<禁句> 2
「ちょっと風に当たってくる」
またよくある雑談が途切れたのは、それから程なくしてのこと。
区切りがついたところで、彼は席を立った。
まだ食事は皿に残ったままだったが。
レストランのスタッフに声をかけてから、外へと出て行く。
扉が閉じられる直前、少し髪の毛が風に揺れたのが見えた。
「お、俺も!」
彼が出て行って数十秒もしない内に、立ち上がる秀一。
スタッフに声をかけるのも忘れ、逆に声をかけられ、すぐ戻るからと慌てて言ってから、扉を押した。
夜風は少し肌寒い。
季節は春の終わり。
こんな日は珍しかった。
最も、震えが来るほどではなかったので、上着を取りに行くこともなく、そのまま背中で閉めた扉から離れる。
「……」
数歩進んだところ、まだレストランの屋根の下で、立ち止まった。
何をしに出てきたのか……自分でもよく分からない。
悪いことを言ってしまったのは分かっている。
謝らなければならないのに、まだ謝っていないことも。
『人間じゃない』など、言われて気分のいい者などいないだろう。
いくら褒め言葉の後に続いたところで。
いや、あまり褒め言葉を言った覚えもないから、尚更かもしれないが……。
自分がどうしたいのか分からない。
謝らなければならないが、その後どうすればいい?
謝った後、許してもらえなかったら?
むしろバカにされて、果たして自分は耐えられるだろうか?
多分そういう事を言う人ではないとは思うけれど。
だが、不穏な空気が流れるくらいなら、その方がいいかもしれない。
もし無言の時間が続いてしまったら……それこそ修復不能かもしれない。
これから兄弟として生活するのに。
それだけは避けたかった。
しかし、一体何を言えばいいのか……。
「……?」
ふいに顔を上げると……レストラン敷地内の森が光って見えた。
全体的にではなく、一部分だけ。
月明かりか気のせいかと思って、ゴシゴシと目を擦り、改めてゆっくりと開けてみる。
「!!?」
月のせいではなかった。
気のせいでもなかった。
森が光っている。
いや、森ではない。
森の中……この位置から、その姿を捕らえることは出来ない。
だが、分かる。
……銀色に輝いている。
それが誰なのか、考えなくても、直感で分かった。
「(……あの人だ)」
人間なのか、普通じゃない人間なのか、それとも本当に人間でなかったのか。
そこまでは分からなかった。
しかし、それが通常、好かれないものだということは分かる。
現に自分も一瞬怖かった。
今は……怖くない。
むしろ、嬉しかった。
何だ……完璧な人間なんていないじゃないか……。
あの人だって、自分を隠してる。
必死に。
母さんにばれないように。
これからは、俺や父さんにも。
きっと隠し続ける。
綺麗な笑顔の下に、人に見せたくない銀色を隠して。
それすら綺麗だと気付かずに。
……俺ってバカだ。
誰でもあることじゃないか、隠し事の一つや二つ。
見えるだけの完璧さはただの隠し箕。
完璧じゃない部分だって、ちゃんとある。
それに気づかず、完璧だと思いこんで、嫉妬して……。
急に自分が恥ずかしくなった。
何も分からないまま、何も知らぬまま、兄に嫉妬していた自分に。
そう、気に入らなかったのではなく、嫉妬していたのだ。
能力に溢れていると思った兄に。
欠点などないと思っていた兄に。
会ってすぐに分かり合えるなんてこと、あるわけない。
いや、あることもあるかもしれないが。
少なくとも、自分と兄は違ったのだ。
もう秀一は迷わない。
欠点のない人間なんていない。
そう分かったから。
小さな欠点のある兄。
それでも見た目は完璧で……でもその完璧さすら、今はかっこいいと思える。
自分を隠してでも、周囲を気遣っていて、心配をかけまいとしている。
大人だった。
そんな兄と仲良くなりたかった。
すっと歩を進め、階段を下りていく。
「秀一さん、いますか?」
今正に、レストランから出てきたように呼んでみる。
すると彼の方も、森の奥からさりげなく出てきた。
こちらから呼ぶ前に、とっくに気付いていたということに、秀一も気付いている。
「ここだ。秀一くん」
「あ、秀一さん、気分でも悪いんですか?」
たっと走り寄る。
少し恥ずかしかったが……何となく謝る気にはなれなかった。
何となく必要ない気がして。
そんな自分に対して、兄も嫌な顔一つせず、
「いや、大丈夫だ」
と、微笑で返した。
その笑顔はさっきの銀色とは違って、すごく穏やかで優しくて……心地良い物だった。
ぽんっと肩に手を置かれ、促されるように、レストランへ戻った。
あったかかった。
さっきのあれ……もしかしたら、あれは人間じゃなかったのかも……そう思いもしたが。
別にそれでもよかった。
今、横にいる兄はとても温かい。
それだけで…十分だった。
例え、その裏にどんな闇があろうとも。
例え、その影にどんな顔を隠していようとも。
それが当然。
当たり前のことだから……。
「秀一さん」
扉を押そうとする兄を、ふいに止める秀一。
「何?」
「あの……兄さんって…呼んでも……いいですか?」
「!」
少し頬を紅潮させながら言った秀一に、驚きの顔を隠せない兄。
あまり好かれていないと思っていた分……という雰囲気だった。
だが、兄は……同じ『秀一』の名を持つ兄は、笑顔で言ってくれた。
「ああ、いいよ……『秀一』」
「(……本当、最初は嫌だったんだよなー。嫉妬しまくり。今思えば、ものすごく恥ずかしい…)」
友人たちが帰った後、何となくテラスで物思いにふける秀一。
ここは元々、母と兄が二人で住んでいた家。
死んだ前の父親の遺してくれた家で、しかも割とお金持ちの部類に入っていたせいか、かなり広く、自分の個室もあっさりとあてがわれた家。
前、父と二人で住んでいた家も好きだったが、こちらの方が今は好きだ。
しかし、家よりもむしろ……庭の方が好きだった。
以前の家というのは、マンションで、眺めはよかったが、どうしても庭だけは手に入らなかった。
いちおう協同の中庭はあったが、それでもこんなに素敵なものはなかった。
春、満開に咲く桜。
薄紅で、小さくて可憐で、可愛らしい花を咲かせる樹。
今は枯れ枝のように、何もつけず、春のための小さな蕾をつけているだけ……しかし、それは来年の楽しみになる。
この桜の樹が……秀一はとても好きだった。
兄も好きだと、最初に過ごした春、聞いた。
小さい頃、よく登ったと言っていた。
聡明で理知的な兄が、木登りなどするのは、ちょっと意外ではあったが。
「でも、桜にも欠点あるよね。夏の毛虫退治、結構大変だから」
苦笑しながら、桜に語りかけるように呟く秀一。
ふいに彼を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、ソファに腰掛けた兄がいる。
テーブルには陶器のカップが二つ。
両親の帰りまで時間があるから、お茶しようということだと、秀一は瞬時に悟った。
「すぐ行くよ、兄さん」
兄さん。
すごく心地の良い響きだった。
呼べるようになってよかった。
完璧さも欠点も、全てが好きになれた証だから……。
終
〜作者の戯れ言〜
何か微妙ですね……。
えっと、これはアニメ102話にて、バイオリズムのことを話していた蔵馬さんの回想です。
時々妖狐さんに戻ってしまうというあれですね。
でも何で、家族で食事に来ている落ち着いているはずの時に??と思って。
怒りが頂点に達すると50%の確立で妖狐さんになっちゃうらしいですが……まあ、完全に妖狐さんに戻っているわけではないので、別に怒ってたわけじゃないかもしれないんですが。
もし、こんなこと言われたら、怒らずとも焦るかな〜と。
ちなみに私はこれでも畑中秀一くん、好きですので(なら、何故こうなる…)