咲クヤ彼ノ華
夜遅くだった。
ケータイの着メロが流れる。「彼」だ。「彼」のだけ別に設定してあるからすぐに分かる。
3コール分くらい、心地よいメロディーに体を重ねてから深呼吸してケータイの通話ボタンを押す。
「…もしもし」
「もしもし、俺だけど…ごめん寝ちゃってた?」
「ううん、そんなことないよ。それよりこんな遅くにどうしたの?」
「ちょっと話したくなったんだ。だめ?」
「だっだめじゃないよ!うれしい!」
「彼」の言うことはいつも唐突で裏を読むことが出来ない。
もちろんそんな「彼」のちょっと謎めいているところも魅力的なんだけど。
「元気そうで安心したよ。螢子ちゃんとは会ってるの?」
「うん、螢子とはたまに会うよ。こないだカルトのコンサート2人で行ってきた。」
螢子はあたしの高校時代の友達だ。
なぜか3年間ずっと同じクラスだった。
螢子は大学に行き、私は専門学校に進んだけれど、今も忙しいときですら月一では必ず会っている。
私の大切な友達の一人だ。
そう、彼−と出会ったのも螢子のおかげだった。
は螢子の友達だ。
というのは厳密に言うと正しくなくて、螢子の彼の友達だ。
螢子の彼、浦飯くんは中卒で屋台のラーメンを引っ張っているちょっと変わった人で、私も名前くらいは知っていた。
なぜならその界隈ではケンカがめっぽう強いことで有名だったから。
そんな浦飯くんと、都内でも有数の進学校に通っていたがどういうつながりなのかはよく分からない。
他にもリーゼントばりばりで間違いなく不良って感じなのに附属高校出身の桑原くんや、桑原くんの彼女(?)らしき雪菜ちゃんというちょっとはかなげで可愛い女の子、夏でも黒い服でいるとこしか見たことない私より背の低い男の子など、彼の交友関係はまったくもって謎だ。
でも彼らといるときのはとても楽しそうだった。
私が初めてに出会ったのは、螢子に連れられて浦飯くんのラーメンを食べに行ったときだった。
予想していたよりも浦飯くんはとてもあっけらかんとしたいい人で、美人の螢子がなぜ他校の男の子に告られても全く相手にしないのか分かるような気がした。
それくらい2人の間は自然だった。
私が親友の幸せそうな笑顔を見ながら、ご満悦状態でとてもおいしいラーメンを食べ終えたときに、後ろから3人連れの客がやってきた。
「よぉー浦飯!また食ってやりにきたぜぇー」
180cmは軽くあるんじゃないだろうかという感じのリーゼント頭の男の子が言うと浦飯くんは、
「けっお前に食わせる飯なんかねーよ」
と憎まれ口を叩き、螢子に持っていたハンドバッグでパコンと頭を殴られた。
その光景を見ながらリーゼントの子の後ろで、私と同じようにクスリと笑った人が2人いた。
一人は透き通ったように色が白く、不思議な水色の髪をしたおとなしそうな女の子だった。
日本人のような顔立ちだが、全体に色素が薄く外人さんにも見える。年は私より少し下だろうか。
そして私の目はもう一人の人に釘付けになってしまった。
胸まで垂らした、燃えるように真っ赤な髪、整った顔立ち、理知的なたたずまい。
一瞬、あんまりにもきれいなので女の人かとも思ったが、かすかに浮き出たのど仏と、手入れをしているわけでもなさそうなのにキリッとした眉を見て「あ、きっと男の人だ」と分かった。
その顛末を後日伝えると彼はちょっとつまったあと苦笑いしてこういった。
「よく間違えられるんだよ」
…過去に嫌なことがあったらしい。
螢子は私を高校の友人だと言って彼らに紹介してくれた。
同じようにリーゼント頭の子が桑原くん、おとなしそうな子が雪菜ちゃん、そして赤い髪の「彼」をと紹介してくれた。
「変わった名前ね?」
「あだ名みたいなものなんだ」
本名は「南野秀一」というのだ、と言うことを彼は教えてくれた。
「南野くん」、「秀一くん」、…色々考えたが「」というのが彼には一番似合っている気がする。
私は「彼」を「」と呼ぶことにした。
なんとなく近況を話し合い、たわいないことをしゃべっているうちに、ふと彼が聞いた。
「そういや君の好きな花って確か桜だったよね」
「うん、そうだよ」
秋生まれだけど私はコスモスよりも桜の方が好きだった。
薄い紅色の花弁がひらひらと舞い散る様は降り積もる雪よりもきれいだと思う。
でも…今は桜の時期ではないはずだ。
何か関係があるんだろうか。
「お花見でもするの?でも今10月よ?」
「花は花で色々あるからね」
彼はそう意味深に言って、クスリと電話の向こうで笑った。
それと同時ぐらいにボーンと家におかれている古時計の鳴る音がした。
0:00。
日付が変わった。
十二回続けて鳴る古時計の音にかき消されながら彼の声が聞こえた。
「…めでとう」
「え?」
私は普通に、「普通を装って」聞き返した。
僅かだけ期待を込めながら。
「誕生日、おめでとう。」
「…知っててくれたの?」
そう。
日付が変わった今日10月12日は私の誕生日。
でもまさか、まさかがそのことを覚えていてくれただなんて。
「螢子ちゃんにね、以前教えてもらったんだ」
螢子「が」教えたのではなく、螢子「に」教えてもらったと、そう彼は言った。
私にはたまらなくそれが嬉しかった。
「いま、家の前に出てこれる?」
「でれるけど…えっもしかしてうちの前にいるの?」
「うん」
夜中に私の家の前までが!?
「プレゼントって言うか…見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
「そう。出てこれないかな?」
「す、すぐ行く!ちょっとだけ切るね!」
私は急いで電話を切ると、親を起こさないようにそーっとそれでも駆け足で階段を下り、玄関へ向かった。
今日に限ってまだお風呂に入ってなくて良かった…にパジャマ姿なんか見せらんない、などと的はずれなことを考えながら、私は靴を履き、玄関のドアを開けた。
…一瞬、雪が降っているように見えた。
私の額に風に舞った何かがフワリと落ち、張り付いた。
「うそ…」
の立っている後ろ、私の家の前の空き地には大きな木が一本立っている。
それは前から確かにあったものだった。
しかし昨日までとは全く違う光景がそこにはあった。
「桜…が咲いてる…!?」
目の前にある大きな桜の木は、枝枝に重そうに花をいっぱいに咲かせ、私たちを見下ろしていた。
額に張り付いた花弁を手にとって見つめながら、私は状況を少しでも把握しようと、精一杯足りない頭を働かせたが、パニックに陥ってしまい考えがまとまらない。
そんな私を見て彼はにっこり笑った。
「『狂い咲き』って言うんだ。秋頃にね、たまに」気温の関係で桜が『春がもう来た』って勘違いして咲くらしいよ。」
「そうなんだ…キレイ…」
「綺麗だよね。これが見せたくて。」
「なんで…」
私の家の前に桜があると知ってるの?
何でその桜が咲いているって知ってるの?
そう聞こうとして私は口をつぐんだ。
そう…本当は…私は知ってる。
が「普通の人」じゃないことを。
も私もそのことを話題にしたことはないし、螢子から聞いたわけでもなかった。
でも私には自然と分かっていた。
彼をまとっている紅いオーラが「普通の人」のものではないことが。
だからといってがであることにかわりはない。
私はそういう彼も含めて全部に惹かれているのだから。
だからそんなことどうでも良かった。
ひらひらと舞う花びら。
月光に照らされ、鮮やかでそれでいて淡い幻想的な空間。
それをが教えてくれたのだ。
それだけで十分だ。
「ありがとう。最高の誕生日プレゼントだよ。」
彼はにこりと笑った。
私の大好きな笑顔で。
「ちょっと!いつまで寝てんの!遅刻するわよ!」
母のヒステリックな声で目を覚ました時、私はパジャマを着てちゃんとベッドの中にいた。
はっとしてカーテンを開けるとすーっと秋を感じさせるような冷たい風が吹き込んできた。
彼とサヨナラしたあと…どうしたか全く覚えていない。
目の前の空き地にある桜の木に花は咲いていなかった。
なおかつ道路にも空き地の地面の上にも散った花びらがある様子はなかった。
まさか昨日一日で全部特に吹き飛んだとも考えにくいし…。
あれは夢だったの…?
がきてくれたなんて都合のいい夢を見たんだろうか…。
そんなことを考えながら階下へだらだらと降りる。
テーブルの上にあったパンを無造作に取り、口に入れる。
「あ、そうだわ。新聞取ってきてちょうだいよ。」
母の言葉にのろのろと立ち上がり、リビングにかけてある薄手のコートを引っかけ、パジャマが見えないようにして外へ出た。
郵便受けに入っている新聞をいつものように取ろうとして私は気が付いた。
桜の、花。
がくの部分からくっついて丸ごととれたような小さな花が、ちょこんと郵便受けの中に座っていた。
風が吹いた。
昨日、彼が発した言葉が耳によみがえった。
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
私は花を取ってそっとつぶやいた。
Fin
