同級生たちに礼を言って別れた後、瑪瑠は小高い丘へと登った。
街中よりは、城がよく見える。
「あそこでパーティか……」
「行きたいのか?」
問われて、瑪瑠は振り返る。
そこに立つ蔵馬もまた、城の方を見ていた。
人間界に来る頃には姿を消し、今まで見かけなかった。
けれど、彼の神出鬼没は今に始まったことではない。
「ううん。私、結婚とかまだ考えてないし。街中のお祭りだけで充分楽しかったし」
「なら、どうした?」
「うん……お城のパーティへ行きたいのが…王子様のお嫁さんになるのが、皆の『心からの願い』なのかなって」
「……場合によりけりだろう。第一王子の妻になれば、自然と将来の王妃だ。暮らしは安泰、身分も申し分ない。求める者は少なくないだろう」
「でもそれは『お姫様』になりたいだけで、王子様の奥さんになりたいわけじゃないでしょ? 王子様がどんな人か、知ってるのかな?」
瑪瑠としては当然の疑問だった。
が、蔵馬は軽く苦笑し、
「王子は長く国を開けていたんだ。王子がどんな男か知っているわけがない」
「じゃあ、王子様がどんな人でもいいの?」
「それも場合によりけりだ」
「……」
それが本当に、『心からの願い』なのだろうか?
瑪瑠にはますます分からなくなってしまった……。
その後も『心からの願い』を探し、街や少し離れた小村にも向かってみたが、瑪瑠にそれは見つけられなかった。
確かに『願い』ではあるし、魔女の瑪瑠にならば叶えることも造作もないものもあった。
とりわけ、同級生が言った通りの、「城へ行きたい」という願いが多々あった。
だが、それは『心からの願い』ではないような気がしてならないのだ。
女性たちは豪華なドレスを求め、誰よりも美しく着飾って、王子の妻になりたがっている。
けれど、彼女たちは王家の一員になりたいのであって、王子のことを想っているわけではなかった。
ハロウィンに参加している子供のふりをして尋ねてみても、「王家になれれば、将来安泰」とか「王家の血筋になれば、一族繁栄」とか、そういった欲望のためでしかなかった。
確かに、長く国を開けていた王子自身を想って……というのは、理屈上確かに難しいだろう。
けれどだからといって、王子を見ていない、王家に目がくらんだ女性たちの願いを、瑪瑠はどうしても叶える気にはなれなかったのだ……。
「はあ……疲れちゃった」
「お前は疲れると、すぐに座り込むな」
結局、またあの小高い丘へと戻ってきた瑪瑠。
蔵馬は時折現れては、また去っていくを繰り返していた。
その間、蔵馬が何をしていたのかは知らないけれど、瑪瑠は特に気にしていなかった。
「時間があまりないが、どうする気だ?」
「……まだあるもん。探す」
「……強情だな。少しは妥協したらどうだ?」
「やだ! 絶対にあるはずだもん! 小さな国だけど、たくさん人がいるんだから! 『心からの願い』、見つけてみせる!!」
真っ直ぐに蔵馬を見上げる瑪瑠。
そう。絶対に譲れない。
妥協なんかしたくない。
きっといるはずなのだから。
『心からの願い』を持っている人が……。
「……その曲がらない信念と強情さに負けたことにするか」
「え?」
「あそこの家だ」
すっと蔵馬が指さしたのは、そこから少し離れた場所に、ぽつんっとある一軒家だった。
一軒家といっても、かなり大きい。
随分と古く、痛みも激しそうだったが、おそらく過去には名のある貴族が暮らしていたことを伺える屋敷だった。
「あそこが…何?」
首をかしげている瑪瑠の前で、屋敷の前に一台の馬車が到着した。
御者が大きな扉をノックすると、中からやや年配の女性と年若い女性2人が現れた。
3人とも豪勢なドレスを身に纏っているが、お世辞にもあまり似合うとは言えない。
御者が僅かに引きつった顔をしているのが、ここからでもよく見えた。
「……パーティ行くのかな」
「だろうな。アレで行くのは、ある意味立派だが」
くくっと嘲笑う蔵馬に、瑪瑠は失礼だよ! と言いつつ、けれど似合うとはやっぱり言えないかなと思っていた。
そうこうしている内に、女性たちは馬車に乗り込み、御者は一度中庭で馬車を方向転換させ、来た道を戻り始めた。
行く先は、やはり城らしい。
途中、同じような馬車とすれ違ったり、並んだりしながら、森の中へと消えていった。
「行っちゃったね」
「ああ。丁度いい。行け」
「え?」
「あそこの家だ」
「え、だって行っちゃったよ? 誰もいないんじゃないの?」
大きな家だ。
使用人くらいいても不思議ではないが、応対に出たのが主だった時点で、それはないだろう。
「いや。後一人、末の娘がいる」
「? じゃあ何で一緒に行かなかったの?」
「行かないんじゃない。行けなかったんだ」
「えっ…」
「継子らしい。よくあることだ」
蔵馬は多くは語らない。
けれど、その横顔が気分悪そうに一瞬歪んだのを、瑪瑠は見逃さなかった。
それだけで、あの家に残された彼女がどのような境遇なのか……分からない瑪瑠ではなかった。
「……その子は、お城に行きたいと思ってるのかな?」
「さあな。そこまで調べられなかった。が、行けないと悟った時には……」
泣いていたな。
蔵馬の言葉に、瑪瑠は目を瞠る。
そして、同時に悟った。
蔵馬が昼間一体何処へ行っていたのか……。
「蔵馬」
「何だ」
「ありがとう」
「何の話だ」
つっけんどんに言いながら、それでも彼がこちらを見ようとしない時点で、何を思っているのかは分かる。
そんな彼に瑪瑠は後ろから抱きついた。
「行ってきます!」
「……ああ」
「貴女……誰?」
空いていた窓から入りこみ、家の中を徘徊していると、中庭から声がした。
正確に言えば、声ではなかった。
必死に涙を押し殺して……それでも止められずにいる。
嗚咽の混じった涙声だった。
中庭へ足を向けると、木の根もとで蹲っている少女がいた。
瑪瑠より少し年上だろう。
長い黒い髪が背中を覆っていた。
身につけているのは、みすぼらしいもので……瑪瑠は一瞬絶句してしまった。
そして、瑪瑠が声をかける前に、人の気配を察したのか、少女が振り返ったのだった。
「……誰?」
再びの問いかけに、瑪瑠ははっとし、気を取り直して、
「私、瑪瑠。魔女なの」
「あの……ハロウィンだったら、うちは…」
「あ、違う違う! 私本物の魔女なの! ええっと…あ、そうだ! 見ててね!」
言うと、瑪瑠は手にしたホウキに跨って、ふわりと宙に浮いた。
運動神経のいい彼女は、体育のホウキレースで一位をとったこともある。
中庭をくるくると飛び回るくらいは、朝飯前だった。
少女は当然驚いたらしく、音を立てて立ち上がった。
けれど、瑪瑠が地面に降りてくる頃には、落ち着きを取り戻していて、
「本物の魔女なんだ……」
と、すんなりと信じてくれた。
「えっと、それで……」
「瑪瑠でいいよ」
「…瑪瑠。うちに何か御用かな? その…お義母さんたち、留守なんだけど」
「ううん。私は貴女に用があるんだ」
「私に?」
「うん」
きっぱりと言って、そして瑪瑠は言った。
「貴女の願いを……叶えたいの」
「私の…願い…?」
少女は一瞬目を瞠った。
が、次の瞬間だった。
「えっ、ど、どうしたの!?」
突然、少女の双眸から、止まっていた涙があふれ出してきた。
同時に両手で口元を押さえて、膝を折ってしまう。
「だ、大丈夫? 気分悪いの?」
「…っつ…くっ……うっ…ち、違う…の……」
ボロボロ泣きながら……それでも、彼女は言った。
「わ…私……お城、に……行き…たい……」
それは……とても小さな声で、消え入りそうなか細い声で。
けれど、しっかりと瑪瑠の耳に届いていた。