<天使たちの祭典>

 

 

さくっ…

 

春を間近に迎えた、とある平原。
遮るものの何もない空から、ちらちらとこの冬最後の雪が降りそそぐ中、蔵馬は歩を進めていた。

手には妖力で創り出したのだろう、薔薇の花。
しかし、いつもは真っ赤な薔薇を手にしている彼だが……今、その手にあるのは、ダークピンクの薔薇だった。

 

誰もいない平原を、彼は迷わず進んでいく。

そして……、

 

 

「……」

 

とある場所でゆったりと立ち止まる。
そこには何もなかった。
しかし、誰かを待っているという風ではない。
そうであれば、多少なりとも周囲を伺うだろうが、彼の視線は真っ直ぐ足元へ落とされていた。

 

 

「……今年も来ましたよ」

そう言って、足元へそっと薔薇を下ろす。
感謝の意味を持つ、ダークピンクの薔薇を。

 

墓標もない。
墓石もない。
墓桶もない。
盛り上がった墓土さえない。

真っ平らな…他の場所と何ら変わらないただの地面。
雑草と呼ぶべき、平原を多う枯れかけた草と、やや急いで生えてきた今年の若芽、次第に水へと変化する雪だけが、そこにはあった。

 

 

だが、分かる。
蔵馬にだけは。

そこが……彼の産まれた場所だということが。

 

 

 

……何千年も前。

蔵馬はここで生まれた。
今でこそ、真っ平らな地面だが、当時は穴が掘られていた。

狐の巣穴。
決して珍しくはない、隣のテリトリーでも、同じように作られていたことだろう。

産声を上げたのは、蔵馬の他にも3匹ほどいた。
が、父は既にいなかった。
通常、狐の子育てはある程度大きくなるまで、父親も協力する。
しかし、母によれば、父は既にこの世の者ではなくなっているとのことだった。

 

それが自然の掟。
幼い蔵馬にも分かっていた。
決して、誰にも曲げてはならぬもの……。

 

 

だが、曲げられてしまった、それは。

人間どもの手によって。

 

 

父のいない分、母は忙しく動いていた。
4匹の子狐のために、必死になって。
その姿がたくましく思えたのは、今でも記憶に鮮明に焼き付いている。
思えば、母親を尊敬する情はその頃からあったのだろう。

だからこそ、何千年ぶりに感じる母の温もりに心を打たれてしまったのかも知れない。

 

 

それも終わってしまった。

あの日。
もうすぐ子別れだろうと思い、少しずつ母や兄弟と距離を置くようになっていた時。

響いた爆音。
振り返れば、巣穴の辺りから煙りが上がっている。
遠目にもそれは分かった。

慌てて家路を急げば、そこには何もなかった。
焼けこげた地面と潰れた巣穴。
駆け寄って掘り返そうとしたが、手を止めた。

 

そこに……生きている者の気配がしなかったから。

ただあったのは、動かぬ4つの躯だけ。

 

 

 

「……」

涙など出なかった。
あったのは、人間に対する強い憎しみだけ。

誰がこの平原を冒していいと言ったのだ。
誰がこの平原で爆弾の実験など許してやると言ったのだ。

自然の摂理を曲げ、自分たちが好きなように、世界を弄ぶ。

 

許せなかった。

だが、自分に出来ることなど、ない。

 

ここで人間どもの元へ乗り込んでも、毛皮にされるのが、オチであることくらい、分かり切っている。

 

力が欲しい。

強くなりたい。

 

強くならねば。
人間どもを皆殺しに出来るほど。

何においても、強くなる。
誰を傷つけても、犠牲にしても……いや、そんなこと考える必要すらない。
自分は今、誰にも望まれていないのだから、誰かのことを望んでやることなどない。

 

 

例え、世界が人間を必要としていても。
関係ない。
自分に人間は必要ない存在だ。

 

 

 

「強く…なりたい…」

 

はっとした。
声が出た?

自分は狐なのに……。

 

見れば、今まで見慣れた自分でなくなっていることに気付いた。

白い肌、銀の髪。
銀の尾だけはそのままだったが……。

 

「……」

立ち上がった。
きびすを返して、その場を後にした。

 

姿が変わっただけでは駄目だ。

もっと強く、強く……。

 

 

 

 

「ああ、思ってたんですよね」

誰ともなしに、自嘲気味に笑いながら言う蔵馬。
何時の頃からだろう、人間にそのような考えを持たなくなったのは。

やはり、本気でそう思い出したのは、新しい母の温もりを感じた時からだろう。
しかしそれもこれも、本当の母のおかげ……そう思うと、不思議な気もする。

 

だが、その頃からだった。
こうして年に一度、何もない墓前に花を生けるのは。

命日とかではなく。
その年その年、ふいに思う、雪の日に。

雪が降っていると落ち着く。
全て包み込んでくれるから。

あの日の残像も、血も、煙も全て。

 

……包み込んでくれないと、怖い。

まるであの日に還ってしまいそうで。
あの、人間を恨む気持ちが蘇りそうで。

 

 

 

「……俺はまだ……殺せるのかも…しれないな……」

 

そう言って、あの時と同じようにきびすを返した。

その背を、白い4つの影が見つめている。

 

途端、ゆっくりとだが、降る雪が多くなる。
思わず足を止める蔵馬。

はっとして振り返ると、先程の薔薇すら、雪に埋もれて見なくなっていた……。

 

「……」

しばしの間、ぽかんっとしていた蔵馬だが、くすっと微笑んだ。

 

「情けないことを言うなと?」

蔵馬には見えぬ白い影たちが頷く。
見えないはずなのに、蔵馬はそれを感じたように、ゆっくりと背を向けた。

 

「すみません、来年はもっと強くなってきますよ……」

その答えに、白い影たちは柔らかく微笑んだようだった……。

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

残り1題を前にして、この短さとこの微妙さは何……。

せっかく最後だから、蔵馬さんだけで描いてみようかと思いまして。
飛影くんは産まれた瞬間から、現在に至るまで、詳細が事細かに明かされましたが……蔵馬さんって、盗賊時代からしか分からないんですよね。
それもすごく曖昧に、千年前とかそのくらいで。
黄泉と会ったのが先か、黒鵺さんと会ったのが先かも語られていませんから…。
だからこそ、色々勝手に想像して書けるというものでもありますが♪(おい)

蔵馬さん、産まれは実はただの狐だったという設定で。
普通の狐が妖狐になるまでは、何百年もかかるはずですが、その辺は多めに…(汗)
そのうちまた何百年もかかったバージョンも書いてみたいと思います。