第0夜 ひと欠片の粒子

 

 

Episode.

 

 

 藤ノ宮学院高等部――男子寮。

 

 

 浦飯家の長男・蕾螺(らいら)は、現在そこに身を置いていた。

 理由のひとつとしては、家の経済状況があまりよろしくないからだ。
 原因は、母が公務員なのに対し、肝心の大黒柱の父が屋台なんぞを経営しているからだろう。

(それでよく、四人もこどもつくって、ペットを二匹も飼えるよなぁ…)

 不思議である。
 要因としては、あれだ。
 見かねた某二人が、父に声を掛けてくれたから。そうでなければ、自分たちを育てるのは無理に違いない。

 

 まぁ理由はそこにあるから、蕾螺は寮生活中だ。
 藤ノ宮は一歩進んだもので、まず学費は全てスポンサーである財閥が出してくれるのだ。
 寮だってその内のひとつだ。

 実に、浦飯家のような経済にやさしい学院である。

 

 

 

 

 

  1. 呼び出し

 

 

 

 

 ――リリリ… 

 

 

 部屋の電話が、音を立てた。
 種音からして、寮内ではなく外からか。

「はーい」

呼ぶ電話に対し何故か返事をしつつ、蕾螺の同室者・天原 朔深(あまはら さくみ)が出た。
寮の規則として、部屋は二人でひとつだ。

 

「はい、天原・浦飯ですが」

 机に向かっていた蕾螺は顔を上げると、後ろに椅子を回した。

「ぁ、はい。……えぇ、はい、いますよ」

 ひとつ頷くと、朔深が電話口を押さえ蕾螺に向いた。

「蕾螺ー、きみのお父さんからー」
「は?」

 思わず二度ほど瞬き。

 せっかくのGWなのに、何の用だ。
 窓際の机からフリースペースを越え、一段下がった部屋の玄関先スペースへ電話を替わりに行く。

 

「はい」
「さんきゅ。…替わったけど、何?」

用が終わった朔深は、フリースペースへ足早に戻っていった。
そこにはサイドテーブルが置いてあり、朔深の趣味の本やらノートやらが散乱している。

 

『ぉうっ、蕾螺かー♪』

 出ると、確かに父の幽助だった。
もう一ヶ月ぐらい前に会ったきりだが、元気そうではないか。
相も変わらず、実にかなり。

「そうだけど、用は?」

 いい歳をしてあまりにも元気良い幽助に、蕾螺は少々疲れを感じる。
 内心溜め息をついた蕾螺を気にせず、幽助は用件を伝えた。

 

『今日帰ってこい。決まりな』

 ざっくりと軽快に。
 それでいて、なんともしっかり命令形ではないか。

「は?」

 イエローブラウンの瞳を、蕾螺は丸くした。
 なんだそれは。
 先を聞こうと口を開いた矢先、ぷっ、と切られた音が耳に届いた。

 

「………をい。」

小さくだが、低い声が蕾螺から出た。まだ受話器を置いていない手が、明らかに震える。

 

 帰ってこいって説明はなしかっ。前置きも後置きもなしっ。簡単にしても程がある伝え方だっ。

「――っんの…っ」

 怒り任せに、受話器を思いっきり遠慮もなく床に叩きつけたい――のを、どうにか蕾螺は抑えた。

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 ――プアー…

 

 実家の最寄バス停に、蕾螺は簡単な荷物を肩に降りた。
 当日の帰省報告をどうにか寮長に話をつけ、父の希望に沿い実家へと赴く。

「帰ってこい、て言うなら、前もってにしろよな…」

 文句をぼやきながら、蕾螺は歩を進める。
 まだほんの少しだけ冷たい初夏の風が、蕾螺の髪を揺らす。一見黒い髪だが、光が当たると茶の色を見せた。

 ふう…、と深く、蕾螺は無意識に息を吐く。意味も判らない強制帰省が、重い気持ちにさせる。
 文句の十個ぐらいは、どこかに発散したい気は大いにあるのだが。そんな場所も勇気もないので、胸の中に仕方なく閉まって置く。

 

「っ」 

 不意に、肩から背にかけ、冷えた空気が駆け抜けた。蕾螺は足を止める。
 嫌な感じに、蕾螺は首を巡らす。

(あそこ…っ)

 黒っぽい靄が視えた。ここから歩いて数十分そこらの場所だ。ここら辺の子の遊び場でもあり、幼少の頃の自分もそのひとりだった。

 

(皿屋敷第2公園…)

 そこだ。
 皿屋敷第2公園は、そこそこ高い丘がある。市内中央区なら大抵は目に付くだろう、小高い丘。

 その丘には桜がある。おおきなおおきな、桜の木が。
毎年綺麗に咲かせるたくさんの花と、尊大たる幹に親しみを込め、ひとの間ではこう呼ばれている。

 

 『神桜(かみざくら)』――と。

 黒い靄はまさに、『神桜』から放たれているのだ。

 

(何が…)

 あったのだろうか。
 首筋に氷塊が伝う。

「……」

 目の端に『神桜』を留めつつ、蕾螺は踵(きびす)を返し実家へと再び歩き出した。

 

 呼び出された理由に、見当が付いた気がした。

 

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 と、帰宅してみれば、やはり見当付けた通りらしかった。
 自室に向かう前に、いつもより賑やか気味の居間に足を運べば、見知った顔が集まっていた。

「おかえりー、蕾兄」

 相変わらず人懐っこい、九つ下の弟・寵(めぐむ)。早くも四月に九歳を迎えた、同学院初等部三年だ。
 かるく会釈だけしたのは、寵の同級生で親友の、南野碧。寵の右隣に座ってる。
 碧の右隣には、魔界在住の一応女子…の喧嘩っ早い蓮(れん)。歳は寵と同じだ。

「やっと来たかー、蕾兄」
「偉そうだな、相変わらず…」

 困ったように、蕾螺は肩を竦める。
 辺が変わるが…蓮の右隣は、現在桑原夫妻宅に在住の、蛍明(けいあ)。蓮とは二卵性で、蛍明は妹だ。

「姉がすみません」

 喜怒哀楽の乏しい様子で、蛍明は蕾螺に頭を下げた。
 おれが悪いことしたかーっ、と喚く姉を、蛍明は綺麗に流している。
 これも相変わらずだなー、と蕾螺が思っていると、落ち着いた声がかけられた。

 

「蕾兄、お邪魔してます」

 蛍明から一席飛んで右隣で蓮の向かい側に座る、南野紅光(クラピカ)だ。同学院の中等部二年に所属。
寵より五つ上で、碧の兄でもある。
蕾螺はかるく片手を上げた。

「あぁ、久しぶりだな」

 紅光はこのメンバー中、蕾螺の一番気の合う幼馴染みでもある。
 そして紅光の右隣は、生意気な妹・琉那(るな)である。歳は紅光と同じだ。

「蕾兄ー。突っ立ってないで座れよーっ」
「お前な…」

 蓮に負けず劣らずの偉そうな態度に、蕾螺は少し遠くに心を投げ出しそうになった。
 それを抑えて眉間を揉んでから、蕾螺は空いてる席へと移動した。蛍明と紅光の間だ。

 

「このメンバーが集まってるってことは、やっぱあれか」

 荷物を邪魔にならない適当な場所に置いて、蕾螺は誰にともなく話題を投げる。
 すぐに話に乗ってくれたのは紅光だった。

「うん、そう。俺と碧は、父さんから簡単に話は聞いてる」
「そっか」

 やはりな、と蕾螺は納得する。
 紅光と碧の父は、南野秀一だ。知り合いの中で一番逆らいたくない人物一位だが、一番気のきく人でもある。

 

「うちの父親も、説明ぐらいはしてほしいよ…」

 溜め息混じりに蕾螺がぼやくと、紅光は乾いた笑みを浮かべた。
 琉那が同意の声を上げる。

「なー。親父はいっつも強制招集だからなぁ」
「それはうちもだっ。おれも親から何も聞いてねぇもん」

 サイドテーブルに片肘を立て、蓮も文句を垂れる。
まぁ暇潰しになるけどなー、と付け足し笑ったが。
蕾螺が目で左隣に訊くと、蛍明は頷いた。

「ん、何も。ただ、仕事だから行け、て」
「………」

 蕾螺と紅光は、思わず目線をあさっての方に流してしまう。あの夫婦は、と呆らざるえない相変わらずの二人だ。

 

「けどさ」

 と。出されたオレンジジュースを一口飲んで、寵はさらりと言った。

「気のきく父さんとか飛影さんとか躯さんとかって、怖いよね」

 それに六名は想像した。
 何か気のきく幽助。例えば、何かの用事で出かけるとして、行き届いたやさしい言葉で見送られる、とか。
 
同パターンで、飛影と躯。

「………」

 しばしそれを頭に浮かべ、六名は一瞬身体を震わした。

(怖…っ!)

 ありえない。
 すでに空にしたコップを前に、碧は舌を出した。

「気持ち悪りぃ」
「だよねー」

 寵は笑った。

 

 

 ふ、と蕾螺は慣れた気配に気付いて、廊下に顔を上げた。寵も気付いて、兄と同じ方に向いた。
 間もなくして同一階の奥の方から、低い声の会話が聞こえてくる。
 
幽助と秀一だ。ちょうど部屋を出たとこだろう。
 
階段を挟んで隣室に来た頃、紅光たちも気付きだす。

「……うか、…で蕾螺くんでしょ。やっぱ」
「だろ、久しぶりにな」

 と、秀一と話しながら、幽助は居間の襖(ふすま)障子を勢いよく開けた。

 

「おうっ、集まってるか! 青ガキどもっ」
「おうよっ」

 片腕を勢いよく上げ、琉那と蓮が明るく男勝りに反応を返した。
 そんな二人に、蕾螺と紅光と寵はかるく息を吐いた。碧と蛍明は別にどうでもいいので、出されてるお菓子をつまむ。
 秀一は慣れているので、襖障子を閉めながら、そこはさっくり話を変える。

「蕾螺くん。背、また伸びたんじゃない?」

 書類をサイドテーブルの上に置いて、秀一は座った。寵の左隣で蛍明の向かい側だ。

「え? 多分…」

 どうだろう、と蕾螺は首を傾げる。
あまり身長は気にしてないので、自分では判らない。
蕾螺としては、平均身長であればいいか、ぐらいなのだ。
秀一の右隣に座りながら、幽助は複雑な声を上げた。

「おれ、追い越されたかー?」

 春休み中も二泊ほど帰省したときも思ったが、やはりそこは男子ならではの成長期。
一ヶ月そこそこで、息子の身長は実にすくすくと伸びている。
書類に目線を落としながら、秀一は苦笑した。

「息子には追い越されるものでしょ、父親って」
「ぁ〜、なぁ…」

 解ってはいるが、父としては複雑なものだ。
 幽助の背をかるく叩いて、秀一はこどもたちに顔を上げた。

 

「皆、揃ってるね」

 途端、部屋の空気が静かになった。
 こどもたちの目線が、秀一に集中する。
 三日ほど前に受けた依頼を、秀一は伝える。

 

「冥府から仕事だよ」

「……」

 当たりか、と蕾螺は内心嘆息する。

 

 

 呼び出された理由の見当は、的中らしい。

 

 

 

 

 +第0夜*Episode.1.−1.完