<ほっとする季節> 「ねえ、蔵馬? 寝ちゃったの?」 傍らで本を読んでいたはずの蔵馬を振り返れば、彼はソファの上で目を閉じていた。手元を見れば、文庫本のページがはらりとめくれた。 本が手から滑り落ちそうになって。だけど、私が、あ、と思ったときには、蔵馬の手が、文庫本をとらえていた。 「? ……ごめん、寝てた」 「うん、珍しいね、蔵馬が人前で寝るなんて」 「人前と言っても、居るのはだけだろう?」 それなら緊張感を持続させる必要はないよ、なんてさらりといって、蔵馬は文庫本をそっと脇に置いた。 「、それよりさっき呼んだだろう? 何?」 「あ、えっと、そんなに大したことじゃなかったんだけど」 一応の断りを入れて、私は本題を口にした。本当に大したことじゃない。蔵馬が寝ていたと知っていたら、今切り出さなくてもよかった話だ。 「夜は何を食べる? って聞こうとしただけ」 「ああ、夜ね。……何でもいい」 「何でもいいって一番困るのよね」 ぼやいて、それから私は蔵馬を見る。蔵馬は再び背をソファの背もたれに預け、目をつむっていた。 まさか蔵馬は今からお昼寝でもするのだろうか。それは相当珍しい現象だ。 私が先に眠ってしまうことは多々あるけれど、蔵馬が私より先に寝入ることなんてない。朝だってたいていが私より早起きで。つまり、私は彼の寝顔を数えるほどしか見たことがない。 それなのに、今。 蔵馬は眠ろうとしている。 その事実がよく理解できず、私は蔵馬を凝視した。 「」 「何」 「……そんなに見つめられるとさすがに眠れない」 気配に敏いのはさすがだと思う。だけど。 蔵馬の返事から、やっぱり彼は眠る気なのだと分かって、私は身を乗り出した。 「どこか悪いの?」 「いいや、なぜ?」 「だって蔵馬が昼寝なんて! 天変地異の前触れかと思うじゃない」 「酷いな」 蔵馬は目をつむったままで軽く笑って、それから身体を倒した。私の、ひざの上に頭を乗せて。 「オレだって眠らなければ生きていけないさ」 「でも、短くて足りるじゃない。私はあなたが、眠るのは嫌いなんだとばかり思ってた」 「襲われる可能性があるところで眠るのは好きじゃない。……ただ、秋はね、眠くなるんだ」 そう言って、蔵馬は小さな欠伸をした。 普通、眠くなるとしたら春なんじゃないだろうか。春眠暁を覚えずというのだし。 そう、私が思ったのが伝わったのか、蔵馬は笑う。 「秋は植物にとって、一仕事終えた季節だろう? 芽を出し、花を咲かせ、実を結んだ頃、秋を迎える」 「そうね」 「だから秋はほっとする。昔からね」 植物と縁が深い蔵馬らしい理由に、私も小さく笑った。 「それに、秋はの季節だからね。秋の優しい光は、に似ているから。……とても安心、する」 私の口元が再び綻ぶ。じっと見つめていると、蔵馬の息が、寝息に変わった。 だから私は、もう一度、思わず笑みをこぼした。 秋。 確かに、夏の烈しい日差しは柔らかく変化し、暖かく、穏やかに降り注いでいる。蔵馬の髪の毛をそっとかき分け、私も記憶をたどった。 蔵馬の銀色の髪も大好きだった。 だけど。 「今のあなたも、大好きよ」 呟いても蔵馬は何も反応しない。本気で寝入ったかと思えば、何やら嬉しい。 めったに見れない蔵馬の寝顔。 ……それを見せてくれたことだけでも、私にとっては最高のバースデープレゼントだ。 とはいえ。 二人で秋の日差しの中、まどろんで。 それから目を覚ました蔵馬は、当然のごとくにプレゼントを買うつもりだったのだが、寝顔というプレゼントをもらったのだから不要だと言い張るに、自らのうかつさを悔いるのだった。 「今度から、の前でもっと眠ることにするよ。……そうすれば、寝顔くらいでプレゼントをもらったなんて言わせずに済む」 「モノをもらうばかりがいいことじゃないでしょ?」 「全く、は本当に元盗賊とは思えないセリフを言うね。……分かった、それなら次のクリスマスには一緒にお風呂に入ろうか」 「いや、全く意味分からないから! お風呂は一緒じゃなくていいし、蔵馬のお風呂姿は見なくていいから!」 それなら策を練るしかないかな、という蔵馬のつぶやきは、幸か不幸かの耳に入ることはなかったのだった。