第1夜 守りたいもの・願ってるもの。

 

 

 

なにかが、たりない。

 

なにがたりないのかは、じぶんでは、わからない。

でも。

 

たりないのは、たしかなの。

 

まるで、あった筈の色がなくなったみたいに。

 

 

 

Act.3 月、ひとつ

 

 

湖から音がする。

 

まさかと思って顔を覗かせて見ると、予想は的中。

「瑪―――瑠」
「ぅ? ぁっ、唯兄!」

ひとの心配なんか気付かず、水浴びしていた瑪瑠が無邪気に振り向く。
つい三日前に雪が降り、本格的な冬がはじまるというのに…。
真夜中に水浴び。

「? どうしたの―?」

ぱしゃぱしゃ水を掻き分けて、オレのいる陸地近くまで瑪瑠はきた。
どうしたの…て。

「風邪引くから、湖から出ろ」
「え―――っ! 気持ちいいのにっ?!」

思いっきり不満に、瑪瑠は顔をしかめた。
そうはいっても、こんな寒い冬空の湖で水浴びなんて、いくら妖怪でも風邪を引く。
けれど、瑪瑠はすぐに、わくわくした表情に変わって。

「ねっ、あのねっ! それよりねっ!」
「聞く。聞くからその前に、湖から出ろっ」
「う゛――、…うん」

不満ながらも瑪瑠は、しぶしぶ湖から出た。

 

瑪瑠が衣服を着ている間、オレは近くの木の後ろで待つ。そんなオレに、瑪瑠は着ながら訊いてきた。

「? 唯兄。なんで、隠れてるの―?」

をい。

「……なんでだと、思う?」
「? わかんない」

即答かい。
…まぁ、瑪瑠だし。しょうがない。
呆れつつ、納得する。

「唯兄」

着終わって瑪瑠が、後ろから顔を出す。

「着終わったか?」
「うんっ」

元気に瑪瑠は頷いた。

「…の・わりには、帯、ちゃんとしまってないな」

ピンの付いてる左に瑪瑠を向かせて、ゆるんでる帯を引き締める。

「きついか?」
「んーん」

瑪瑠は横に首を振って、返事をした。濡れた髪から、雫が飛び散る。

「そーいやお前、黙って出てきたろ」
「うん、そーだよー」

けろっ、とした瑪瑠の答え。
……あぁ。やっぱり。
この湖にくる途中に会った、汀兎の顔を思い出す。

「汀兎が心配して捜してるぞ」
「う? なんで?」

きょとんと、瑪瑠は疑問符を飛ばした。

(…こらこら)

まあでも、汀兎もそのうちこっちに顔を出すだろう。その間、瑪瑠が話しがっていたことでも聞こうか。

「で。話したいことって、何だ?」
「ぁ! そうっ、あのねっ!」

言われて思い出したように、瑪瑠の顔色が変わった。わくわくしてる。宝ものをみつけたみたいな、そんな感じだ。

「空!」
「へ? 空?」
「うんっ! 空!」

空を指して一所懸命、オレに伝えるようとしてる。

「月! みっつ、月! っじゃなくて、ひとつなのっ! 月っ!」
「うん?」

急かされて、空に目を向ける。

「ぁ」

 

 

空の月がひとつだ。

三つある筈の魔界の月が全て重なり合って、ひとつになってる。
明るさからいって、三つとも満月だろう。

 

こういう月を、何ていうんだっけ…?

(……そうだ)

確か。

 

「『実月』」

 

「ぇ?」
「ああやって、三つとも満月で重なった月を『実月』と呼ぶんだ」
「『実月』…」

聞きなれない言葉を、瑪瑠は口にする。
後ろの木に背を預けて、腰を下ろす。つられるように、瑪瑠もオレの隣に座った。

「寿命の長いオレたち妖怪でさえ、滅多に見れない代物だよ」
「唯兄は見たことあるの?」
「いや。これが初めてだよ」

濡れている瑪瑠の髪を、軽く撫でる。
銀色の月に照らされて、瑪瑠の髪が白く光る。
他の白狐とは違う光。

「長でさえ、一生のうちに見れるかどうかの月らしいしな」
「じゃぁ、瑪瑠たちは運がいいんだねっ!」

目を輝かせて、瑪瑠は嬉しそうにしっぽを振る。

「そうだな」

そんな瑪瑠に苦笑する。
こうやって瑪瑠は笑っているのに。

 

足りないんだ。

 

「…『実月』には、叶える力があるといわれてる」

月を見上げて、オレは言葉を続けた。
紫色の夜空なのに、月の周りだけ青い。

「心の中で、本当に望んでいる願いを叶える力…が」

言っといて内心、そんな調子のいい力なんて、あるわけないと思ってる。
けど。
ほんの少しどこかで、そうだといいとも思ってる。

 

 

願い。

 

 

風が少し吹いて、髪が揺れる。

「………」

月を見上げる唯兄の横顔。
何かが重なって、口を開いたけれど、…言葉にならなくてやめた。
瑪瑠は、何に何を言いたいんだろう………?
わからない。

「…あのね」

独り言みたいに、口にする。
月を見上げると、いつもと違う、月の色。
銀色。

「白いの」

心のどこかが白いの。

「なにが白いのか、わからないんだけど…」

ひとつだけ、わかることがあるの。

 

「さみしいの」

 

別に、気にする程のことじゃないかもしれない。
けれど。

「白くてさみしいの」

白いから、さみしいの。

「この空白を…、埋めたい」

どうしても。

 

 

これは願いになりますか?

 

 

 

 

Act.3 月、ひとつ/完