<しないワケ> 1

 

 

 

「そういうたらさ〜。浦飯は、コクらへんのか? 南野に」

 

 その発言に、口に半分ほど含んでいた豆乳を思いっきり吹き出したのは、問われた少女こと浦飯琉那ではなく、机を挟んで反対側に座っていた十干丁だった。

 予想していたわけではないが、曲がりなりにも暗黒武術会を制覇した男の娘。
 宙を舞う液体が届く前に、机の上のものをかき集めて、綺麗に逃げるくらいは朝飯前だった。

 

 

「な、な、な……」

「ちょっと、安倍。豆乳がもったいないじゃない」
「そういう問題かいな」

「そういう問題よ。うちでは、食べ物を粗末にしたひとには、おかーさんの鉄拳制裁が待ってるんだから。よその子だろうと容赦ないよ、おかーさん」

「なんや、親父はんやないんか。よう知らんけど、前にお前の弟が言うとったで。殴られたら、あっちの方が痛いんちゃうん?」
「……どっちかって言うと、痛いじゃすまないんだけど。まあ、普段怖いのは、確実におかーさんの方よ」

「ふ〜ん。そんなもんか」
「そんなもんよ。というか、あんた何時、寵に会ったわけ?」

「初等部に用あった時にな。浦飯≠ネんて名字、お前ん家くらいやろ?」
「ああ、名札か……ま、他には聞いたことないわね」

「似とらん姉弟やな〜、めっちゃええ子やん」
「同感だけど、殴るよ?」

「遠慮しとくわ、顔面へこんでまう」
「じゃあ、腹にしとく?」

「昼飯もったいないで?」
「それもそうか」

 

「何言ってんだ、てめえはあああぁぁぁ!!!」

 

 口の周りを拭くことも忘れ、丁は斜め前に座る安倍月雨に掴みかかった。

 無論、ルナが止めるはずもない。
 それより先にすることがある。
 空いている隣の席に、手に持っていた3人分の弁当箱や3人分のノートなどを置き、ティッシュで机を拭う。

 

 

 そう、彼らはただいま、昼食中なのだ。
 しかも、単に弁当箱とだけ向き合っているわけではなく、その他色々ノートやら資料集やらとも睨み合いながら。

 何故か?

 答えは簡単なことで、社会のグループ課題が授業中に終わらなかったため、昼休み返上で続きをやっていると、ただそれだけのこと。
 クジ引きで偶然決まってしまったことでなければ、まず進んで3人が一緒になることはないし、教師だってわざわざこの3人を一緒に組ませようとはしなかっただろうが。

 本当ならば、丸投げしたいのは3人とも同じ気持ちなのだが、担当教師がテストよりも平常点を優先させるタイプのため、それも出来ず。
 こうして、ピリピリした空気を纏ったまま、昼飯ついでに続きをやっているのだった。

 

 

 ……そんなただでさえ、不穏な空気が漂っている中、月雨のいきなりの発言。

 別段、丁とて恋愛ごとに疎いわけではないし、恋愛話が嫌いなわけでもない。
 普通の中学生レベルには、興味もある。

 

 だが、相手が……対象者が悪いのだ。

 

 

 南野紅光。

 一月ほど前、ホームステイから帰ってきたという、同級生。

 成績は、学年トップ……というより、日頃の小テストは元より、先日の定期テスト、全教科100点以外なかったらしい。
 授業態度も真面目で、提出物は模範解答レベルのため、平常点も高く。

 スポーツ万能で、背も平均以上。
 靡く金髪は黄金のようで、碧眼は深い海のごとし。

 回転の速い頭でもって、いやな教師に打ち勝つほどの実力者。
 何より、校内校外とわず、ひそかに或いは盛大にファンクラブ(全て非公認)が作られるほどの、絶世の美少年。

 ……だけならば、まだしも。

 

 その紅光が、実は人間ではなく、妖狐たちから生まれた子で、更にもっと別の血も受け継ぎ、挙げ句魔族であるルナの幼馴染みとあっては。

 うまくいってもいかなくても。
 確実に、平穏な日常は去っていってしまうだろう。

 

 

 丁の望むのは、常に日常=B
 何と言われようとも、とにかく日常=B
 内心アレだろうと、突っ込まれようとも、口から出るのは、リア充第一=B
 それだけなのだ。

 そこから遙か果てしなく遠くに位置する事柄には、なるべく関わりたくはない。
 その一心なのだ。

 

 ……まあ、月雨が転校してきた時点で、既に大分遠くへ去ってしまってもいるのだけれど。

 

 

 

「てめえっ、今の言葉消せ!! 今すぐ消せっ!!」
「一回出した言葉、どうやって消すんや? アホやな〜」

「んだとー!! 大体どっから出てくんだ、その発想自体っ!?」
「歴史の裏に、女性ありなんやろ。恋愛事は歴史につきもんやもんな。今やっとる戦国の云々にも結構裏事情あるみたいやし」

「……それだけ?」
「そんだけや」

 そこから何故、紅光とルナの事柄になるのか。
 全くもって不明だが、現実はそんなもんだろう。
 ポンポンっと話題が跳んでいくのは、何もオバサン連中に限ったことではない。

 最もだからといって、平常を望む丁が納得できるわけもないが。

 

「こんのみだら野郎!!」
「みだれ≠竅A言い直せっ!!」

「誰がっ!!」
「なんやとー!! ……あれ?」

 ふと、月雨の視線が、胸ぐらを掴んだままの丁を離れ、左右に振られる。

 

「……何だよ」
「浦飯どこ行ったんや?」
「あ」

 同じように探すと、ルナはいつの間にか教室の入り口にいた。
 その目の前には、たった今、話題となっていた少年の姿……。

 

 

「なんやろなんやろ。コクるんかいな」
「てめ……そうなったら、地獄へ送ってやる」

「何でそうなんねん!」
「全部てめえのせいだからだっ!!」

 ぎゃあぎゃあ言い合う2人をヨソに。
 紅光とルナの会話といえば……、

 

 

「まだ、終わりそうにないのか? ルナ」
「当分無理。放課後まで伸びないといいけどね……」
「そうか」

「ピカはいいよね。授業中も半分で片付いちゃってさ」
「さほど難しくはなかった」

 

「……手伝ってくれるわけはないか」
「自分でやるべきことだ。お前たちを手伝うと、ほとんど私がやることになる」

「ハイハイ、分かってます。――まあ、そういうことだから、授業終わったら、すぐに帰っててね。おかーさんに伝えてよ。あたし少し遅くなるって。今朝、すっとんで帰るって言ったからさ」
「分かった」

 

「あ〜あ。せっかくの南野家浦飯家の合同焼き肉パーティだったのにな〜」
「準備はこちらでしておく」

「……ピカは手伝わないで」
「何故だ?」

 

 ……という何とも、色気の欠片もないやりとりであった。

 ちなみに、何故紅光に料理を手伝わせたくないのかといえば。
 欠点などなさそうな彼だが、料理に関しては、たまにトンデモないことをやってくれるからだったりする。

 

 とはいえ、事実を知っている者は少ない。
 ここ中等部には、選択授業でなければ、調理実習がないのだ。
 更に、紅光は10歳からの数年間、地元を離れて、ホームステイしていたため、初等部でも料理をした経験がない。

 だからこそ、彼は「完全無欠」などと言われているのだが。

 

 

 

 それはそうと。

 2人のかわす言の葉は、どこまでもただの幼馴染み≠フ会話。
 周囲からは羨望の視線がないわけではないが、会話内容がコレな上、相手が不良で有名なルナのため、割り込んでくる者はいなかった。

 最も、中学生になっても、ここまで仲の良い男女の友人関係が続くのは、あまり多いことではないだろうが。

 

 しかし、彼らは単純に家が近い同い年。同じ学校に通っている≠ニいうだけでなく。
 その他にも、普通の人間じゃない∞父親同士が腐れ縁∞母親同士も友人同士≠ニいう、更なる追加要素がある。

 未だ、名字で呼び合わず、下の名前(紅光は渾名だが)で呼び合うのも、学校に入ったからといって、今更……と、紅光は思っているのだろう。
 更に、他人には明かしていないホームステイ先が、ものすごい辺境の土地であったため、下の名前で呼び合うのが極自然なことだったこともあると思われる。

 

 もちろん、ルナにとっては、そうではないことを。 

 紅光以外、ぼんやりと気づいている者は少なくはなかった。

 

 

 

 

「なあ、なあ、浦飯!」
「何よ?」

 紅光と別れ、戻ってきたルナに、間髪入れず、月雨が問いかけた。

 

「コクったんか?」
「おまっ!!」

「何でそうなるのよ」

 月雨がワクワクと問い、丁が慌てふためく中、ルナは溜息混じりに、席へ戻った。

 どうやら、ティッシュを捨て、教室入り口の洗面台で手を洗っていた際、たまたま廊下を歩いていた紅光に出くわしただけだったらしい。
 今日の昼休みは確か委員会で呼ばれていたから、その途中だったのだろう。

 

 

「今日、ピカん家と夕食食べることになってるから。遅くなるって伝えてって言っただけ」

「よ、よかった……」
「なんや、つまらんな〜」

「? 何かあった?」

 対照的な反応に、首をかしげながら、ルナは残り少なくなった弁当箱を手に取った。

 

 

「何かもあるかいな。浦飯さ、南野のこと好きなんやろ?」
「…………」

「だから、何でてめえはそう混ぜっかえしたがるんだーっ!!!」

 この話はここで終わり。
 そうなって欲しかったのに。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。
 というか、むしろ冷たかった。

 

 

「ま、タイトル的にここで終わるっつうんは、ありえへんやろな」
「そんな裏事情持ち出してくんじゃねー!!」

「……というか、タイトル読めるんだったら、しないのなんか分かりきってんじゃないの?」
「それはそれ! これはこれやん!」
「ったく、勝手ね〜」

 はあっと肩を落とし、それでもルナの箸はちゃんと動いていた。

 

「つまり、タイトル的にいえば、あたしがコクんないワケ、話さないことには、この話終わらないわけ?」

 卵焼きを食しつつ、かなり嫌な顔をして、月雨に言った。

「みたいやな♪」
「安倍さ……そのニヤついた顔、何とかならない? ものすごく話したくない」

「そうだ、話さなくていいぞ、浦飯サン」

 丁の発言がルナを思ってのことではないのは、言うまでもない。

 

 本音としては、丁だって中学生男子。
 全く気にならないといえば、嘘なのだから。
 これ以上、話が長引くと、絶対に聞きたくなる自分を何処かで感じ取ってのことだろう。

 もう終われ、終わってくれ……。

 

 そんな切実な思いは、

 

「……まあ、別に言わない理由もないもんね。大した理由じゃないわよ? 後、ピカには言わないでよ。言ったら、普通に殺すからね。証拠隠滅にお肉食べてくれる知り合い、いないわけじゃないからね?」

「おう♪」
「…………」

 

 あっさり打ち砕かれたのだった。