第1夜 守りたいもの・願ってるもの。
Act.5 またね
長い。
…とも、短いとも思える一ヶ月が、気付けば過ぎていた。
三つの月全てが、それぞれの軌道のもと、ばらばらになる。
もう今は、端同士がどうにか重なってる程度で、それは今日あたりだろうと思われた。
今日で『実月』は終わる。
そんな月を、瑪瑠は眺めていた。
よく見える、『月夜』の湖で。
「……瑪瑠」
呼ばれて、瑪瑠は振り向いた。
「唯兄」
すこし、寂しそうな顔をした唯がいた。
それは瑪瑠も同じだった。
でも。後ろ髪を引かれるような思いは、不思議とない。
「……唯兄」
「ん?」
おだやかに風が吹いて、ふたりの髪が揺れる。
しずかに、まわりの木樹(きぎ)が葉擦れる。
「言いたいことが、あったの」
再び月に視線を戻し、瑪瑠は言葉を続けた。
「その中でも、いちばん言いたかったことがあったの」
それは何?
「言って……、抱きしめたかったの」
何を?
―――わからない。
自分の中の空白。そこにあるはずのもの。
なくて、心のどこかが、切なくて泣きそうになる。
落ち着いた口調で、唯は瑪瑠に言う。
「…抱きしめてくればいい」
やさしく。微笑んで。
「行ってこい」
月の光に照らされて、唯の灰銀の瞳が、宝石みたいな色を放つ。
白い瑪瑠の髪も照らされて、上等な絹のようだ。
瑪瑠も唯に微笑んだ。
「うん」
不思議と。
かなしいと、という感情はない。
むしろ。
光が見える気がする。
一筋の。
「!」
三つの月が、無数のちいさな光を発したような気がして、唯は空を見る。
「……?」
ほどよく銀色い月に、唯は戸惑った。
(なんだ……?)
月が、透き通っているように感じる。
まるで、純粋な者の心。
「唯兄」
呼ばれて、視線を瑪瑠に戻す。
「―――…」
一瞬、言葉を失った。
無数のちいさな銀色の光に、瑪瑠が囲まれていたからだ。
『実月』からの、光。
一言。瑪瑠は言葉にする。
いつもと変わらない笑顔で。
「またね」
それだけ。
同じく一言だけ、唯も返す。
「あぁ」
しずかな瞬間。
瑪瑠の身体が、うっすら銀色に光を帯びて。
透き通って。
きえた。
スローモーションみたいだった。
実際、何分もかかってなかったんだと思う。
後ろ髪を引かれる思いは、不思議となくて。かなしくもない。
ちいさく。
寂しい想いだけが、胸に残った。
『またね』
そう言ったきみのいつもの笑顔。
今も覚えてる。
「ゆーい」
木の上で小物を作っていたら、オレのいる枝にルカが顔を出した。
「ん?」
「なに、作ってんだ?」
手を止めずに、オレは答える。
「ちょっとした小物」
「見りゃ、わかる」
もっともだ。
自分の膝の上のものを指して、改めて答える。
「勾玉のペンダント」
鉱物を、勾玉の形にとったもの。色は、桃・緑・朱(あか)の三つ。緑と朱は太めの黒い紐で、桃色のだけ細い金の鎖。
「……ん?」
ルカが首を傾げた。
「誰かを想定した色だな」
紺い鉱物を紙やすりで形を作りながら、オレは苦笑する。
「判るか?」
そう。これは、誰かの想定。
「やっぱ? ……と、なると。二つ多くねぇ?」
眉をよせて、ルカはまた首を傾げた。
「ひとり二個?」
「ひとり一個」
「……?」
ますます眉をよせて、ルカは考え込む。
そんなルカにすこし笑って、出来上がった碧い勾玉に黒紐を通す。
ぴく、とルカの耳が動いた。
「ルカ?」
しばらく後ろを向いていたルカが、木から飛び降りて、南の方に走って行ってしまった。
「??」
オレは判らなくて、疑問符だけが飛ぶ。
噂を聞いた。
何年か前の、暗黒武術会で。
お前がいたのだと。
あの場にオレもいたけれど、オレは救護班で見に行く暇なんてなかった。
お前は逢えた?
きみはあいつに逢えた?
木から降りると、丁度ルカの声がした。行ってから何分も経っていない。
「ゆーい―――っ!」
随分、うれしそうだ。
「?」
こっちに向かって歩いてくるルカの後ろに、何人かいる。……三? いや、四人。誰だ?
(この気は…)
知ってる、感覚。
まさか、とオレは戸惑う。
近づいてくるにつれて、顔がはっきりと見えてくる。
「―――…」
前とは、似ても似つかない姿形。
けれど。
こっちに辿り着くのが待ってられず、オレは走り出した。
肩より少し長めの朱い髪に緑の瞳。―――かつての、銀狐の蔵馬。
腰辺りまでのくせのある黒い髪に、黒に近い茶の瞳。―――かつての、白狐の瑪瑠。
子供がふたりいる。
いま、お前はしあわせ?
きみはしあわせ?
あぁ。
――――ふたりとも、微笑ってる。
Act.5 またね/完