第0夜 ひと欠片の粒子

 

 


 
 
 *Episode.

 

 

 

 

 近い刻、あの子等は波に呑まれるだろう。

 それはそれぞれに道を定めることになる波紋だ。

 

 

 

 

 

  5.5. 波紋

 

 

 

 

 ――さわ…

 

 

 緩やかな皐月の風が、長い黒髪をなびかせた。
 その髪は光が当たると一層透き通り、綺麗さを見せる。

 桜珂は『神桜』のわりと上方の太めの枝に腰をかけ、皿屋敷全体を見はるかしていた。
 市内全域の浄化は上手くいったようだと、吹く風の気で確かめる。守護区全体の負力の浄化。自分が浄化された後に一度だけ使える能力だ。

 桜珂の側にひとつの気配が降りた。そこに桜珂は目線を上げる。

 

「陽星、ですね」

 呼ばれたとほぼ同時に、気配だけだったものが姿を形作った。
 二つに結い上げられた肩先ほどの黒い髪の、十七、八歳ぐらいの少女。

 

「当たり。さすが桜珂」

 黒い瞳が嬉しそうに光る。
 桜珂の隣に座りながら、陽星はうってかわって怒り一声。

 

「もうっ。二十年ぶりよ」
「そんなになりますか」

 のほほん、と桜珂は笑む。
 びしっ、とそんな桜珂を陽星は指し、続けた。

 

「そうよっ! 二十年っ。長いわよっ、二十年っ!」
「ですね」

「その二十年、桜珂ったら負力の吸収だけで手一杯になってくれちゃったから、遊びに来れもしないっ」
「すみません」
「暇よっ。暇だったわよっ!」

 実際ここ二十年暇であったが、これは表向きの言葉である。――素直になれないのだ。
 朗らかに桜珂は話題に変えた。

 

 

「でも、驚きましたよ」
「あたしの文句、流したっ?」

 そこもすっぱり無視し、桜珂は続けた。

 

「浄化したのがあなたではなかったのは」
「……。ぁ――…」

 数度瞬きし、陽星は頭をかるく掻いた。

 

「その予定だったんだけどね」

 桜珂は生を受け、千と約五百年経つ。

 一度目の浄化は今から約千年前――彼の安部の血筋の者が。二度目は約五百年前――小野の血筋の者 …陽星の親が受け持った。
 三度目は今回に当たり、小野の血筋を継いだ陽星が受け持つことになっていた。が。

 

 

「取られたわ」

 残念そうに、陽星は肩を竦めた。
 小さく桜珂は笑う。

 

「まさか、小野と安部以外の者が浄化してくれるとは思いませんでした」
「仕方ないわよ。光能者に浄化能力が敵うわけないもの」

 いくら祖父・小野 篁の血を引いたといっても、浄化能力は光能者の方が遙かに強い。

 

「…そうですね」

 桜珂も少しだけ残念そうに、瞳をくすませた。
 本当に少しだけだったので、それに陽星は気付かなかったが。

 

 

 

 一度そこで会話が途切れると、遠くの方ではしゃぐ何人かのこどもたちの声が、二人の耳に届いた。

 静かに、桜珂が口を開いた。

「――あの子等に、波紋が視えました」

 いくつもの軌跡は落ち着きなく、水の上も中も揺らしていた。

 不確かな未来の波。
 隣の神から、つい、と陽星は前方に目線を移した。桜珂の言う波紋は、障壁を差している。

 

「そんなものじゃない?」
「…陽星」

 目をしばたかせる桜珂を横に、陽星はここからの風景を瞳に映す。

 緑の丘と木、淡い彩(いろど)りの花。遠くにあるは小さな売店に、ところどころに大人やこどもたち。公園内には川が一本あり、そこ沿いに桜が並んでいる。池もあった。
 さらに遠くには、殆ど建物が判別出来ない皿屋敷市街が見える。
 上には、青い空と白い雲。

 

「生きてるんだもの。小さくても大きくても軌跡はあるでしょ」

 ない者なんていやしない。

「少なくても多くても、波紋は出来るわ」

 誰かと接し、時を歩くのだ。
 誰かがいるから時は動き、感情が生まれる。良くも悪くも、それは未来を作る。

 

 

「まぁ…、大丈夫じゃない?」

 強気な瞳で、陽星は桜珂を見た。
 桜の瞳が幾度か瞬く。そして、ふ、と安心したように緩んだ。

「そうですね」

 あの子等は独りではない。
 それを信じよう。

 

 

 

 波紋は、子たちの持つ能力相応の大きさと数だった。

 苦難が多くあるだろう。

 

 そこで道を定めるあの子等は、何を思い越えていくのだろう。

 

 

 

 

 

 その未来は、近い刻、訪れる。

 

 

 

 

 

 +第0夜*Episode.1.−5.5. 完 

 

 

 

 

 

 

http://www.geocities.jp/kitune_sakura/morai-kohaku/ao/modoru.gif