<Waivy> 1
深い夜。
どこまでも続く、闇の中。
俺は、ようやく見つけ出した。
あの男を……。
彼を捜し始めたのは、いつからだったろう?
もう覚えていない。
1年2年じゃすまないことだけは確かだけれど。
それくらいこの世界は広く、果てしない…。
まして、相手が伝説の妖怪・妖狐蔵馬ならば、なおさらだ。
……妖狐蔵馬。
長い銀髪と、氷のように冷たく恐ろしい眼を持つ狐の男。
だが、それ以外の手がかりはほとんどない。
出身地はおろか、アジトも分からず、またどのくらい生きているのかも全く不明。
もう随分前から、魔界を飛び回っているとは聞いているけれど。
極悪非道と謳われ、生きた伝説となっている彼だが、伝説だからこそ出会える機会は少ない。
自分が高価な品を持っていれば別だろうけれど、彼の求める秘宝は、彼を見つけ出すのと同じくらい難しい。
ならば、エサを手に入れるよりは、彼を捜す方が早いに決まっている。
それにエサで釣るようなマネはしたくなかったから……俺は、自分の足で彼を捜すことにした。
住み慣れた村を離れる前、周りの人たちは、「無駄だ」「やめておけ」としきりに止めてくれた。
「見つかりっこない」「見つかったとしても、勝てる相手じゃない」とも言っていた。
分かっている。
俺の勝率は、0%。
雀の涙ほどもない。
相打ちを狙っても、おそらくは倒せないと……。
でも、俺の決意は変わらなかった。
殺せなくてもいい。
せめて少しだけでも、復讐が果たせたら……それも出来るかどうか、分からないけれど。
一度決めたことは、最後までやり通す。
これが俺の信条だ。
決して何も放棄しない。
たとえそれが、自分の命さえも失うことになったとしても……。
妖狐蔵馬……兄の敵。
両親を早くに亡くした俺にとって、誰にも代えられないたった1人の大事な家族。
その人を、あいつは殺した……絶対に許せない!!
目前にヤツの姿を見つけた時、全身から炎が吹き出すのではないかというくらい、俺の身体は沸騰した。
怒りにまかせて向かっていきたかったけど……それでは、復讐の欠片も実行出来ない。
自分を殺すことも、この十数年で身につけてきたんだ。
やれば出来るはず……。
妖狐蔵馬が寄りかかっている樹に、一歩一歩近づいていく。
もちろん気配は完全に絶って、周囲の岩や樹に身を潜めながら。
彼は今眠っていて、俺には全く気付いていないようだけれど、油断は禁物。
後一歩で妖狐蔵馬にたどり着く……というところで、俺は足を止めた。
顔だけ背中の方へ回して、腰の後ろに忍ばせておいた短刀を取る。
サヤから抜くと、ほんの少しだけキラっと光った。
闇夜にその光は強烈で、一瞬見つかったかと思ったけれど、振り返った妖狐蔵馬はまだ眠っている。
岩に足を投げ出した体制では、直前に目が覚めても、避けられないだろう。
俺は息をのんだ。
これで復讐が果たせる。
これで兄貴の敵が討てるんだ。
そう思うと、心臓の鼓動が自然と早くなってくる。
でもここで声など上げられない。
せっかくのチャンスなのだから……。
きっと……うまくいく。
俺は意を決して、飛び出した。
短刀……この短刀は、父の形見だ。
俺は顔すら覚えていないけれど。
でもこの切れ味のよさ……稽古中に何度も失敗して、腕を刺してしまったりしたから、威力だけは知っている。
そして、父がどれだけ強い人だったかということも……。
この短刀でいけば、きっと……!!
ドスッ!!!
刺さった。
やっぱり半端な威力じゃない。
けど……短刀は俺が刺したかったものとは、違うものを刺していた。
妖狐蔵馬の心臓を狙ったのに……短刀は彼が寄りかかっていた樹の幹を深々と刺していた。
「なっ……」
「何のマネだ」
「!!!」
突然、背後から羽交い締めにされた。
人の腕じゃない。
まるで植物のような……いや、間違いなくそれは植物だった。
あまり植物には詳しくない俺でも、これが何であるかくらいはすぐに分かった。
薔薇……この鋭い棘と、甘い薫り。
薔薇以外の花には、決してないものだ。
体中に巻き付く薔薇の蔓に、俺は指一本も動かせなくなっていた。
「くっ……」
「何のマネだと聞いている」
すっと妖狐蔵馬が、俺のすぐ後ろに現れた。
振り返って見たわけではないけれど、気配と…風でなびいてくる銀色の髪が、それを物語っている。
しかし恐怖はない。
むしろ全く逆の……そして俺にとっては当たり前の感情が、脳裏を支配した。
「……ろ…し……え…せ……」
「何だと?」
「人殺し!!かえせ!!兄貴を…兄貴をかえせー!!」
……その後、俺は……ただ、ただ泣きじゃくっていた。
真後ろに兄貴の敵がいるのに討てない屈辱。
フラッシュバックされる兄貴との思い出。
もう何が何だか分からなかった。
俺は一体何をしたいのか……。
「……おい」
しばらくして、妖狐蔵馬が口を開いた。
その頃には俺の涙も、かなりひいていた。
どのくらい泣いていたのかは分からないけれど、その間ずっと妖狐蔵馬は黙って、俺の後ろにいたのだ。
そのことに気付いた時、「どういうつもりだ…」と聞こうとしたが、その前に彼の方がまた言葉を発した。
「そこから動くな」
それだけ言って、彼は俺から離れた。
同時に俺への戒めも解いて……。
自由になった身は、すとんっとその場に落ちてしまった。
突然のことで、呆けてしまっていたのだが……はっと気づき、短刀を幹から引っ張り出そうと、立ち上がった。
しっかりとグリップを両手で握り、力を込めて引っ張る。
だが、全体重をかけて振り下ろしたため、かなり深く入ってしまっているようだった。
仕方なく、もう一度握り直し、今度は体重をかけながら、テコの原理で引っ張った。
ズボッ
何とか抜けたが、その拍子に俺は後ろに転がるようにひっくり返った。
軽く頭をうったのが、大したことはないと、起きあがろうとした、その時……。
俺は、大きな影が自分に落ちたことに気付いた。
まぶたは閉じていたし、元々回りは暗闇だったが、それでも何となく分かる。
悪寒を感じながらも、そっと眼を開けると……、
「ひっ……!!」
化け物……という言葉が相応しいと思った。
自分も妖怪だけれど、でも化け物ではない。
だが、そこにいたのは、妖怪である俺でも化け物だと思ってしまうくらいの妖怪だった。
そして化け物は明らかに俺に殺意を向けている。
俺を憎んでいるとかではなく、ただ殺したい…いや喰いたいのだろう。
洞窟のように大きな口を、俺に向かって振り降ろしてきた。
「(兄貴…!!)」
無意識のうちに…声にならない声で、兄貴を呼んでいた。
駆けつけてくれるはずがない。
兄貴はもうとっくに……。
ザシュッ…
覚悟をした次の瞬間、小さな斬音と共に、化け物の絶叫が木霊した。
おそるおそるそらしていた顔をあげると……そこに化け物はなかった。
はっとして、横を見るとそこに先ほどの化け物が肉の塊になって転がっていた。
「……大丈夫か」
声につられて振り返った。
そこには……。
「……あ…にき……?」
呼んでから気付いた。
違う、兄貴じゃない……。
兄貴には、銀色の髪も耳も尾もなかったのだから……。
けど、一瞬でもそう見えたのは何故だろう?
幻?それとも……俺の願望が見せた、幻覚だったのだろうか?
「怪我は?」
ぼんやり考え込んでいた俺を、またあの声が現実に引き戻した。
見上げると、そこに妖狐蔵馬が立っていた。
化け物の血を浴びたのだろう、銀色の髪がところどころ赤黒く染まっている。
手には先ほどの薔薇……しかし幾分棘が鋭くなっていた。
まさか、俺を助けたのは……。
「……で…」
「何だ」
「何で助けたりしたんだ!!俺はお前に情けをかけられる覚えなんてない!!」
「……」
「お前は…兄貴を殺した男だ!!敵だ!!なのに、何故敵に情けをかけられねばならないんだー!!」
……言っていることは無茶苦茶だったと思う。
けど、叫ばすにはいられなかった。
もっとたくさん叫んだ。
罵声も飛ばしまくった。
なのに……妖狐蔵馬は何も言わなかった。
俺が叫びたいだけ叫ぶまで、ずっと黙って聞いていた。
その顔は呆れも同情も怒りもなく、本当に真面目だった……。
涙目になり、肩で息をするまでになって、ようやく俺の絶叫は終わった。
本当ならばもっと叫びたいところだが、もう体力が残っていない。
ここまでくるので、かなりの力を消耗したから……。
そしてここまでずっと黙っていた妖狐蔵馬が……口をきいた。
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