼は服の至る所に植物を隠しているのだから、脱がない方がメリットが高いのだろう。
それ故にこの傷を見るのは、正直初めてのことだった。
ただそこに傷跡が残っているであろうことは、予想がついていたが……。
「一生消えないと思うよ。いちおう身体は人間だからね」
「消せ。何としても」
「そんな無茶苦茶言われても……」
「皮取り替えてでも、消せ」
「皮の取り替えって……人間の皮膚移植は難しいんだよ。拒絶反応とかあるし……というより、何でそんなにこだわるんだ?……もしかして、気にしてるのか?」
「……」
何気なく尋ねた蔵馬の言葉に、飛影は黙り込んだ。
あまり尋ねられたくないことを聞かれ、それが図星だった時、彼には押し黙る癖がある。
むろん気付いているのは、蔵馬くらいのものだろうが……。
だからこそ毎度毎度、からかわれるのだが。
しかし、今回…蔵馬はからかったりしなかった。
事が事だけに……。
飛影がもし、ずっと気に病んでいたとすれば……自分が悪いなどという、加害妄想にまでは発展はしなくとも、やはり気になる。
シャツをしっかり着てから、飛影が入ってきた窓の下に座った。
ふうっと深く息を吐いてから、
「あれは俺が勝手に乱入しただけなんだから、飛影が気にすることじゃないだろ。この傷だって、降魔の剣による傷はもう残ってないし」
「……随分だな。前は古傷と同じ場所に攻撃受けたから、どうこう言っていたやつが」
「事実を明白に述べているだけさ。あの時は実際そうだったんだから」
全くフォローになっていない。
彼は飛影を元気づけたいのか、落ち込ませたいのか……。
もちろん、本人としては、飛影に何も気にしなくていいということを告げたいだけなのだが、いつもからかっているだけに、適切な言葉が浮かんでこないのだ。
しばらく黙っていたが、「まあいいか」と飛影に聞こえぬよう小さく呟いてから、
「それに降魔の剣の前にも、腹に傷受けたしね」
「……は?」
「南野秀一になってからで言えば、最初が確か幼稚園くらいで、次が小学生の低学年で、その次が……」
「おい……」
「それに、八つ手からも受けたしね」
「……あれは胸だったろうが!」
「そうだっけ?」
怒鳴る飛影に、とぼけて言う蔵馬。
瞳が大きく開いたその顔を見た途端……飛影の肩から力が抜けた。
百戦錬磨の飛影である。
傷跡から、いつ頃出来た傷なのかは、大体分かる。
一番下の傷でも、ここ数年以内のもの……それに深さや幅からして、降魔の剣以外のものとは到底思えない。
ようするに、蔵馬が言っている『降魔の剣の前』というのは、完全に口から出任せということに……。
つまり、飛影が気にしないでいられるようにと、嘘八百並べているのだ。
そこまでされると、飛影は何だか腹立たしくなってきた。
そこまでしてもらわねばならない理由など何処にもない。
そこまでしてもらわねばならないほど、落ち込んでもいない(と、本人は思っているつもりらしい…)。
そこまで子供扱いしたいのか……。
そう思うと、悩んでいたことが……気にしていたことが、アホらしくなってきた。
消えない古傷くらい、誰にでも1つくらいあって当たり前。
それに本人の言うとおり、乱入してきた方も悪い。
あれによって、自分は幽助に霊丸くらってぶったおれたのだし……。
気にする必要など何処にあるだろうか……。
「……もういい。ばかばかしくなってきた」
ごろんっとベッドに横になりながら言う飛影。
もう気にしてもいないし、悩んでもいない。
いつもの……憎まれ口を叩いて、堂々とベッドを占領してくる飛影に戻っていた。
それを見ながら、にこっと笑う蔵馬。
そうでなくてはいけない。
飛影は多少強引な方が、彼らしい。
古傷のことなんかを気にするのは、彼らしくない。
「そう。あ、そうだ。飛影、今日何の日か知ってる?」
「……しらん」
「忘れたの?今日は……俺と飛影が、初めて会った日だよ」
「あっ……」
すっかり忘れていた。
数年前のあの日…雪菜を捜して人間界に来て、妖怪八つ手と戦った直後のことだ。
深手を負わされ、捨て置かれた後、近づいてきた妖気。
てっきり八つ手の差し向けた者だと思って、先手必勝と襲いかかった。
それが、蔵馬……今より背が低く、髪もまだ短かった。
妖気も自分と大差なかったが、しかし腕はよかった。
すぐに追っ手ではないと判明したが、出血多量であっさり気絶……部屋に担ぎ込まれ、手当までされていたのは、正直驚いたものだが。
その後、各々の事情で八つ手との戦いに赴き、即興のコンビネーションで倒したが、ヤツは雪菜を知らなかった。
しかし蔵馬の目的だけは果たされた。
それは決して幸せな形ではなかったが……。
「フン、つまり今日は貴様が失恋した日か」
ベッドから身を起こしながら言う飛影。
その目は僅かにおもしろがったものになっていた。
今の蔵馬に彼女がいないことは知っている。
好意を持っている女性がいないことも。
だが、当時はいた。
八つ手に攫われたあの女……夢幻花の花粉で記憶を消したが、間違いなく蔵馬はあの女に好感を持っていた…。
しかし……軽く揚げ足とってやったつもりなのに、蔵馬の顔は「からかわれた」とは全く思っていなかった。
それどころか、何かに驚いているような……。
「……飛影」
「何だ」
「君、『失恋』って言葉、知ってたの?」
ドッターン!!
派手に音を立てて、ベッドから転げ落ちる飛影。
ツッコミどころがまるで違う……。
飛影が床にたたきつけた顔を持ち上げている間も、蔵馬は驚きを隠せない顔で、
「意外だ。すごく意外。もしかして、自分もしたことあるとか?」
「ばっ!!バカ言うな!!」
「ムキになって♪妖しいな〜」
「蔵馬、貴様ー!!ぶっころ…」
「?。何?」
「ぶ、ぶんなぐるぞ!!」
流石にもう『ぶっ殺す』とは言えない飛影。
あの時の言葉は、蔵馬は何とも思っていなかったろう。
思うヒマもなかっただろうから……。
今も冗談として受け取って、本気にはしないと思う。
だが、蔵馬の考えはともかく……もう言いたくなかった。
あの言葉は二度と……。
西の空が紅く染まる。
まるで飛影の顔のように……。
そう、2人が初めて会った時も……確か、こんな空だった。
蔵馬が流した血の色も……飛影が邪眼に浴びた血も…。
今では思える。
『裏切ってくれてよかった』と……。
裏切られなければ……おそらくは二度と会えなかった。
今となってはそんなこと考えられない。
いつも一緒にいなくていい。
ただ、会いたい時には会いたい。
二度と会えないなんて、思いたくもない。
生まれて初めての絶望感。
今ではそれも懐かしい……。
終
〜作者の戯れ言〜
多分、飛影くんショックだったと思います、あれは……。
幽助くんに殴られた時も怒ってましたけど、蔵馬さんが乱入してきた時ほど、怒ってなかったですもんね…。
あれ以降、飛影くん無口になっちゃったし……。
一年前に出会った時から、瞬時にコンビネーションが出来るくらい気があってた人なのに、裏切られて……。
でもあれがないと、飛影くんずっと蔵馬さんと会うこともなかったでしょうから。
ところで蔵馬さんのお腹の傷ですが……。
彼は他のメンバーと違って、ほとんど脱いだことがないので、治ったのか治ってないのか、はっきりしないですね。
vs凍矢くんで、少しめくれたけど、でもそれも胸部までだったし、vs仙水でも服ビリビリになったけど、肩あたりがはだけただけだったし。
映画第二弾で池に入ってた時も包帯巻いてたし……って、包帯とっても、あの時もお腹怪我してたから、同じですね。
本当、お腹の傷と縁のあるお人ですよね……(あんまり怪我してほしくないけど…)
そういえば、書き終わってから気付いたんですが……。
飛影くん、幽助くんや桑原くんには「殺すか?」とか「死にたいのか?」とか、しょっちゅう使ってますね(汗)
蔵馬さんにはあんまり使ってなかったと思いますが…(躯さんのこと言われた時は、恥ずかしさのあまり言ってしまったようですが…/笑)
|