その日は嫌になるほど晴れ渡っていた。

 

雨空青空

 

「蔵馬が不機嫌だと思ってこちらに逃げて来てみれば、お前もか」

は黒鵺の方をちらりと見上げる。
黒鵺の言葉の通り、の表情はお世辞にもにこやかとは言い難かった。

「何ですか?」

不機嫌な顔を隠そうともせず、が言う。

 

「…蔵馬と喧嘩でもしたか?」

黒鵺の言葉に、は溜め息をついた。
喧嘩出来るくらいならいい。喧嘩にならないから問題なのだ。

喧嘩にならない、なんて黒鵺に正直に答えるのもしゃくに触る。
は、黒鵺には答えずそっぽを向いた。

 

「珍しいじゃないか、喧嘩なんて」

喧嘩だなんて一言も言ってないのに、黒鵺は喧嘩だと思ったらしく、そう言って笑った。
黒鵺と喧嘩することはあっても、蔵馬はと喧嘩することはない。少なくとも、今のところ。

喧嘩にならない理由はいくつかあるとは思う。
まず第一に、蔵馬との頭の出来を挙げたくなるのは、のひがみか、真実か。
そして蔵馬の態度。
蔵馬はにはやはり少し、気を遣ってくれているのだ。それでは喧嘩にならない。

黒鵺とは、思う存分、やりあうくせに。
そう思っても、蔵馬に対して黒鵺と同じように扱って欲しいとはいえなかった。

同じように扱えるはずがない。
黒鵺は蔵馬と対等に戦える者。

 

 

「だけど私は」

対等どころか。

「うん?」

黒鵺がの言葉を聞き返す。だが、はただ首を振るだけに留めた。

「雨がふりそうだな」

不意に黒鵺がそう言って、天を振り仰ぐ。

 

「え、こんなに晴れているのに何を言って・・・」

そう言いかけたは、違う方向に黒い雨雲を見つけ、眉根を寄せた。

「雨か。・・・この分じゃ、しばらく移動はないだろうな」

黒鵺の言葉。
近々、遺跡を求めて移動しようという話にはなっていた。

「そうだね」

頷くに、黒鵺が軽く頭を撫でる。

それはまるで、移動するまでには仲直りできるさ、と慰めているようで。

はただ、頷いた。

 

 

 

黒鵺が居なくなってしまったあと、は膝を抱えて黒く広がっていく雲を眺めていた。
雨は嫌だと、そう思う。

だって、雨が降れば。

蔵馬のいる洞窟に戻らなくてはならない。
そしてあの狭い空間で顔をあわせなければならないのだ。

それは酷く気がめいった。

 

蔵馬と対等になりたいなんて望まない。
いや、蔵馬がのことを、下だと見ているわけではないことは知っている。

いつでも尊重してくれることも。
だからきっと、嫌なのは自分自身なのだ。

 

蔵馬に追いつけない自分自身。

それが分かってしまうと、ますます自分に嫌気が差した。
自分が一番悪いのに、それなのに自分は蔵馬に八つ当たりしたのだ。

多分、あれは「八つ当たり」の部類に入るだろう。
蔵馬が不機嫌だったのだ、と黒鵺が言っていたのだから、自分の八つ当たりで蔵馬が不愉快な思いをしたのは間違いない。

 

「ああ」

が頭を抱えたそのとき、空から水滴が降ってきた。

「・・・最悪」

近くの木の下にすばやく移動したものの。
いつまでもここにいるわけには行かない。

すぐに本降りになるだろう。
雨宿りをしているよりも、さっさと洞窟に帰る方が賢明だということも分かっていた。

だけど、足が動かない。

そのときだった。

 

 

 

「雨が降り出すまで何をやっている、

不機嫌な声が、すぐ近くから聞こえた。
どきりと鼓動が跳ねた。

が振り返った先には、蔵馬がいた。
銀色の髪が、水分を吸って重たげだった。

それをうるさそうに後に払うと、蔵馬は大きな葉を一瞬で開かせた。
まるでそれは、人間の使う傘のようだった。

 

「ほら、戻るぞ」

その蔵馬の言葉に、蔵馬がを迎えに来てくれたのだと知った。
何故蔵馬はこんなに優しいのだろう。

の瞳にも、水滴が浮かぶ。

動かないを振り返り。
蔵馬は表情の乏しい顔をに向けた。

 

 

「・・・・・・悪かったな」

突然蔵馬から放たれた言葉に、は思わず目を見開いた。
その瞬間に目のふちに溢れていた水滴が、涙になって零れた。

「何?」
の苛立ちを分かってやれなかったことについて」

蔵馬の言葉に、ますますの瞳が大きくなる。

 

 

「そんなの、あなたは悪くない。・・・私が勝手に」

イライラしていたのだ。

そう言ったに、蔵馬は少しだけ苦笑した。

 

「お前のイライラはオレにも覚えがある。・・・オレもイライラしたものだ。力のサイクルがつかめず、うまく妖気を扱えない時期には」

その蔵馬の言葉に、は蔵馬が自分のイライラの原因を知っていたことを知った。

「気にする必要などない。それは時期の問題だから」

同じ妖狐としての忠告。
それを与えてくれることが嬉しく、そして教えを請わなければならない自分の未熟さが寂しい。

「私は、いつまでたっても追いつけないんだね・・・」

あなたに。
あなたはいつも、私の先を行くから。

少し寂しげな口調でそう言ったに、蔵馬は珍しく困ったような表情をした。

 

「・・・追いつけないのはこちらの方だ」
「え?」

きょとん、と蔵馬を見上げたに。
蔵馬は一歩近づいた。

雨は少し、小降りになっていた。

 

だろう? 初めからオレに追いつく必要などない。いや、オレとは別の存在で、オレがどんなに努力しても得られない力を、既には手にしているのだから」

がその言葉をぼんやりと頭の中で反芻する。

「・・・私が・・・?」

蔵馬が得られない力を?

その合間にも、どんどん雨は小降りになり、いつしか魔界にも光が差した。

 

「・・・止んだようだな」

蔵馬はの言葉には答えず、開いたばかりの植物の葉を閉じる。

「・・・の存在自体が」

空を見上げた蔵馬が、思いついたように口を開く。

「この魔界の中で、オレの支えだからな」

ますます目を見開いたに。
蔵馬は手を伸ばす。

 

 

「ほら、何時まで間抜けな顔をしている! 行くぞ」
「え」
「今日中に移動するからな」
「え?」
「ぼさぼさするな、早くしろ、

ぐっとの腕を掴み、照れ隠しのように強い力で引いていく蔵馬に。
はようやく笑みを見せた。

 

「今度はどこを狙うの?」
「黒鵺が見つけてきた場所がある。・・・なかなか面白そうな場所だから、きっとも楽しめるぞ」

さっき、嫌だと思った青空が、今目の前にあっても、それほど嫌だと思わない。

それはきっと、蔵馬の力なのだろう。
そう思って、は元気いっぱい、蔵馬の腕を引っ張った。

 

「それは楽しみ! 早く行きましょ!」

苦笑しながら黒鵺がこちらを見ている。
その方向へ向かって。

蔵馬とは、走り出すのだった。