第3夜 それから

 

 

 

   Episode.1.5 引かれ合う鍵

 

 

 

 
 兄さんと兄弟になってから、それは鮮明になっていった。

 今まで、ぼんやりとしていた夢。
 物心がついた頃から視ていた、遠い記憶。

 

 

(ぼくも

 ――妖狐だった。

 

 

 

  2. 遠い記憶

 

 

 

 さがしている、ずっと。

 

 

 さわ、と魔界のやさしい風が鮮やかな木樹を揺らした。
 すぐそこに、愛しいきみがいる。

―――

 呼ぶと、きみは少しくせのある黒い髪をなびかせ振り向いた。
 男勝りの表情をして。

『いー加減、さん付けすんなっ。――っ!』

 不満気に怒るきみも、それはそれでかわいくて、私は微笑した。

『そうですか? 私は、その方がしっくりくるのですが
『俺が嫌なんだよっ』

 眉間にしわを寄せるきみに、私はごまかすように笑ってあしらった。



 さん付けで呼ばなくなったのは、一緒になることを誓ってからだった。

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

「秀。そんな所で寝てると、風邪、悪化するよ?」

 

 ぼんやり、と秀は兄の声で目を覚ました。
 半分まだ夢の中にいる頭で、秀一を認識すると周りを見渡した。

……――と)

 あぁリビングだ、と場所が判ると、それから数秒遅れで思い出した。

「寝ちゃったんだ

 ソファで。手にはファンタジー小説があった。
 ついでに自分の格好を見て、秀は首を傾げた。

「ぇ……

 なんでパジャマなんだっけ?
 かるく鼻をすする弟に、秀一は肩をすくめた。

 

「君、風邪引いてるのに、なに本読んでここで寝てるの?」
ぁ、うん。そうだったけ・ね」

 今の状況に言われて思い出したかのような秀の台詞に、秀一と梅流が目をしばたかせた。
 ぁ。亜門さんもいる。

「秀、大丈夫? ボケるには、まだ早いよ?」

 中学三年だというのに。
 ちいさく笑って、罰が悪そうに秀は頭をかるく掻いた。

一昨日から寝っぱなしだったし、いい加減暇になったから」

 トイレに起きたついでに、だいぶ前にリビングに置きっぱなしにしていた読みかけの小説を取りにきたのだ。

「部屋で読むつもりだったんだけど

 持っていく前に内容確認で、簡単に数ページばかり目を通したのだが。

「気付けば本にのめり込んじゃって」
「いつの間にか寝てた、と?」

 継ぐように言われた秀一の問いに、秀はさらりと頷いた。

「うん」
……

 悪びれもない秀に、秀一は少し頭痛を覚えた。
 そんな秀一に気付かず、秀はからりと笑った。

 

「ま。薬がよく効いてるから」

 わりと楽観的なのか、深くは考えない秀に秀一はひとつ息を吐いた。

「そうみたいだけど

 それで悪化したら意味もないのだが。
 喉に触れて、さすが、と秀は感心した。

 

「唯さんの薬だね」

 肩をすくめて、秀一は額を押さえた。

「まぁ。あの辺の森じゃ、名医だからな」

 狐村 唯(こむら ゆい)は蔵馬の幼馴染みにあたり、治癒能力を持つ妖狼だ。薬の調合も得意な、世話好きの性格で。
 いやそれより、風邪を完治する為にベットで寝てくれ。

 

れ?」

 きょと、と梅流が秀に首を傾げた。
 しばし凝視されて、秀は目をしばたかせる。

(あれ?)

 違っただろうか? でも味といいこの効き目といい、唯の薬ではなかろうか。

「?」

 今度は秀一に、梅流は首を傾げてみせた。

「秀くんに唯兄のこと、話したっけ?」

 梅流に言われて、秀一は一瞬止まった。
 一昨日、秀の風邪はとにかく咳が凄かった。
 それを見かねて、秀一は同じく妖怪としての前世を持つ知り合いに、唯からの薬を頼んで貰ってきてもらったのだ。

(本当は

 こういうことは、自分で貰いに行くものなのだが。
 まだ――会いに行く時期ではないだろう。

 

(まぁそれは置いといて。……経緯はどうあれ)

 唯の薬なのは、確かだ。
 が。

「いや。話してない、けど

 妖怪や幽霊を視える信じる、と言っても、その前世の友人やら家族やらまでを話したところで通じないだろう。――の・はずだ。

 

「?」

 判らなそうに疑問符を飛ばす弟に、秀一は質問を投げつけた。

「お前。誰かから聞いたのか? 唯のこと」

 心外そうに、秀は答えた。

「ぇ? 聞くも何も、会ってるし
……いつ? どこで?」
「んと。五十年ぐらい前? 『月夜(つくや)』で」
………

 そこで一旦質問を止め、秀一は頭の中を整理する。
 五十年前。今年十五になる秀は、当然生まれていない。
 なにより、銀狐と妖狼の森に挟まれた湖――『月夜』は話していない。というか、いろいろ計算が合わない。

「蔵馬もしかして?」

 すこし戸惑った感じに、梅流は秀一を見上げた。

 

……

 こめかみを押さえて、秀一はひとつの答えに行き着いた。
 そう。計算が合う答えが――ひとつだけある。
 それは、自分たちのような公式だ。

「秀。前世を覚えていたりするのか?」

 それも妖怪で、魔界にいたとか。
 嘆息をして自分を見る秀一に、秀はさらっと首を縦に振った。

「うん。闇狐(ダーク=フォックス)だったよ」

 さらっ、と。

 

…………

 頬を引きつる秀一に、あれ? と、秀は戸惑ったように訊ねた。すっかり言ったつもりでいたが。

言ったなかったっけ?」
「聞いてない。」

 力というか恨みのようなものを込められた答えが、秀一から返ってきた。
 秀一のとっても悪魔的な背景が視えるかのような爽やかな笑顔が、秀に向けられた。

 

「詳しく聞かせてくれないかな?」

 むしろ言え。
 
と、その台詞の後ろから聞こえたのは、はたして気のせいか。

……はい。」

 迫力に押され、風邪とは違う青い顔色になって秀は頷いた。
 そんな秀一の隣で、ほや、と梅流は判らなそうに首を傾げた。

 

 

 

 *  *  *


 皇 倉麻(すめらぎ くらま)。

 それが、前世での名前。
 種族は闇の妖狐――闇狐(ダーク=フォックス)。
 出身は異界。
 当時、その世界は闇と光の天秤が均等ではなかった。闇の力が強すぎたのだ。
 異界が壊れない為にも、闇属性の種族は故郷を離れ出した。自分を守る為に。中には、ただ外の世界に行きたかった者もいる。


 自分は、たいせつなひとがいた。

 そのひとはまだ幼くて、他の世界へ行くだけの能力(ちから)はなかった。自分もまた、その子を連れて行けるだけの能力もなかった。
 けれど自分が離れれば、この世界はまだいくらか均等に保たれるだろう。

 だから、どうか。

 ちいさなたいせつな、幼い子よ。

 きみのすきなこの自然や風たちに囲まれ、育って。
 遠い地に離れても、祈ってる。

 

 やさしく、やさしく。

 

 

 そして、貴女に出逢う。

 

 

 *  *  *

 

 

 

 *−2. 遠い記憶/完