-------------「黄金色のシアワセ」

 

 「何の本、読んでるの?」

 

 寝そべったままで、先ほどから蔵馬は本を読んでいる。クッションを背に当てて身体をラグの上に半ば投げ出しているような形で、左のひじを床について右手で本を支えている。

 そして時々、器用に右手の親指だけでページをめくる。

 

 

 その体勢はつらくないのだろうか。

 ちらりとそう思うけれど、先ほどから身じろぎもしないで目は文字を追いかけているようだから、大丈夫なのだろう。または、それほどに面白い本なのだろうか。

 

 

 「……うん」

 

 

 蔵馬から返ってきた言葉は、私の問いに対する答えじゃない。

 私は蔵馬の隣にお盆を置いた。丸い、木の盆。それほど大きなお盆ではないけれど、二人分のお茶を載せるにはぴったりで、私は結構このお盆が気に入っていた。

 

 

 「お茶、置くね」

 「ありがとう」

 「何の本なの?」

 

 

 私はもう一度尋ねた。同時にひょいと覗き込む。

 大きさからすると文庫サイズだから、何かの物語だろうか。またはビジネス書だろうか。

 開かれたページから覗くのは文字だけ。

 ところどころに会話を示す括弧が見えたから、ビジネス書ではないようだと当たりをつけた。

 

 

 「推理小説?」

 

 

 さすがに蔵馬にファンタジーはないだろう。いくら昨今巷でファンタジーが大流行だと言っても。

 いや、何が役に立つか分からないから幅広く読んでいるのだろうか?

 そういえば以前、漫画を借りてきて読んでいたこともあった。幽助が貸してくれたとか、義弟の秀一君がハマっているくらいだから読んでみようと思った、とか、そんな話をしたことがあった。

 

 

 「いや」

 「じゃ、ノンフィクション?」

 「いや」

 「歴史物?」

 「いや」

 「……ファンタジー?」

 「いいや」

 

 

 蔵馬は身体を起こして本を横に置いた。しおりも挟まずパタンと閉じたから、私は首を傾げる。

 

 

 「どこまで読んだか分からなくなっちゃうよ?」

 「構わない」

 「構わなくないでしょう? 一体どこまで読んだの? はい、これ、挟んでおいたら?」

 

 

 私がしおり代わりにと差し出したのは、よく買うケーキ屋さんのお店カードだった。今度ぼたんや蛍子ちゃんたちと一緒に行こうかと思って、あの二人に場所を説明するためにもらってきておいたのだ。

 私がお店のカードを差し出すと、蔵馬は一瞬ためらったあとでそれを受け取り。

 それから本を手にしてページをぱらぱらとめくった。

 

 

 そして挟まれたページは、明らかに先ほどよりも前の方だった。

 

 

 「そこじゃないでしょう? もっと後のほうじゃなかった?」

 

 

 私がつい、指摘すると蔵馬は息をついた。諦めたようにひとつ、息をつくと、カードを抜いて本を閉じ、その上に載せる。

 

 

 「…・…実は、読んでなかったから。しおりも必要ない」

 

 

 は?

 

 

 だから何の本なのかよく知らない、なんて苦笑しながら言う蔵馬に、私は大きく首を傾げた。何を言っているのかさっぱり理解できない。

 

 

 「何の本だったかな。……ああ、推理小説だ」

 「……」

 

 

 本にはカバーがかけてあるから、最初のページをめくってタイトルを確認し、蔵馬は私を見上げた。

 

 

 「お茶、ありがとう」

 

 

 頭のいい人のことはよく分からないことが多い。でも、今回のことは極め付けだ。

 

 

 「……読んでなかったなら、一体なんでページをめくってたの?」

 

 しかも推理小説なら、そんな後のページをめくっていたら、うっかり犯人もトリックも分かってしまうではないか。

 それとも、犯人とトリックの確認だけをしたかったのだろうか?

 いや、でも推理小説だと認識して読んでいるわけではないようだった。一体何をしていたのだろう?

 

 

 「参ったな。今日はやけに追及が鋭い」

 

 蔵馬は苦笑して、ぽんぽんと自分の隣を示した。そこに座ったら、という意味だということは、長い付き合いだから言葉にされなくても理解できた。座る前にクッキーの箱をとってきてから、私はすとんと腰を下ろした。

 

 

 「食べるでしょ?」

 「ああ、もらう」

 

 

 パッケージを開けてクッキーを一枚つまみ上げ、蔵馬に差し出す。蔵馬は横着なのか何なのか、手を伸ばすではなく身を乗り出してぱくりと食べた。

 

 

 「で?」

 「……分かってる。相手に話をはぐらかそうなんて思ってないさ」

 

 お茶を飲んでから、蔵馬は苦笑した。私ももちろん、はぐらかされるなんて思ってない。

 蔵馬はいつも、私の問いには答えをくれた。彼なりの、答えを。

 

 

 「なんと言えばいいのかな。……参ったな。それを考えていたから本を読むというポーズをとっていたのに」

 「……は?」

 「いや、つまり。に話があって、それをどう切り出そうかと考えていたんだ」

 「何で本を読むふりを?」

 

 不要じゃないか、と私は首を傾げたけれど、これには蔵馬は同意できないようだった。

 

 

 「本を持っていなければ、から見てオレが考えごとをしているのが一目瞭然だろう?」

 「うん」

 「……それは少し」

 

 

 別にいいじゃない、と呆れて私はクッキーを口に放り込んだ。バターの風味が口いっぱいに広がる。だから私はこのクッキーが好きだ。

 それもプレーンが一番おいしい、と私は思う。

 

 

 「で、何を考えていたの?」

 「やはり今日は追及が鋭い」

 

 両手を挙げて降参のポーズをして、それから蔵馬は手を伸ばしてクッキーを摘んでいく。何だかんだいって、蔵馬もこのクッキーを気に入っているのだということを私は知っている。

 だから、彼と一緒に過ごすお茶の時間には、たいていこのクッキーも準備しておくのだ。

 

 

 

 「……大失敗、だったな」

 

 

 蔵馬ももう一枚クッキーを摘んで、それから大きな大きなため息をついた。彼がこうまでがっかりした顔をするのはとても珍しい。

 

 

 「何が?」

 「に見破られたこと」

 

 

 よりによって今日、こんなときに見破られなくても、と蔵馬がぼやくから、私もなにやら申し訳ない気分になってくる。別段私だって、蔵馬の考え事を見破ってやろうだとか、困らせてやろうだとか思っているわけじゃない。

 

 

 「ええと、ごめんね? えっと、それじゃこの話題は終わりにしよう。ねえ、お茶のおかわり、いる?」

 

 蔵馬を困らせるのは本意じゃない。私が話題を変えようとして立ち上がりかければ、蔵馬に押しとどめられた。

 

 

 「……それはそれで困る」

 「何が?」

 「話題が終わること」

 「……なんで?」

 

 

 

 蔵馬が困ったように笑う。私は立ち上がりかけた中途半端な体勢のままで、今更だとは思うのだけれど、一応いってみる。

 

 

 「えっと、今のことが何か蔵馬に不利な情報を含んでいたんだとしても、私は誰にもあなたの情報を漏らさないよ? 誰にも言わない」

 

 

 何を言わないのか良く分からないけれど、蔵馬が何か考えていたと言うことは少なくても誰にも言わない。

 だから安心して欲しい、と続けた私に、蔵馬の苦笑が、引きつった。

 

 

 

 「いや、……ありがとう、それは確かにありがたい」

 「ん、安心して。だからこの話はおしまい。えっと、なんならやり直そうか?」

 

 

 私はお盆を持ち上げて立ち上がる。そしてキッチンへ戻って手早くお茶を注ぎ直す。

 

 

 「まだこれ、一回目のお茶だからね」

 

 

 そう声を掛けて、私は別のお菓子の箱とお盆を手に、蔵馬の隣に座った。

 

 

 「お茶、飲む?」

 「……ああ」

 

 

 今度は蔵馬は本を手には取っておらず、はっきり苦笑を浮かべながらも頷いた。

 一口お茶を飲んで、私が新しく持ってきたせんべいの小袋を手にして……それから再び蔵馬は肩を落とした。

 

 

 「何よ」

 「……自分が情けなくなって」

 「もう! 気分転換してよ!」

 

 いつまでも拘るなんて蔵馬らしくない。私も息をついて、自棄とばかりにせんべいの袋をあけてバリバリとかじった。

 

 

 「……しかもせんべいになってるし」

 「何よ? クッキーならまだあるよ?」

 

 ほら食べなよ、と勧めた私だったけれど、蔵馬はクッキーに手を伸ばすこともしない。ばりばりと音を立ててせんべいをかじる私を眺めて、それからふっと笑った。

 

 

 「策を練るのはやめた」

 「……うん、それがいいんじゃない? せんべいもおいしいよ」

 「ああ、……、結婚しよう」

 

 

 

 せんべいの塊が、のどを直撃した。

 私が思いっきりむせたのを見て、蔵馬は焦ったようで、お茶をとって私の背中をさすってくれる。

 

 

 「あ、ありがと。げほ、げほ。せんべいでむせると痛い」

 「足りなければオレのも飲んで」

 「ん、もらう」

 

 

 遠慮なく、蔵馬の湯のみも奪ってのどを潤して、それから私は蔵馬を見た。

 

 

 「さっきの」

 

 まだ、声がかすれた。これはむせたからだ。

 

 

 「ああ、返事は?」

 「……いきなり、何?」

 「いきなりじゃない。ずっと考えてた。いつ言い出そうか、と」

 

 

 その瞬間、私も悟った。

 先ほどから蔵馬が考えていた、というのは。

 

 

 

 「……ご、ごめん」

 

 

 蔵馬は何かきっとプロポーズのタイミングを計っていてくれたのに、私がぶち壊したのだ。

 

 

 「え? それはプロポーズに対する断りの返事?」

 

 蔵馬の眉が少しひそめられる。だから私は慌てて首を振った。

 

 

 「違う違う! それはオッケーなんだけど、そうじゃなくて、せっかくの策を私がぶち壊してごめんってこと」

 

 

 蔵馬もまた、小さく笑う。彼だって私が断るなんて、思っているはずがない。

 

 

 「……まあ、いいさ。たまには計算どおりに行かないことがあったって」

 「ん、そう、かな」

 

 

 頷いて。

 それから今度は私が嘆息した。

 

 

 「あ〜、でももったいないことをした!!!」

 

 

 ばたばたと暴れた私に、蔵馬は笑いながら湯飲みを盆に載せて立ち上がる。

 

 

 「じゃ、やり直ししますか」

 「え、してくれるの!」

 「栗饅頭と玉露を準備しておいてくれたら、ね」

 「うん、っていうか、今から買いに行く?」

 「いいね。ついでに寄りたいところもあるんだけど、付き合ってくれる?」

 「いいよ、どこ?」

 「勿論、ジュエリーショップ、だろ?」

 「……」

 

 

 えへへ、と笑って頷いた私に、蔵馬は、といえば。

 

 

 「あ。……

 「何?」

 「やっぱり、栗饅頭よりも、モンブランと紅茶がいい」

 

 ころっと気分を変えて振り返るから、私も大きく吹き出しながら、彼の背を追った。

 

 

 「あ、

 

 私が追いつくと蔵馬は振り返り、私の顔をちらりと覗き込んで、そして少しだけ、意地悪に笑った。

 

 

 「ジュエリーショップ、オレは婚約指輪より、狐の形のペンダントなんていいと思うんだけど?」

 「何よそれー!」

 「予定からずれたついでに、そこもずらしても面白いと思わない?」

 「思いません!」

 

 

 楽しげに肩を揺らす蔵馬を追いかけて、私も外に出る。

 夕焼けの黄金色が目に飛び込み……幸せの色は黄金色なんだな、と思った瞬間、私は自分でも止められないくらい、笑みがこぼれていくのを自覚した。

 

 

 

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