第0夜 ひと欠片の粒子

 

 


 
 
 *Episode.

 

 

 

 

 冥界――冥府。

 そこは、現世からくる魂の管理課。

 

 浦飯 幽助は、まさにそこで働いていた。

 

 

 

 面倒臭い書類に下手な文字ながらも筆を進めつつ、幽助は眉を寄せた。

「なぁー、陽星(はるほ)」

 呼ばれ、振り向いた外見十七、八ほどの少女は首を傾げた。

「何?」

 二つに結わえた黒い髪が、その拍子に揺れる。髪の長さは肩辺りだが、下ろすと腰を越すほどにはあるだろうか。
 服装は古の中国か巫女に近い動きやすさ重視のもので、首には勾玉のついたチョーカーがしてある。
 筆を止めると、片肘を立てそこに顎を乗せて幽助は問う。

 

「お前って、確か冥府の官吏とかだったよな?」
「とかじゃないわよ。冥府の官吏よっ」

 半端な言い方しないで、と陽星の黒い瞳が光る。
 そこは別段気にせずさらりと流し、幽助はさらに問う。

「ほとんど毎日のように冥府(ここ)に来てる気すっけど、三途の川の仕事は?」
「何事もなく滞りなく、皆冥門へと逝ってるわ」

 両腕を腰に当て、陽星は答える。

「馬鹿な魔等(やつら)だって年中出るわけでもなし、おかげさまで平和よ」

 そしてはっきりと言い切った。

「だから暇で来てるの」
「……」

 暇なことはいいことなのだが、それでいいのか幽助は少々悩む。
 いや。だからって陽星はただ遊びに来てるだけではなく、しっかり書類整理等を手伝ってくれている。本業が暇なときは、当然の流れらしいようだ。
 相変わらずの陽星に、外見十七、八ぐらいの少年が笑う。

 

 

「陽星。けどそろそろ、そうじゃなくなるかもな?」
「摘深(つつみ)」

 そう陽星に呼ばれた少年は、走らせていた万年筆を止め、悪戯っ子のような顔をした。
 幽助は首を傾げた。

「コエンマー。それってどういう意味さ」
「お前の子たちが、まさに今やってるはずの仕事だな」
「へ?」

 遠回しの答えに、幽助は眉を寄せた。

 コエンマ。
 幽助等にはそう呼ばれている少年は、本名は摘深といった。
 通称通り閻魔王の子であり、次期閻魔王である。言ってしまえば、コエンマ、というのはいわゆる役職名なのだ。

 能力値が上がったのか、現在摘深はペンダントに霊力を溜める形式になっていた。かつては口に咥えるタイプの物だったが。
 小さく笑い、幽助同様疑問符を飛ばす陽星に、摘深は教える。

 

 

「桜珂(さいか)が浄化されるよ」

 

 

 

 

 

  4. 無自覚の力 …浄化

 

 

 

 

 こどもたち七人は、確実に妖等を倒しつつ『神桜』へ向かっている。
 それでもまだ五十メートルはあるか、…そこで蕾螺は『神桜』の気(オーラ)に気付く。
 太い太い幹の中に、黒く暗いビーチボールほどはあると思われる大きさの気。

「寵っ」

 道を挟みあちら側の弟を、蕾螺は呼ぶ。
 顔を向け、寵は目で先を促す。

「行け!」

 蕾螺のその一言を、寵は意味を正確に受け取った。
 頷き、寵は後方の幼馴染みに声をかける。

「碧っ」
「判った」

 それだけで碧も理解し、『神桜』へ走り出した寵の後を追う。
 前を行く寵に、碧は妖等を倒しながら訊く。

 

「神様――て、あの黒いのか?」

 はっきりとまでいかないが、それなりに視える黒い気。
 妖等を倒すのは碧にまかせ、寵は首縦する。

「うん。幹の中にいる」
「…だな。呑み込まれきってないか…?」

 碧の眼には、黒いだけにしか視えない。
 果たしてあれで浄化が間に合うのか。
 けれど、寵は否定した。

「大丈夫」

 はっきりと。

 

「まだ呑まれきってはない」

 

 

 

 差してそこまで強くないのだが、霊光弾を妖等に打ち放ち琉那は眉を寄せた。

「呑まれきってない? あれで?」

 琉那のただ打ちたかっただけという攻撃に少々呆れつつ、蕾螺は頷く。

「あぁ。お前はどの辺まで視えてる?」
「どの辺までって――。何かもやもやと黒いぼんやりとした感じの丸い…わりと大きそな感じ?」

 琉那の答えに、蕾螺はかるく戸惑う。

 

「…何気に丁寧な答えだな」

 言葉回しはともかく。…なんとなく通じるが。
 ようするに、あまり視えてないのか。だからこそ、呑まれたのだとしか視えないのだろう。

 蓮と蛍明も、琉那と同じぐらいの眼だったと記憶している。
 当たり前だ。妖怪幽霊類とわけが違う。相手は、神、なのだ。持つ気の高さが違いすぎる。

「おれは、強い気だな、って辺りまでは視えてるけど。大きさはビーチボールぐらいかと」

 先にそう答え、紅光は蕾螺を見上げる。

 

「蕾兄は?」
「かなりわりかし」

 あっさり蕾螺は言い切った。
 そう、相手は神様ランク。

 紅光と碧の眼の霊力値でさえ、まだ足りない上位。
 けれど、蕾螺の『眼』はまさにその位が視えるのだ。

 

「その黒い気の中心に、いるよ」

 

 

 寵も蕾螺に近い『眼』を、確かに持つ。

「光がある。小さいけど、はっきりとした強い光」

 貴高い、凛とした光。
 まっすぐにその光を視据える寵に、碧は二度瞬きをし呟いた。

「……さすが」

 光能者だ。
 自分には、その光までは視えない。
 視えないが、おそらくその光が『神桜』の本体だろう。

 

 

 

 ――ザアッ!

 

 後一歩というところで、寵と碧に強い風が吹きつけた。
 構わず、寵は最後の一歩を踏み出す。それと同時に、太い太い幹に両腕を伸ばす。その両手の先は、黒い暗い気。

 一メートル先は上だろう黒い気は、寵に呼ばれたかのように下降する。
 そんなことはさせないと刃向かってくる妖等を、碧は叩き倒していく。

 

 

 静かに、黒い気は寵の腕に収まった。
 抱き締め、寵は少し哀し気な瞳をし…瞳を閉じた。
 微かに抱く腕に力が入ると、間もなく寵から淡い光が溢れ出す。
 その光は黒い気をやさしく包んだ。

 

 ふぁ…

 

 緩やかに、けれど眩しく寵と黒い気が光る。
 さすがに開けていられなくて、みんな目を瞑る。
 最後の抵抗かのように、負の気を含んだ突風が『神桜』を中心に外へ駆け抜けた。
 が、それは一瞬で、風は清んだものになる。

 

 そして音もなく、光は結界全体を埋め尽くした――。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 空気が変わり、蕾螺はそろそろ瞼を上げた。
 目に入ってきた景色は、いつもと変わらないがどこか眩しい。

(負力が浄化された…)

 澱(よど)みない空気は清み、吸えばすっきりとしたものがある。
 特に空と、この丘の頂が――。

 

「なんか…明るい…?」

 周りを見渡し、琉那は数度目をしばたかせた。
 触れる風に、紅光は頷く。

「余計なものが浄化されたからね」
「さすが我が弟っ」

 当然のように、琉那は寵を褒めた。
 琉那は素直な上下意識はあるものの、そこに特別意識はない。寵が光能者であろうと、気にしていないのだ。むしろ、それが当然なのだ。
 しかし、蕾螺と紅光は目を合わせ…苦笑した。

「…だな」
「ね」

 特別意識がないこと自体に、琉那はすごいと二人は素直に思った。普通は羨ましいとか思ってしまうのに。

 

 終わったんだと判断し、寵と碧が『神桜』から蕾螺たちの場所まで下りてくる。
 平行して、蓮と蛍明も蕾螺たちの場所へ集まる。
 蕾螺の側に来るなり、寵が首を傾げた。

「終わった…んだよね?」
「あぁ、終わったよ」

 首縦する蕾螺に、そっか、と寵はかるく頷いた。
 何ともなさそうな顔をしているあたり、寵は今回も自分が何をしたかなんて気付いてなさそうだ。
 少し離れたところで、碧と蓮と蛍明が眉を寄せ合っている。

 

「やっぱあれってさ…」

 確認してくる蓮に、蛍明は首を縦に振る。

「浦飯だからなせる技というか…」
「すごいよな」

 重く、碧は肩を竦めた。
 三人の会話はこそこそな声音で聞き取れないが、だいたいの見当は付く。
 でもあえて話には突っ込まず、紅光は手を一度叩いた。

 

「はい、依頼完了」

 途端、わっ、と仲間内の空気が明るくなった。
 無意識に入っていたらしい緊張の糸が解(ほぐ)れたらしい。

 

 

 

「お腹空いたー」

 張っていた糸を解すように背伸びをしながら、琉那は要求を口にした。
 言われてみれば、と寵は腹に手を当てる。

「もう、三時は過ぎただろうからね…」
「腹減ったな」

 きゅる、と小さく碧の腹が鳴った。
 その横で蛍明が無言で同意し、蓮が手を上げた。

「寵! ホットケーキ、食いたいっ」
「はいはい」

「魚。」
「蛍明…、それおやつじゃない」

「腹にたまるもん」
「碧、それ以外ないのか」

「あたしはクレープv」
「琉那姉。それは材料、揃ってないと思うけど?」

 え――っ、と不満を垂れる姉を、寵はさらりと聞き流す。
 五人のその様子に、紅光は改めて困惑する。

 

(何か寵くんって、母親的存在…?)

 それもどうなんだろうか。肝心の女子三名の存在はどこに。
 ひとつ嘆息すると、紅光は会話に入ってこない一名に気付いた。

 蕾螺だ。

 振り向けば、蕾螺は『神桜』を見ている。
 紅光の視線に気付き、蕾螺がこちらを向いた。

 

「お前等先に帰ってろ」

 とは言え、聞いているのは紅光しかいないが――紅光に頼んだのだ。

「蕾兄…」

 何でだろう、とは思ったが、訊かなくてもいいか、とも思ったので紅光は頷いた。

「判った」

 蕾螺に背を向けると、紅光は飲食関係で話が盛り上がってる琉那たちに帰りを促した。
 歩き差して寵が気付いた。

「蕾兄は?」
「いいの」

 紅光がそう答えると、寵は少々眉を寄せた。
 けれど追求することでもないので、寵は大人しくみんなと家路に足を進めた。

 

 

 

 

 仲間たちの姿が見えなくなると、蕾螺はこの丘を改めて見渡した。
 浄化がされたのと同時に、結界は解かれた。あれほどいた妖等も、一緒に浄化されたのがよく判る。
 誰もいなくなった丘は静かで、傾き出した午後の陽射しがあたたかく降り注ぐ。
 空気には澱みがなく、呼吸をするたびに自分の中の悪い部分まで洗い流してくれそうだ。

 ゆっくりと、蕾螺は頂へ歩き出した。
 あと三メートルほどぐらいだろうか。そこまで来ると、緩やかな風が蕾螺の頬を撫でた。その風には、強い気が混じっている。

 それに気付き、蕾螺はそこで足を止めた。『神桜』に自然と目が向く。

 

 桜の幹の前。
 人の高さ辺りに、片手より少しだけ大きめの丸い光が音もなく出現した。光は薄い桃色をしていて、一瞬輝きを強めた。

 直後――光はひとへと姿を変えた。
 切り揃えられた、透き通るような黒い髪。その髪は腰辺りまであり、開かれた瞳は桜色だ。百七十センチほどの背に、簡素な着物姿。羽織る布は、白い。

「久しぶりですね」

 外見二十代半ばの青年は、瞳をやさしく緩めた。

「らいら」
「えぇ、お久しぶりです」

 やっぱり、と胸中で苦笑し、蕾螺は青年の名前を呼んだ。

 

 

「桜珂」

 

 

 

 

 

 +第0夜*Episode.1.−4.…浄化 完

 

 

 

 

 

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