<初夏色> 2

 

 

それから一週間後。
つまり日曜日であるが、その日の朝。

「兄さん、今日ヒマ?」

洗面所で顔を洗っていた蔵馬に、弟の秀一が声をかけてきた。
タオルを顔におしつけ、ある程度水分をふきとってから、振り返る蔵馬。
ピンでまとめあげているが、横から落ちてくる後れ毛が少し濡れていた。

「特に予定はないよ」
「だったらさ。買い物、つきあってくれないかな?」
「いいよ。何買うんだ?」
「ちょっと、ね……」

言葉につまる秀一。
蔵馬はすぐにピンときて、面白そうに微笑を浮かべながら、弟の顔をのぞき込んだ。

「好きな子にプレゼント?」
「そ、そんなじゃないよ!」

真っ赤になりながら否定する秀一。
しかし、こんな顔では、口で何を言っても、『その通りです』と言っているようなものである。

「隠しても無駄だよ。顔に書いてある♪」
「……兄さんの意地悪…」
「丸わかりの顔する方が悪いよ♪」

……好意を持っていた少女から、好意を持たれていたことに全く気付いていなかった者の台詞だろうか?
あの少女の態度は、明らかに好意がある者のすることである(恋愛に全く興味のない、管理人でさえ、分かったくらいなのだから!)
そうでなければ、一体なんだったのだろうか……。

 

「とりあえず、着替えてくるよ。秀一は先に朝ご飯食べてて」
「うん、分かった!」

蔵馬の返答が「OK」を意味するものと瞬時に分かったらしい秀一。
再婚した親の連れ子同士なので、一緒にいる時間はそう長くないが、それでも毎日顔をあわせていれば、考えていることくらい何となく分かる。
空に取り憑かれていた時は別だが、あれ以降はごく普通の兄弟として、日々を送っている2人。

再婚相手同士の連れ子というのは、上手くいかないこともあるが、彼らはそれに該当しなかった。
むしろ、今まで赤の他人だったのが嘘のように、仲の良い兄弟になっている。
妖狐時代もひっくるめて、弟という存在が今までなかった蔵馬にとって、秀一の存在はとても新鮮で心地よい物だったのだ。

 

 

「さてと」

部屋に戻った蔵馬は、パジャマの前ボタンを外しながら、タンスを開けた。
弟と買い物に行くのだから、ある程度はまともな格好で……と思ったのだが。
前にも言ったが、流行やおしゃれに興味のない彼は、大した服など持っていない。
元々それほど凝る気はないが、それでも……。
学生の頃は制服でもよかったが、今はそうもいかない。
少し決められた服というのが懐かしかった。

「……仕方ないか。これ着ていこう」

そう言いながら蔵馬が手にしたのは、この間ぼたんたちにほとんど無理矢理着せられた例の服である。
いちおう洗濯してから返そうと思っていたのだが、ここ数日会うこともなかったので、返しそびれていたのだ。
派手に汚さなければ、もう一回くらい着てもいいだろう。

パジャマを脱ぎ、シャツに腕を通す蔵馬。
ボトムを履いて、サマーコートを着、タンスの内側についている鏡の前に立ってみる蔵馬。
髪の毛は……ついでなので、あの時と同じ、ポニーテールにしてみた。
あの日とほとんど同じスタイル……いや、カラーリングは一日だけのものだったので、もう落ちているのだから、髪の色だけはいつもの深紅だったが。

「……ま、これでいいか」

 

 

 

「どれがいいかな〜」

ウインドウの前で、色々見て回る2人の秀一。
女子たちとの買い物は、完全に引っ張られるだけなので、いささか疲れるが、弟とのショッピングは自分の意見も通せるので、結構楽しい。
それに恋する弟の仕草は見ているだけでも、面白いので、

「どんな子?」
「普通の子だよ。すっごく可愛いだけ」
「はいはい。ごちそうさま」
「兄さん!」

またしてもトマトのように真っ赤になって、叫ぶ秀一。
しかし、日曜の繁華街では、こんな兄弟の会話など、誰も気にとめないだろう。
多少美形すぎる蔵馬に、目を奪われる人たちはいたとしても……それが原因で、あちこちで破局しかけているカップルが続出していたのだが…。

 

「そうだな。これとかどうだ?」
「あ、いいね」

蔵馬が見つけて、秀一に勧めたのは、2つのブレスレットだった。
1つは、透明の小さな楕円形のビーズが主体で、等間隔につけられた3つの大きな蒼いビーズが際だっている。
もう一つは、薄い水色と藍色の丸いビーズが交互に並び、留め金の部分だけが銀色だった。
どちらも若い女生徒向きであることは、見れば分かるし、それにデザインもなかなかいい。
値段もそれほど高くなく、中学生には買う方も貰う方も、気にならないくらいだった。

「両方いいな。どっちにしよう……兄さん、どっちがいいと思う?」
「それは秀一が決めないと。俺の考えだったら、俺がプレゼントするみたいじゃないか」
「そうだね……じゃあ…えっと……」

 

その後も秀一は延々悩み続け、ようやく片方を選んだ。
綺麗にラッピングしてもらうと、嬉しそうに鞄にしまいこみ、財布を取り出した。
が……、

「あ、しまった。お金足りない……昨日おろした貯金、机の上に忘れてきた…」
「そそっかしいな、秀一は。少しなら貸せるよ」
「ありがとう。兄さん…」

少し恥ずかしそうに、しかし秀一ははっきりと言った。
ようやく今日のメインイベントが終わり、2人は喫茶店でお茶をしてから(むろん兄のおごりである)、帰路についた。

 

繁華街を離れ、住宅地へと入ってきた時、ふいに蔵馬の携帯電話が鳴った。
音楽からすると、電話の方ではなく、メールのようである。

「兄さん?誰?」
「桑原くんだ。秀一、悪いけど、先に帰っててくれるか?晩ご飯いらないって言っておいて」
「分かった。あんまり遅くならないようにね」
「ああ」

走って帰っていく弟を見送ると、蔵馬は再び歩き出した。
が、しかし……彼が向かっていくのは、桑原の家の方角ではない。
かといって、自宅の方向でもなかった。
時間が遅いせいもあるだろうが、どんどん人通りは少なくなっていく。
電灯も段々減っていき、辺りは闇に包まれ始めた……。

 

 

 

やがて彼がたどり着いた場所……そこは、自宅でもまして桑原の家でもない。
人気の全くない、近くに家もない、だだっ広い空き地だった。

「……さっきから付けているのは、分かっている」

急に立ち止まった蔵馬が言った。
その声は普段の南野秀一のものではなく、妖狐蔵馬のものに近い。
そして、その発現に答えるように、彼の背後に前方に横方向に……次々と付けてきていた者たちが現れた。

 

それは蔵馬にしても、かなり意外なことだった。

誰かが付けてきていることは分かっていた。
それも複数で、色んな方向から見ているのだと……。
だが、あまりに数が多すぎて、それがどういう種類かまでははっきり分からなかったのだ。

今現れて明確になった事実……。
何と付けてきていたのは、人間やら妖怪やら霊界人やらと、種類も種族も年齢もバラバラ。
そしてそのほとんどが蔵馬と初対面であろう者たちだったのだ。

一致していることといえば、全員が男だったということだけ……更に自分に対するのが、かなり奇妙な『気』だということだろう。
『殺気』は確かにある。
『悪気』…つまり悪意もある。
だが……この妙な『気』は一体なんなのだろうか?

過去に身内を殺されたとか、自分自身が酷い目に遭わされたとか、宝を盗られたとか、そういう方向性ではない。
何というか……妬みだろうか?
蔵馬に対して、激しい怒りを燃やしているようなのだ。

 

 

「……何か用か?」

「用も何もあるか!!」
「この最低野郎!!」
「男の風上にもおけねえ!!」

「…はああ?」

何を言われているのか、さっぱり分からない蔵馬。
とりあえず、悪口だということは分かるが……しかし、いくら嫌なことを言われても、全く身に覚えがないと、いきなり怒る気にもなれない。
勘違いかとも思ったが、そうでもなさそうなのである。
彼らの目は本気だった……。

 

「(もしかして誰かと勘違いしてるのか?……)あのさ…」

 

「問答無用ー!!」
「くたばれー!!!!」
「女の敵ー!!!!」