第0夜 ひと欠片の粒子

 

 


 
 
 *Episode.

 

 

 

 

 

  5. 光の子、狐の子

 

 

 

 

 

 夏に向けて大きな桜の枝々には、無数の葉が青さを増し色付いている。

 

「桜珂」

 蕾螺に名前を呼ばれた青年は、懐かしそうに桜の瞳を淡く緩ませた。

「大きくなりましたね」
「あれから十三年になりますから」

 会ったのは自分が五歳になる年だった。
 ただその時一度きりしか会っていなかったが、印象は強かった。
 当たり前だ。相手は神である。持つ存在感そのものが違い過ぎるのだ。

 小さく、桜珂は笑った。

 

「そんなになりますか…」

 妖怪より遙か寿命の長い神ではあるが、時間というものに人間相応の感覚が桜珂にはあった。
 そう感じるのは、現にこうして風景は移り変わっていき、また、周りの生きとしものの成長していく様を想うからだろう。
 一分一秒さらなる一秒でさえ風は吹き、時と心を動かしていく。
 一日経てば光は輝きを変えているだろう。十三年経てば、その変わった様は大きい。

 

 

「ときに、らいら。正式な名を教えて頂けませんか」
「☆」

 言われ、はたっ、と蕾螺は気付く。
 そうだ。当時自分は幼く、教えたのは平仮名でだった。
 罰の悪そうに片眉を下げ、蕾螺は答える。

 

「…浦飯 蕾螺。――螺旋の蕾で、蕾螺、と」
「蕾螺…。今はいくつでしょうか」

「十七です。十一月で十八になります」
「そうですか」

 まるで親のように、桜珂はその表情を柔らかくする。
 いや…、桜珂はこの皿屋敷市の土地神のような者だ。自分の守護する土地の者全てがこどもみたいな存在なのかもしれない。

 数秒だけ間を空けると、桜珂は訊ねた。

 

 

「……蕾螺。私を浄化してくれた者の名は…?」
「!」

 思わぬ問いに蕾螺は驚いたが、反面納得する。

 

「…俺の弟で、浦飯 寵。四月で九歳になってます」
「寵…。あの子は光能者(ラル)ですね」

 確かめのそれに、蕾螺は頷いた。
 少しだけ睫毛を伏せると、桜珂はもうひとつ問う。

 

「もう一人…灰の髪と茶の瞳の――狐の子の名は?」
「ぇ…」

 それこそ思いがけず、蕾螺は目をしばたかせた。

 

「……寵の友人の、南野 碧。十二月で九歳になりますが…」
「碧、ですか…」

 困惑気の蕾螺に、桜珂はかるく目を丸くした。
 けれどすぐにその合点がいった。
 少々悩み、…桜珂は教えることにした。

 

 

「碧――その子は能力(ちから)が強い。稀(まれ)なる能力値」

 かつて、よく自分に顔を出してくれていたひとが話してくれた。
 魔界において、名の知れた銀の妖狐と無垢な白の妖狐がいた。ふたりは妖狐の中でも能力値が特に高かった。そのふたりは、現在この世界で子をふたり産んだ。
 その二人目の子は、両親の血を強く受け継いだという。

 

「けれど、その能力はその子には強過ぎる。強過ぎて、その子は自身を滅ぼしかねない」
 合っていれば、碧はその妖狐ふたりの子だろう。

 両親を超える、遙か高い能力。

「滅ぼし…」

 掠(かす)れるような震えそうな声で、蕾螺は繰り返した。
 それは即ち、死を意味するからだ。
 桜珂は続ける。

「親互い共に、それは知らないでしょう」
「っ」

 不安一杯に蕾螺は息を呑んだ。
 そんな重大な事は知っておくべきだ。親なのだから。

「理由はひとつ」

 それを打ち消すように、凛とした桜珂の声が告げた。

 

 

「寵――光能者が傍らにいるから」

「…っ!」

 

 

 蕾螺は目を丸くした。
 あぁ、だからか。納得だ。
 理解した蕾螺にひとつ頷き、桜珂はあえてさらに話す。

「訊くと、寵が先に生まれていますね。だからこそ、碧は生まれた当初からその高い能力を制御されている」

 制御されているのは、母のお腹の中にいた頃からだと思っていいだろう。
 あれだけの能力値だ。あの両親がお腹にいた時点から気付かないわけがない。
 けれど察するに、それはないらしい。

 

「今の状態でも充分、両親(りょうおや)の能力値は超えていますが…」

 まぁそれはそれなのだ。能力制御は、碧の身体に見合うように働いているだけ。
 光能者はそうあるのだ。

 結果、碧の高く強い能力に、誰もが気付かなくて当然なのかもしれない。桜珂が気付いたのは、一重に神だからに他ならない。
 数度瞬きをすると、しょうがないように蕾螺は苦笑した。

 

 

「…敵わないなぁ」

 桜珂にも寵にも、碧にも。
 苦笑を滲ませたまま、蕾螺は応えた。

「解りました。話しておきます」

 秀一と梅流に。
 桜の双眸が安心して淡く細まった。

「頼みましたよ」

 知らないのは心配だ。
 知らなくてもきっと多分平気だと思うが、知っておいた方が良い。それは神という遙か高みの眷属より、近しい者が理想だ。
 その中でも親というのは、まさに強みである。

 

 

 

 ――さわ…

 

 話の区切れを見計らったように、風が二人の間を緩く吹き抜けた。
 つい、と桜珂は空へ顔を上げた。

「そろそろ最初の一仕事をしましょうか」
「じゃぁ、俺はこの辺で」

 かるく蕾螺が会釈すると、桜珂は応えるように笑みを深くした。
 直後、桜珂の身体が光った。かと思えば、一瞬にして光は空へ伸びた。まっすぐに。

 間もなくして光の残像も消え、静かに風が丘に吹いた。
 草花が揺れ、神の桜が葉擦れを小さく立てる。近寄り難かったのか、今になってやっと小鳥が数羽姿を見せはじめた。チチ…、と可愛らしく鳴く声が、蕾螺の耳に届く。

「……」

 眩し気に『神桜』を瞳に映してから、蕾螺は丘を後にした。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 やがて、蕾螺は感じる。

 大気の中、桜の神の想いに。

 

 

 皿屋敷全域に、やさしい風が吹いた。

 

 

 *  *  *

 

 

 

「どうだ? あれからお前さんたちの市は」

 書類に判を押しながら、摘深は訊ねた。
 すでにさぼり気味に筆を鼻に乗せ、幽助は首を傾げた。

「んー…。変わったよーな変わってないような…?」

 こども等に頼み『神桜』が無事浄化されてから、今日で三日目。
 だからといって変わった感じがあるかというと、こういってあまりない。
 摘深の終わった書類を整理しながら、秀一は頷いた。

 

「まぁ確かに大きな変わりはないね」
「そういう神ではないからな、神桜(かみお)は」

 小さく摘深は笑った。
 神桜、とは桜珂の別名である。通称に近いもので、本体である『神桜』と区別するための名だ。

 何となく納得しつつ、秀一と幽助は目を合わす。
 ひとつ息を吐くと、幽助は筆を右手に戻し左手を口に当てた。

 

「……ま。かるくはなったよな」
「だね。どことなく、空気が」

 秀一ももちろん気付いていた。
 『神桜』が浄化されてあの日、市内全域の空気が清んだものになった。それは緩やかなもので、霊力に敏感な者でしか判らないだろう。

 でも確かに、大気は変わった。決して微かではなく大きく、市内全域の負力が浄化されたのだ。
 けれど、緩やかなやさしい神気に気付ける者は少ない。

 

 

「陽星――っ! いるかいっ」

 隣室の資料室から、ぼたんが半ば叫ぶように顔を出した。
 三名は少々驚き、動きを一瞬止めた。

「いないみたいだけど…。どうしたの? ぼたん」

 摘深の終わった数十枚の書類を一つにまとめながら、秀一は訊いた。それを壁際の机に積み重ねる。
 半泣きになりながらぼたんは答える。

「資料室整理、手伝ってもらいたいんだよぉ! って、いないのかいっ?」
「いねぇな」

 即答に幽助が肯定した。
 摘深は面白そうに笑う。

 

「陽星なら、今中心世界だ」
「人間界――?」

 こんな時に、と眉間にしわ寄せするぼたんに、摘深は首縦する。

「そうだ」

 茶の瞳が、嬉しそうに細められた。

 

「神桜に会いに降りてる」

 

 

 

 会えなくなってから、陽星はずっとこの日を待っていた――。

 

 

 

 

 

 +第0夜*Episode.1.−5. 完 

 

 

 

 

http://www.geocities.jp/kitune_sakura/morai-kohaku/ao/modoru.gif