第0夜 ひと欠片の粒子
近い刻、あの子等は波に呑まれるだろう。 それはそれぞれに道を定めることになる波紋だ。
5.5. 波紋
――さわ…
緩やかな皐月の風が、長い黒髪をなびかせた。 桜珂は『神桜』のわりと上方の太めの枝に腰をかけ、皿屋敷全体を見はるかしていた。 桜珂の側にひとつの気配が降りた。そこに桜珂は目線を上げる。
「陽星、ですね」 呼ばれたとほぼ同時に、気配だけだったものが姿を形作った。
「当たり。さすが桜珂」 黒い瞳が嬉しそうに光る。
「もうっ。二十年ぶりよ」 のほほん、と桜珂は笑む。
「そうよっ! 二十年っ。長いわよっ、二十年っ!」 「その二十年、桜珂ったら負力の吸収だけで手一杯になってくれちゃったから、遊びに来れもしないっ」 実際ここ二十年暇であったが、これは表向きの言葉である。――素直になれないのだ。
「でも、驚きましたよ」 そこもすっぱり無視し、桜珂は続けた。
「浄化したのがあなたではなかったのは」 数度瞬きし、陽星は頭をかるく掻いた。
「その予定だったんだけどね」 桜珂は生を受け、千と約五百年経つ。 一度目の浄化は今から約千年前――彼の安部の血筋の者が。二度目は約五百年前――小野の血筋の者
…陽星の親が受け持った。
「取られたわ」 残念そうに、陽星は肩を竦めた。
「まさか、小野と安部以外の者が浄化してくれるとは思いませんでした」 いくら祖父・小野 篁の血を引いたといっても、浄化能力は光能者の方が遙かに強い。
「…そうですね」 桜珂も少しだけ残念そうに、瞳をくすませた。
一度そこで会話が途切れると、遠くの方ではしゃぐ何人かのこどもたちの声が、二人の耳に届いた。 静かに、桜珂が口を開いた。 「――あの子等に、波紋が視えました」 いくつもの軌跡は落ち着きなく、水の上も中も揺らしていた。 不確かな未来の波。
「そんなものじゃない?」 目をしばたかせる桜珂を横に、陽星はここからの風景を瞳に映す。 緑の丘と木、淡い彩(いろど)りの花。遠くにあるは小さな売店に、ところどころに大人やこどもたち。公園内には川が一本あり、そこ沿いに桜が並んでいる。池もあった。
「生きてるんだもの。小さくても大きくても軌跡はあるでしょ」 ない者なんていやしない。 「少なくても多くても、波紋は出来るわ」 誰かと接し、時を歩くのだ。
「まぁ…、大丈夫じゃない?」 強気な瞳で、陽星は桜珂を見た。 「そうですね」 あの子等は独りではない。
波紋は、子たちの持つ能力相応の大きさと数だった。 苦難が多くあるだろう。
そこで道を定めるあの子等は、何を思い越えていくのだろう。
その未来は、近い刻、訪れる。
+第0夜*Episode.1.−5.5. 完
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