第1夜 守りたいもの・願ってるもの。

 

Act.4 笑顔

 

 

ちょっとした岬。
下には丁度、湖の『月夜(つくや)』がよく見える。
実際のところ、この岬には名前はないのだが、湖・『月夜』全体が見下ろせることから、『月夜岬』と呼ばれ定着している。

 

そこに紅唖がいた。

「紅唖姉さん」

呼ばれて、紅唖は振り向く。

「流蘢」

いたのは、すぐ下の妹の流蘢だった。
微笑んで流蘢は訊く。

「なに、見てたんですか?」
「……ちょっと、な。下を見てた」

そう答えると、紅唖は下に視線を戻した。

「下…ですか?」

その答えがよく判らず、流蘢は紅唖の隣に足を運び、紅唖の目線の先を追う。

 

 

「ぁ」

下に見える『月夜』の湖に、唯と妹の瑪瑠がいるのが見えた。

「あらあら。瑪瑠ったら、『月夜』にいたのね」

ほんわり流蘢は言う。

「そういえば、汀兎がさがしていたわ」
「………流蘢」

そういう場合、見つけたら汀兎に教えにいくべきでは…。
とは思ったが、肝心の汀兎はさがしまわってて捕まらないだろう、ということだと気付く。

もともと汀兎は瑪瑠に対して心配性ではあったが、あの事件以来、さらに心配度がひどくなっていた。
その瑪瑠に対する汀兎の思いは“兄妹(きょうだい)”の間柄ではないのは、知ってるひとは知っている。
本人ほどなんとやらで、瑪瑠本人は知らないのだが。

 

 

「……なぁ、流蘢」
「はい?」

やんわり流蘢は紅唖に返事をする。
天高く銀色に輝く月が、眩しい。
ふたりの白い髪がいっそう白さを増す。

「今の瑪瑠を…、どう感じる?」

明るいピンクの瞳が、流蘢を見る。
すこし間が空いて、流蘢は答えを返す。

「……足りない、ですよね」

苦笑気味に。
つられて紅唖も苦笑する。

 

「あのひと…か」
「ええ。あのひとですよ」

深いブルーの瞳を、流蘢は月に向ける。
「……だな」

頷いて、紅唖は瞳を軽く伏せた。目線の先は、瑪瑠。
自分の中でも出ていた答えだ。

 

 

誰もが誰かの代わりなんて、できはしない。
それは自分も同じで。

 

自分たちでは駄目なのだ。

 

 

 

代わりなんて、いらない。

 

 

 

「瑪瑠っ!」

息を切らした汀兎が、『月夜』に顔を出した。

「汀兎兄っ」

どーしたのー? と、いう顔で瑪瑠は出迎えた。

 

「さが…、したん…だから」

呼吸の合間合間に、汀兎はどうにか喋る。

「たのむ、から……、黙っていなく、なるな…よな?」

そのまま汀兎は、瑪瑠の前にヘタり込んだ。肩を上下させて、無数の汗がしたたり落ちる。
そんな汀兎を見て、瑪瑠の顔が曇る。

「……心配、したの?」
「した」

即答。
慌てて瑪瑠は謝る。こんなに心配されるとは、思わなくて。

 

「ぁ、ごめ…」
「けど」

汀兎は笑って。

「無事でよかった」
「……うん…」

心配かけた申し訳なさと、心配してくれた嬉しさの気持ちで、瑪瑠は頷いた。
立ち上がりつつ、唯は瑪瑠の頭を撫でて。

「じゃ、瑪瑠。そろそろ寝るんだな」
「ぇっ」

それに一瞬、瑪瑠は慌てた、が。心配をかけてしまった手前、あまりわがままは言えない。瑪瑠の耳が下にたれる。

 

「ぁ……うん…」
「明日、遊べなくなってもいいのか?」

中腰のまま、唯は瑪瑠にわざとそんなことを訊いてみる。
正確にいくと、時刻的には既に今日になっているのかもしれないが。まあその辺は、今から寝て、太陽が昇った後に起きてからが明日…と、いうことで。
因みに、前科はちゃんとある。
夜に遊んで次の日は案の定寝不足で、その日は結局丸一日寝て終わってしまったことが。
で・さらに次の日には遊べなかったことを悔やむ瑪瑠がいた。

「やっ!」

迷いもせず、瑪瑠は力強く答えた。
苦笑して唯は瑪瑠を立たせる。

「だよな? じゃぁ、もう寝な」
「うん!」

思いっきり首を縦に瑪瑠は振った。
内心唯に感謝して、汀兎は安心する。

 

「じゃぁ、帰ろう。瑪瑠」
「うんっ! 明日のために!」

元気よく瑪瑠は、汀兎の差し出された手をとった。
『月夜』を去る間際、瑪瑠は振り向いて。

 

「唯兄っ、また明日ねっ!」

空いてる腕を左右に振り上げる瑪瑠に唯は笑って、頷く。

「あぁ」

 

 

 

ザアァァ…

 

 

風に揺られて常緑樹の木樹(きぎ)が、無数の葉擦れを立てる。先刻(さっき)までは瑪瑠といたせいか、耳まで入らなかった音。
近くの茂みから、別の音が立った。風じゃない。

「いいのか?」

そう言って茂みから顔を出したのは、猫みたいな狼。
頭毛と、どうにかこれだけは狼っぽい尾は明るめの茶色。
腹の毛はほんのりと明るい茶色で、他の毛は肌色に近いおうど色。大きい猫みたいな瞳は黒。

 

「ルカ」

すこし驚いた顔をして、唯はルカを見た。

「いいのか……、て。お前、盗み聞き?」
「たまたま散歩してたら、たまたま通りかかって、たまたま聞こえただけだよ」

溜め息ひとつついて、ルカは唯を見上げる。

 

「またお前、ひとのいいことして…」
「? 何が?」

風でまとまりのない髪がすこし絡まり、唯は軽く手で梳く。
月に照らされ、ルカの黒い瞳が銀に近い光を放つ。

「……『実月』」
「…………」

 

ザァッ

強い風が枝々を一斉に揺らし、葉擦れが大きく立つ。湖に波が無数にできる。
幾分か風がやむと、唯は一言……口にした。

「さぁ、…な」

教えたところで、何がどうなるのかは判らない。
何も変わらないかもしれない。

 

 

でも。もしも、叶ったのなら。
それは、きっとお前の願いの裏切り。オレの裏切り。
けれど、悪いとは思わない。

唯は高く、月を見る。
近くで、紅唖も流蘢も月を見る。
汀兎も麓も。

 

叶えて。
満ちた月よ。

願いはひとつ。
欠けた想い。
実る、しあわせ。

ちいさな。
ありふれた、こと。

 

 

ある筈の、笑顔。

 

 

 

 

Act4 笑顔/完