第3夜 それから
Episode.1.5 引かれ合う鍵
3. 夢をみた −すぐ傍の想い
最初に会ったのは、旧・白虎の城でだったか。
『なんだ、お前…』
自分を見るなり、きみは驚いて目を丸くしていた。
戸惑いはしたが、私はとりあえず名乗った。
『異界から来ました、皇 倉麻(すめらぎ くらま)です』
その時私は、あまり目立たないよう、人間の姿をとっていた。
理由は難しいものではなく、ただ自分の種族はそういるものではなかったからだ。それは他の世界でも同じであることを、知っていたから。
『…っんつー名前してやがるっ』
『ぇ…?』
突然きみは怒り、私は思わず一歩後退した。
訊けば、兄の仇だという者と、漢字は違えど同じ名前が原因だった。
まぁなんだかんだと会話が続いて、そういえば、ときみは首を傾げた。
『お前、異界から来たっつったよな?』
『えぇ。そうですが…』
『家はどうしてるんだ?』
『今日来たばかりなので、まだ』
興味有り気の問いに私は素直にそう答えると、きみはちょっとだけ考えて。
『じゃ、俺んとこの村に来いよ』
『ぇ…っ』
返事に悩む間もなく、私はきみに腕を引っ張られた。
『お前、弱そうだからさっ。この辺にいると、喰われちまうよ!』
『………』
男としてそれはどうだろうか。
きみに引っ張られ走りながら、内心私は複雑だった。
それからは、穏やかにいろんな事があって。
いつの間にか私は、まるできみの村の一員のようになっていた。
そんなある日。
『蔵馬が近くまで、来てるらしいよ』
『月夜(つくや)』の湖で、唯さんが瑪瑠さんにそう教えていた。
それを、ちょどそこに踏み入れようとしていた私ときみは聞いてしまった。
『蔵馬が…っ』
怒りに近い叫びに、唯さんが驚いて振り向いた。
『つぐみっ』
『あいつ…っ』
唯さんが止める間なく、きみは走り出した。
走る先に蔵馬さんがいるとは限らないのだが、きっと――本能からの勘だろう。
蔵馬さんが強い妖力を持つ銀の妖狐だと、唯さんに聞いた。それだけの妖力ならば、気配を消すのも容易いはずだ。
『待ってくださいっ』
妖怪ならではの速さで走るきみを、私も負けずと追いかける。
怒るきみの耳に、私の声は届かない。
『っ』
あまりしたくはなかったが、後ろから乱暴にきみの腕を掴んで声を上げた。
『つぐみっ!』
『っ』
そんな私に、きみは驚き目を見開いた。
けれどそれはすぐ消え、きみは痛そうに瞳を細めた。
『…っなせよ…っ』
『放しません』
はっきりそう返すと、きみは…辛そうに私から顔を逸らした。
数秒の間を空け、きみは訊いてきた。
『…でだよ。何で、邪魔するんだよ…っ』
泣きそうに。
私は訊き返した。
『お兄さんは、それを望んでいるのですか?』
違う、と私は思う。
『…親友、だったのでしょう?』
蔵馬さんと。
きみからの答えはなく、しばらくの沈黙が下りた。
(……)
諦め半分に腕を放すと、きみは逃げるように村とは違う方へ走って行ってしまった。
夕刻を過ぎた頃。
きみは泣き腫らした目をして、村に帰ってきた。
私はそんなきみを、村の入り口で向かえた。
『…蔵馬と会った』
振り絞るように、きみは口にした。
村の中の方にひとは集まっていて、ここには私ときみしかいない。
俯いて、きみは叫ぶように言った。
『あいつ、バカだよ…』
サワ、と穏やかに風が吹いた。
ぼんやりと、きみは言葉を続けた。
『…殺そうとした俺を、庇ったりしてさ』
かなり省かれた台詞だったが、あえてそこは問わなかった。
そして、きみは泣きそうに微笑った。
『…わかってたんだ』
光り出した月を、きみは眩しそうに仰ぎ見た。
何も言わず、私はきみを抱き締めた。
* * *
「…間もなくして、ぼくはつぐみと一緒になったよ」
ちいさく咳き込んで、秀は外に目線を投げた。
空はあいにく、雲一色だ。
「けれど…ぼくは流行り病にかかって、そのまま……」
一緒になったのは、寿命の長い妖怪にしてみれば束の間の刻だった。
最期にみたきみは、何も出来ないことに悔やんで泣いていた顔だった。
一度俯き瞳を閉じ、話を戻すように秀は兄に顔を上げた。
「だから、兄さんなら知ってるんじゃないかと思って」
「…そう」
納得して、秀一は息を吐いた。
あの子の父親は、この弟だったか。
「……」
しばし、秀一は記憶を巡らす。
…確か、自分と同じような前世を持つ後輩伝てに聞いた気が。
『まだ唯さんに、顔を出さない気ですか?』
秀の幼馴染みの、榊城 海波(さかき みなみ)だったか。
何かの用とかで魔界に行って、唯と会ってきたらしかった。そう…暗黒武術会の後だったか。
『まだ、会う機会じゃないでしょ』
苦笑してそう返し、なんとなしに…訊いてみた。
『…君は何で、いま人間界にいるの?』
何で、転生しているのか。何で死んだのか。
思わぬ問いに海波は二度瞬きすると、困ったように笑んだ。
『いろいろあって。…そういえば南野先輩、つぐみ、て知ってますよね? 鵺一族の』
『…あぁ』
頷くと、海波は告げた。
『報せときますね。…赤ん坊を産んで間もなくして、亡くなったそうです』
『!』
目を瞠り、…秀一は辛そうに顔を伏せた。
『…そうか。報せてくれてありがとう』
前世で海波は、唯やつぐみ等とは知り合いだったと言っていた。
自分とつぐみは、二度顔を会わせている。
それは、つぐみ本人から聞いたのか。報せてくれたのは、そういうことだろう。秀一の性格を、考慮もしてくれたのだろう。
「…うん、風の噂でなら知ってるよ」
表向き、秀一はそういうことにした。海波は秀に、前世を隠しているようだったからだ。
落ち着いた口調で、静かに秀一は告げた。
「亡くなっている。そう――耳にしたよ」
「ぇ…」
驚いて、梅流は目を瞠った。鵺一族のつぐみのことも、梅流は覚えてる。前世、たまに顔を会わせては遊んでもらっていたから。
一瞬、秀は瞳を丸くして、二度ほど瞬きをすると、……呟くように口にした。
「じゃぁ、…夢じゃないのかな」
あれは。
また外に、秀は目線を投げた。
寒々と吹く風が、もう何枚もない葉を揺らす。
厚い灰色の雲が、ゆっくりと風に流されている。
(雪が…)
降りそうだ――。
黒い髪の少女が、空を見上げる。
小学高学年辺りの少女の髪は、肩よりは手前の伸びかけの長さだ。薄い紫色の瞳は、少し生意気そうか。
学校帰りらしく、藤宮初等部の制服に指定外コートを着、肩にはてさげをかけていた。
はぁ…、と白い息が少女の口から舞う。
(……あいつは)
ここにいるのだろうか。
最近、見慣れない男の夢を視る。はっきりしない靄(もや)のかかった夢は、何かを自分に報せている。
(知ってる気、だと思うんだけど…)
はっきりしない夢は、気もはっきりとは伝えてはくれない。
「つぐみー?」
数歩先いる友人が、立ち止まってしまった少女の名を呼んだ。
何もなかったように、つぐみ、と呼ばれた少女は友人へと歩を進めた。
「雪、降りそうだよなー」
間もなくして、白い氷の結晶が地上に降ってきた。
いろんな想いを抱えたいろんなひとたちに、白く白く舞い降りる。
同じ夢を視るふたりの空にも、同じ白い花が降りている。
*−3. 夢をみた −すぐ傍の想い/完