<Waivy> 2
「悪かったな」
彼が発した言葉はそれだけだった。
決して、冗談で言ったわけでも、面倒そうに言ったわけでもない。
それ以外思い浮かばなかった……そんな不器用そうで、そして辛そうな顔だった。
極悪非道、冷酷無比、心のない妖怪……。
そんな噂ばかり聞いていた彼が、こんな顔をするなんて……。
彼のその顔を見たとたん……俺の中で、何かが崩れていった。
兄貴が殺されたと知った時から、積もりに積もった恨み。
消えることのなかった悲しみも一緒に積み重なっていたそれが、ガラガラと崩れた。
崩れ去ったわけではない、崩れただけ……。
でもそれが、俺の頬に新たな涙を呼んだ。
「ごめ……ん……」
喉の奥から絞り出すように、声を上げた。
嗚咽の混じった……涙声になっているのは、自分でも分かった。
さっきの叫びとは全く違う……。
一体何を泣いているのか、自分でもよく分からなかった。
けど……。
彼に……妖狐蔵馬に言いたかったことだけは、分かった。
「ごめん……分かってたんだ…お前のせいじゃないって……」
そうだ……最初から分かっていた。
妖狐蔵馬のせいじゃない。
妖狐蔵馬が、殺したんじゃない。
だから、村の連中も止めたんだ。
その復讐は間違ってるって……。
兄貴は別のやつに殺された。
あの日……魔界の神殿に忍び込んで……。
母さんの形見のペンダントが切れて……それを取り返そうと、引き返したから……。
だから、俺も最初は神殿の連中に復讐しようとしていた。
兄貴を殺した張本人たち……生かしておけないと思った。
でも俺たちのところに、兄貴の死が知らされた頃には、もう魔界の神殿は焼け落ちていた。
兄貴の死の直後、誰かが火を放ったと……それが誰であるかくらい、一目瞭然だった。
そこで兄貴の復讐は果たされたようなものだった。
兄貴を殺した連中は死んだんだから……。
けど……。
「けど……こうでもしないとおさまらなかった……悲しみを…どこにもぶつけようがなくて……」
「……」
「誰かを……誰かを憎まずには…いられなかった……」
「……」
「憎まないと……壊れそうで……」
「……ああ、分かってる」
ポンポンッと妖狐蔵馬の手が、俺の頭をなでた。
大きな手……兄貴のとよく似ている。
兄貴よりも繊細だけど……どこか、あたたかい雰囲気が似ていた。
瞬間、視界が真っ暗になった。
いや光で満たされたようにも見えた。
目の前が…水で覆い尽くされたような……。
少しして気付いた。
今までとは非にならない……俺の涙だった。
全ての感情があふれ出して……もう止められなかった。
「うわあああああっ!!!あああああ!!!」
「……もう行け。村の連中が待っているだろう」
妖狐蔵馬がそう言った時には、既に夜は明けていた。
一体俺は、この一晩でどのくらい泣いたのだろうか?
前に泣いたのが、兄貴が死んだ時……あの時から貯めに貯めた涙が、全て流れ出たようだった。
「そうだと…思う……」
多分…いやきっと待ってると思う。
村の連中は皆、俺や兄貴のことを大切に思ってくれていた。
働き盛りだからとか、貴重な若者だからとかじゃなくて……。
兄貴が村を出て行った時、兄貴の死が知らされた時、そして俺が出て行く時の、あの表情……。
言葉よりも大きな何かがあったから……。
「じゃあ……」
「ああ。元気でな」
最後に見た妖狐蔵馬の顔は……優しく微笑みを浮かべていた……。
あれから更に数百年。
あの男は……人間界にいた。
どういう経緯でそうなったのかは、皆目不明だが……しかし1つだけ分かることがある。
妖狐蔵馬は変わったが、変わっていない。
人間としての感情が芽生えていたが、大事な部分は変わっていなかった……。
「そこにいるんだろ?」
ふいに妖狐蔵馬が俺を見上げた。
何だ、気付いていたのか。
辺りは真っ暗だし、気配は消していたつもりなんだがな。
登って腰掛けていた樹から降りながら、言った。
「久しぶりだな」
「ああ。元気そうだな、妖狐蔵馬」
「君も」
ヤツは笑って言った。
何か……遠目で見るのと、間近で見るのはやはり違うらしい。
やっぱり違和感はあるものだ。
別に嫌な感じではないけど……。
「何か……お前に『君』なんて言われると、変な感じがするぞ」
「そうかな?」
「……口調、大分変わったんだな」
「あれから何年経つと思ってるのさ。変わるものだよ、妖怪も人間も」
性格の方は変化なしか。
一番変わったのは見た目だろうけど、これは人間の受精体に憑依したせいだろうし。
前は見上げていたが、今は見下ろしている。
これは素直に喜べないな……。
「ところで何か用事があったんじゃないの?」
「あ、うん……実は……」
俺は口ごもった。
用事は確かにあったけど……でもこんなこと、いきなり言えない。
恥ずかしすぎる……。
「その……なんというか……」
「名前はなんていうんだ?」
ガッターン!
俺は思いっきり転けた。
妖狐蔵馬は当たり前そうに、きょとんっとした顔で見ているけど……でも何でいきなり!!
「なっ、な、な……」
「バレバレだよ。素直になったら?」
「……やっぱりお前、変わったな……」
実際は変わってないと思う。
こういう鋭いところは、全く変わっていない。
でも何となくそう言いたかった。
「そうかな?それで、質問の答えは?」
妖狐蔵馬の好奇心に満ちた眼……こんな眼で見つめられて、隠せるはずがない。
多分、彼はもう名前くらい気付いてるはずだ。
俺がつける名くらい、こいつが一番知ってるに決まってる……。
「黒鵺……」
「いい名だね」
「これ以上の名前なんかない。兄貴の名前だからな」
「そうだね」
何か調子が狂う。
いつものことだけど……。
人間界に消える直前まで、何度か会ったが、いつもこんな感じだ。
微笑を超えた笑顔を見るのは初めてだったけれど、何年たっても勝てないのは、全く変わっていない。
「……じゃあ、用件それだけだから」
「うん、分かった。じゃあ今度は息子とおいで。お菓子用意しておくから。ね?つぐみちゃん♪」
「……ああ。だが、一言言わせろ」
「何を?」
「ちゃん付けはやめろ!何度も言ってるだろう!!」
「似合うのに。照れることないじゃない♪」
真っ赤になって叫ぶ俺を、妖狐蔵馬はおかしそうに笑った。
決して嘲っているわけではないし、バカにしているわけではないのは分かっているが……。
屈辱というよりは、子供扱いされた恥ずかしさに、俺はその場を駆けだした。
ちらっと振り返ると、妖狐蔵馬が笑顔で手を振っている。
あわてて正面を向き、更に速度を上げた……。
「……黒鵺」
腹が少しうずいた。
俺の声に答えるように……。
俺は……復讐を放棄した女だ。
何においても、決して放棄しないと誓った俺が……。
元々意味のない……的はずれの復讐だったとしても。
だからこそ、もう二度と間違いは犯さない。
今度こそ、『何も』放棄せずに生きぬいてみせる。
2人の『黒鵺』と…妖狐蔵馬のためにも……。
終
〜作者の戯れ言〜
……えっと、黒鵺さんに家族がいたら……という設定で書いてみました。
いちおう妹という設定で(ほとんど弟か…)
名前は黒鵺さんの「鵺」って言葉が、トラツグミという鳥の別名だというところから取りました(我ながら安易…)
理不尽だけど、でも誰にも罪がないと……誰かにぶつけたくなるんでしょうね。
怒りや憎しみって、どこかで晴らさないと、たまっていくだけだから……。
現代人のストレスもどこかで発散できればいいのですけど(ちょっと違う?)
しかし……話数が進めば進むほど、微妙さが増していくのは何故でしょう?(滝汗)
6話目、何とか微妙でないものにしますね〜!(出来れば…)
〜2008年追記〜
サイトを改装した際、ちょっとこの話だけ、引っ越しました。
お題の1つであることに変わりはないので、軌跡だけ残して、別ルートから入るように。
つぐみちゃんが、ゲスト的オリキャラではなくなり、他の話にも登場させていただけるようになりましたので!
そちらの方でもよろしくおねがいします!
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