<魔法使い> 1

 

……ふいに蔵馬は気配を感じ、窓を振り返った。

敵意や悪意は感じなかったが、それ以外の何やら妙な……どう形容すべきか分からないような気配を。
その主は意外な人物だった。

飛影なら分かる。
特に用もないのに、窓から不法侵入し、勝手にベッドに横になり、そのまま寝てしまうことも、しょっちゅうである。

 

しかし……今夜、彼の元を尋ねてきたのは、目つきの悪い邪眼師ではなかった。
彼ならば、こんな妙な気は発さないだろうし、ずう〜んと影を背負って登場することもないだろうし、オールにまたがってやってきたりもしないだろう。

「ぼたん。どうしたんだ?こんな夜中に」

話しかけても、来訪者…ぼたんは俯いたまま、顔を上げようとしない。
下を向いたまま、ブツブツ何やらつぶやいているようには見えるが……。
流石に耳のいい蔵馬も、何を言っているのかさっぱり分からない。
いや分からないのも道理……ぼたんは今、自分が何を喋っているのかも分からないくらい、支離滅裂なワケの分からないことを反芻しているのだから……。

「と、とにかく中に……」
「……し…れ…」
「は?」

「蔵馬ー!何とかしとくれー!!」

 

 

 

「……落ち着いた?」
「うん……」

ベッドにぼたんを座らせ、蔵馬は回転椅子に腰掛けた。
手には先程入れてきたコーヒーが乗っている。
ぼたんにも入れてきたのだが、混乱のまま一気飲みしてしまったので、彼女のカップはもう空っぽだった。
ついでに思いっきりむせ返ったのだが……そのおかげで、さっきまで正気の沙汰ではなかったのが、まともに喋れるまで回復していた。

「それでどうしたの?何かあったんだろ?」
「う、うん……聞いてくれる?」

聞いてもらうために来たんじゃないの?と言いかけて、蔵馬は言葉を止めた。
からかっていいものかどうか……ぼたんの焦りようは半端ではなかった。
もし相談内容が霊界の一大事的なことであれば、からかうのも不謹慎である。
最もそれならば、幽助のところに行くだろうから、そこまでのことではないだろうが。

「いいよ。俺の出来る範囲なら、手助けするから」
「あ、ありがとう……実は…」

 

 

 

〜ぼたんの話〜

数日前。
ぼたんはいつものように、霊界案内人としての仕事を終え、帰路につこうとしていた。
だが、直接帰る気になれず、人間界に空中散歩に出かけたのだ。
といっても、この日だけに限らず、よくやっていたのだが……。

しかしあそこまで低空飛行したことはなかった。
それがまさかあんなことになろうとは……。

 

商店街の上を飛び抜け、住宅街の方へ。
民家の屋根すれすれを飛ぶのは、少々危険を伴うが、このスリルがたまらない。
屋根を軽く蹴ったり、オールを鉄棒のようにして一回転したりしながら、るんるん気分で飛び回っていた。
時折、ひなげしのように跨って、超高速ですっとばしたりもした(この日は私服だったので、ズボンをはいていたのだ)。
正面に迫ってくる塀、ギリギリまで近づいてから一気に急ブレーキをかけるのが、また楽しいのだ。

……が、その何度目かの超高速を行った直後…。
つまり急ブレーキをかけ、ストップした時であるが……ぼたんは目の前に塀がないことに、驚愕した。

遠目からは塀にしか見えなかった。
が、そこは実は窓で……内側のカーテンが灰色っぽかったので、壁の色と同化し、塀に見えただけだったのだ。
しかも最悪なことに……その窓は開いてしまったのだ。
ぼたんの動きが止まったのと、ほぼ同時に……。

 

「……」
「……」

見つめ合うこと、2秒。
それが人間の少女であることに気づくのに、更に4秒。
そして少女が声をあげた時、初めてぼたんは正気に戻った。

「ああー!!!」

我に返った時にはもう遅く、自分の姿はしっかりと少女に見られていた。
ぼたんの顔から、すうっと血の気が引いていく。

普通の人間に見える霊界案内人は少ない…というか、ほとんどいない。
ぼたんは霊界探偵の助手として、特例で見えるようにしてもらえているのだ。
ただし条件として、霊界や霊力、霊界案内人etcについて知らない人間には、霊界案内人だとばれないようにすること、と言われている。
もし破った場合は……。

「(マズイ!!このままじゃ、コエンマさまにお尻ペンペンされるよー!!)」

……何とも低レベルな罪だが、ぼたんにとっては血の池のドブさらいよりも、もっと苦痛である。
とにかく逃げるしかない。
コエンマに知られなければ、何とか隠し通すことも出来るかもしれないのだ。
バレないようにするには、一刻も早くこの場を立ち去るしかない!!

大慌てで、オールをUターンさせるぼたん。
しかしオールが進まない。
何となく嫌な予感がし、ゆっくりと振り返ってみると……。

 

「(げっ!)」

何と少女がオールを掴んでいたのだ。
怯えて腰を抜かしてくれればいいのに、少女は怖がるどころか、身を乗り出さんばかりにして、オールにしがみついている。
紅潮した頬、キラキラと輝く瞳、期待に溢れた表情……一点の曇りもないその顔は、ぼたんの母性本能を刺激するものでしかなかった。

「(ま、まずい……どうしよう。振り払えないよ〜)」

どうすればいいのかと、オロオロするぼたん。
Tシャツにジーパンでは、まさか霊界案内人(=死に神)だとは思われないだろうが……カンがよければ、見抜かれるかもしれない。
それだけは避けねばならないが、混乱しまくった頭では、どうすればいいのか、いい案が全く浮かんでこない。
グルグル回る頭を抑えつけながら、何とか思考回路を働かせようと四苦八苦……。

 

が、幸運にも少女は全く違うことを想像してくれたらしく、ぼたんに向かって、叫んだ言葉は、

「魔法使いだ!!」

だった。

 

 

 

「……は?」

少女の一言に、混乱していた感情が一気に冷める。
再び少女を見つめると、彼女は嬉しそうに、もう一度、

「お姉ちゃん、魔法使いでしょ!?」

と、説いてきた。
その言葉には邪気の欠片も感じられない。
心の底から純粋にそう信じ込んでいるらしい。

「え、いやあたしは……」
「魔法使いだよね!黒っぽい服来て、ホウキに乗って!」
「ホ、ホウキ??」

これがホウキに見えるのだろうか?
まあ、ワラのついていないホウキに、見ようと思えば見れないこともないかもしれない。
今日来ている服はどちらかというと黒系統……ズボンをはいているのは、気にしていないのか、興奮のあまり気づいていないのか……。

しかし、これはチャンスでもある!
魔法使いとして見られたならば、何とか誤魔化しようもあるかもしれない!

 

「そ、そうだよ!あたいは魔法使い」
「すごい!!初めて見た!!」
「そりゃそうだろうね〜。魔法使いはあんまり人前に姿を見せちゃいけないことになってるから」
「え?いけないの?」
「そうだよ。魔法使いは人間と話したら、寿命が縮んじゃうの。姿を見られるだけでも、1年短くなるんだよ」

何とかこの場を立ち去る口実を考えながら、出任せ言いまくるぼたん。
こんな純粋な少女を騙すのは、気が引けるが、場合が場合と何とか逃げる方法をあれこれ思案し、

「と言うことだからさ。離してくれない?もう行かないと」
「……ねえ、お姉ちゃん」
「な、なに?」

すぐに離してくれると思ったのだが、彼女は離すどころか、更にオールを握る力に手を入れた。
そしてキッと真剣な表情になって、ぼたんを見上げ、

「魔法使い同士だったら、大丈夫なの?」
「え?あ、えっと……た、多分」
「だったら、あたし魔法使いになる!!」
「え゛っ!!?」

突拍子もない少女の言葉……。

一瞬、ぼたんの意識は完全に凍結し、肉体もまた硬直。
そのままオールからずれおち、屋根の上にべたんっと落ちてしまった。
まだ表情が固まったままのぼたんを、心配そうに見つめる少女。
自分も屋根の上に降り、ぼたんの顔をのぞき込んだ。

 

「大丈夫?お姉ちゃん?」
「な、な、な、何でそうなるのさ!!」

パニックになりながらも、何とかそれだけ言って、起きあがるぼたん。
しかし、少女はぼたんが混乱している理由が分からないらしく、きょとんっとした表情で、

「だって、魔法使い同士なら大丈夫なんでしょ?」
「え、いやその……」
「あのね!あたし、前から魔法使いになりたかったの!!憧れてたの!!」
「……は?」

話が段々違う方向へ来ているような……だが、少女の勢いは止まらなかった。

「あのね!あたし、小さい頃から魔法使いになりたかったの!空を飛んで、魔法使って!……でもね、クラスの子たちが言うの。『魔法使いなんていない。ただのおとぎ話』だって。だからね、あたしどうしてもなりたいの!お姉ちゃん!魔法使うなんて贅沢言わないから!空を飛びたいの!お願い!一回でいいから、1人で自由に飛んでみたいの!!」

「……」

少女の気迫に押され、後ずさりするぼたん。
かなり子供っぽい理由のようだが、彼女の魔法使いに対する執着は並ではなさそうである。
ここで何もせずに立ち去ってしまえば、彼女は何が何でもぼたんを探し出しそうとするだろう。
子供である以上、張り紙なんかが限度だろうが……。
しかし、そうなっては、他の霊界案内人に自分の似顔絵が描かれた張り紙などが見られる恐れがあり、つまりは人間に姿を見られたことがバレ、コエンマにお仕置きを……。

 

あれこれ考えた末、ぼたんは、

「わ、分かったよ……」
「本当!?ありがとう!!お姉ちゃん!!」
「あ、あ、でも焦らないで。今日はダメだよ」
「そうなの?何で?」
「え……えっと……」

返答を躊躇うふりして、辺りをきょろきょろ見ながら、何とかコジツケでも口実になりそうなものを探すぼたん。
と、彼女の瞳に半分だけの月が映った。

「そ、そう……月が欠けてるから」
「月?あ、そっか!月は魔力の源だもんね!」
「そう、そうなんだよ!」

どうやら魔法使いについて、ある程度は調べているらしい。
昔から、暗い夜空に浮かび、全てを照らす満月は、とかく強大な力と結びつけられる。
その影響で、魔法使いにとっても、月は魔力の源とされるのだ。
まああくまで人間の想像なので、本当のところはよく分からないが……。

 

 

「じゃあ満月の日なら出来るんだね!」
「え、まあ……あ、で、でもね……」
「待ってるね!!次の満月の夜に、ここで!!」
「…あ、でもその……」
「あ、ここじゃダメ?じゃあ、三丁目の公園で!あそこなら人来ないから!」
「だ、だから話を…」
「おやすみなさ〜い♪」

そう言うと、少女はあっさり部屋に戻ってしまった。
窓の外から張り付いて部屋の中を見たが、既に少女は夢の中……。
空を飛んでいる夢でも見ているのだろうか、気持ちよさそうな微笑みを浮かべている。

しかし、そんな幸福そうな少女とは裏腹に……。
ぼたんの方は、ただひたすら真っ青になって、失神するのを防ぐので精一杯だったのだ……。

「ど、どうしよう……」