<涙の理由>

 

 

 

「何してるんだ? こんなところで」

声をかけられ、修羅は驚き、振り返った。

 

魔界統一トーナメント会場。
まだ予選だというのに、観客たちの熱い視線が注がれている巨大モニター……の、裏側。
何処よりも戦いの状況が見えず、またスピーカーの方向から、音も雑音が混ざってあまり聞こえないこの場所。
観戦するには、何処よりも不似合いで、もしも指定席があれば、何処よりも安い…というかタダ同然であろう、その場所。
こんな席にいるくらいならば、家でテレビでも見ていた方が、よほどマシ……そんな場所。

ここにいれば、誰にも見つからないと思っていたのに……。

 

しかし、聞こえてきた声は、幻聴ではなかった。
確かに自分の真後ろに……彼はいたのだ。

 

 

「蔵馬…」

生まれてからまだ一年にも満たないため、知っている顔は極僅か。
魔界の三竦みと言われていた躯を知ったのも、つい最近のことというくらい……最も、彼女の顔は元からあまり知れ渡ってなどいなかったのだが。
ともかく、修羅にとって、顔と名前が一致する者は、本当に両の手で数えられるくらいしかいないのだ。

 

だが、彼のことはよく知っていた。

 

 

……妖狐蔵馬。

 

修行の合間、時折父に聞いていた。
顔も映像でだが、見せてもらった。
(最も、目の見えない父には、見えていないものだったが)

数ヶ月前、まだ部下だった頃に、監視カメラに偶然写っていた、かつてのbQとやらを倒した時の映像。
一瞬で倒された半魚人のような男…bQにしては、随分と弱いなと思ったが。

だが、蔵馬のことは正直強いと思った。
普段は押さえているのか、僅か1902Pしかなかった妖力値が、瞬間的に152000PまでUP。
しかし、それでも尚、力を出し切っていないのは、明白だった。

きっと本気を出せば、自分より上……もちろん、戦って負ける気などなかったが、とにかく父以外で初めて強いと思った男である。

 

 

とはいえ、会話を交わすのは、これが初めてのことだ。

当然だろう。
蔵馬と修羅の父が、この会場で出会うまでの間、最後に会ったのは浦飯幽助が会見に来た日……つまり、修羅が生まれる前なのだ。
会場ですれ違っても、お互いに挨拶程度に言葉を交わした程度で、修羅にも一瞥しただけだった。

 

だからこそ、驚きも増したというもの……一体、何の用で、こんなところに来たのだろうか?

 

 

 

「……お前こそ、何してるんだよ」
「別に。予選終わったし、ヒマだったから。お前こそ、何故こんなところで泣いてるんだ?」

そう言われて、はっとした。
急に声をかけられて振り返ったため、涙をぬぐうのを忘れていたのだ。
頬を伝う大粒の雫も、眼に溜まった涙も、腫れ上がった瞼も……そのままさらけ出してしまった。

慌てて、ごしごしと擦るが、時既に遅し。
蔵馬は修羅の様子に、苦笑しながら、その手をおさえた。

 

「な、何すんだよ! 離せよ!」
「擦ったら、余計に酷くなるよ。ただでさえ、大怪我してるのに……じっとしてて」
「……」

笑顔で言われ、しぶしぶ承諾し、手を下ろす修羅。
何となく逆らいにくい雰囲気が、彼にはあった。

 

修羅が大人しくなったのを見て、髪の毛から色々取り出し、手当をする蔵馬。
腕や足も酷い有様だった。
試合の後、全く何もせずにほおっておいたせいだろう、傷は化膿しかかっているものまであった。

それでも魔界の薬草には、治せないものではなかった。
段々と痛みがひき、腫れもひいていく。

しかし、それはあくまで肉体の傷……本当に痛かったのは……。

 

 

 

「……修羅?」

修羅の左頬に絆創膏を貼ろうとして、ふと気付く蔵馬。
見れば、彼はまた新たな涙を流していたのだ。

「…痛かったか?」
「……してたって…」
「は?」

 

「皆が言ってた……降参しなかったら…パパはボクを……多分、殺してたって」
「かもな」

即答する蔵馬。
あまりにはっきりした答えに、修羅は怒りも悲しみもなく、ただ黙り込んだ。
肯定と否定、どちらの答えを求めていたわけでもない。
ただ……気が付いたら、口がその言葉をついていたのだ。

 

 

「自分で真剣勝負だと、言っていたんじゃなかったのか?」
「……」

自分を全く慰める様子もなく、淡々と述べる蔵馬。
心に突き刺さらなかったといえば、嘘になる。

しかし、下手に同情されていたら……殺していたかもしれない。
下手に「そんなことないと思う」などと中途半端に否定するようなことを言われたら、間違いなく攻撃していただろう。
何も分かっていないくせに、簡単に言うな、と……。

 

だが、はっきりした肯定が辛くないわけではない。
きっとそうなのだろうけれど……。

父親に殺されたかもしれない……まだ幼い修羅には、あまりに辛い現実だった。

 

 

 

 

「安心していいよ。例えあのまま続けていても……黄泉はお前を殺せなかった」
「……え?」

顔をあげると、蔵馬は先程と変わらぬ表情で立っていた。
その面に同情の色は見られない。
嘘をついているようには見えない。
まるで、一般常識で言うかのように、のんびりとした言い分だった。

驚きを隠せない修羅。
さっきはっきりと肯定したのは、一体誰だったのか……。

 

「だって…さっき……」
「お前、『多分』って言っただろう? 100%ではないってこと」
「……屁理屈だ」
「かもね」

すんなりと言う蔵馬に、修羅は一瞬ムッとしたが、蔵馬が淡々と言葉を紡ぐので、声を荒げるのは止めた。
最もムッとはしたままだったけれど。

「でも、黄泉はお前を殺さなかった。これは100%。あいつはそういうヤツだ」
「……何で分かるんだよ」
「長い付き合いだからな。黄泉は少しでも大切に思っているヤツは殺せない、そういうヤツなんだ」

そこで一度言葉を切って、すっと空を仰ぐ蔵馬。
稲光が響き渡る中、まだ予選の熱が冷めていない観衆の叫び声が木霊する。
昔の魔界では考えられなかった、こんな熱くも穏やかな空気など。

そんな空気からここだけが異質だった。
過去を思い返す蔵馬と、今の辛さに捕らわれる修羅だけは。

 

「俺もその一人だろうからな……」

 

 

 

 

「お前はまだ生まれてなかったから知らないだろうな。トーナメントの開催された、そもそもの理由知ってるか?」

修羅の手に包帯を巻きながら問いかける蔵馬。
小さな少年はしばらく黙っていたが、知らないと思われるのはイヤダと、ぽつりぽつりと話した。

「……パパから聞いてる。浦飯がパパの国に来て、トーナメントやろうって言い出したって」
「ああ。俺もすぐ賛同した」
「それも知ってる……裏切ったんだろ」
「そうとも言うね」

全く悪びれた様子もない蔵馬。
普通、裏切ったなら、多少は罪悪というものがあるだろうにと、幼いながらに思う修羅。
だから、あの日この話を聞かせてくれた父の言葉をそのまま言う。

 

「『躯が近くにいたから、殺せなかった』。パパはお前らのこと殺せなくて惜しかったって言ってた。いなかったら、殺してたって」
「それは嘘だよ」
「え?」
「例え、躯があそこにいても……本当に許せないなら、俺だけでも殺せたはずだろ? 皆殺しは無理でも、5mも空いていない至近距離から一発撃てば……俺は死んでた。無防備だったし、力の差は歴然としていたからね」

自分の生死なのに、こうもきっぱりと言い切るとは……背筋に僅かな悪寒が走る修羅。
力は自分と同じくらいなのに。
戦いの経験と生きてきた時間のせいか。

修羅が僅かに怯えているのに気付き、蔵馬は苦笑した。
そういえば、黄泉も出会ったばかりの頃、自分のとんでもない作戦に呆気にとられたことがあった。
彼が思い出し笑いをしたことで、修羅がはたと正気に戻る。
からかわれた……とでも思ったのか、ますます仏頂面になったが、まあ仕方がないだろう。

 

「……それで?」
「他の連中は、知り合って数ヶ月程度の連中だし、幽助はその日初対面だ。気にくわないかもしれないけど、俺以上に殺したいとはまず思わないさ。古い知り合いで、しかも昔殺そうとした相手で、挙げ句の果てには、たった今裏切った俺以上に殺したいやつなんか、そうそういない……幽助や飛影は怒っただろうけど、魔界の情勢にはそれほど影響はなかったはず。元々、上司が裏切った配下を殺すだけなんだから、少なくとも躯は怒らなかったよ」

「じゃあ……何で…」
「殺したくなかったんだろ。俺を」

さっきの説明だけでも、黄泉が蔵馬を殺す理由は腐るほどある。
それなのに、『ころしたくなかった』ただそれだけで殺さずにいたなど……。

 

「黄泉は俺が千年前に裏切ったことも知っていた。それも百年も前からね。分かった時点で殺しにきてもよかったはずだよ。あいつは人間を喰いに、妖力を抑えて、人間界によく来ていたからね。俺を見つけ出すことも、本気でやろうと思えば、出来たはずさ」
「でも……しなかった?」
「ああ。出来なかったってことはなかった。少なくとも、俺に使者をよこすことは出来たわけだからな。俺を魔界へ呼んだ時は戦力の問題があったろうけど、陣や凍矢たちを連れてきてからは、はっきり言って俺は切り捨ててもよかったはずだ。俺がいなくても、躯陣営に勝つ手段はあった。憎んでるなら……その時にでも、殺してよかった。なのに、しなかった……」

 

 

 

ふいに大歓声が上がる。

【時間無制限。リングをはずされた時点で失格です】

アナウンスが告げるのは、106ブロックの試合。
今正に始まる……そんなところだろう。
それを聞きながら、蔵馬は立ち上がった。

「……そういうヤツなんだ。他人の俺でそうなんだよ? 息子のお前を殺せるわけないじゃないか」
「……」
「おっと、幽助の試合が始まる。行かないか? 面白いものが見れる」
「……うん」

蔵馬の言葉に、素直に立ち上がる修羅。
自分でも驚くほど素直だった。
こんなに素直に立ち上がれるとは思わなかった。

しかし、蔵馬は意外な顔はしていない。
ただただ笑顔で……「行こう」とだけ言った。

 

 

 

「パパ」
「修羅っ」

大画面を見ていた父の横に、すっと立つ修羅。
まだ涙は乾かず、それどころか父の顔を見た途端、また溢れてきた。
ぐしぐしと泣く息子を前に、少しとまどったが、声をかける前に、画面から轟音が響き、会場が一瞬静まりかえった。

大画面では、たった一人で億年樹に立つ浦飯幽助の姿。
後の選手は……と思ったが、全員が空の☆になっていた。

その姿を見て、黄泉はぽつりと呟くように言い聞かせた。

「見たか? あいつは実に楽しそうに戦うだろう。お前には俺よりあいつと戦ってもらいたかった……」

 

 

幽助の開戦の言葉。
これを最後にしたくない、もっと戦いたいという想い。
それは他ならぬ、父を、仲間を、全ての人を動かした強い気持ち……。

そんな彼をずっと支えた一人は、あの……。

 

「パパ」
「ああ。この次はお前も主役の1人になれ」
「うん……ねえ、パパ」
「ん?」
「パパは蔵馬のこと、どう思ってる?」

突如聞かれ、押し黙る黄泉。
見えない瞳で息子を見る。
筋肉の緊張具合で分かる、鼓動で分かる。
修羅は真剣だと、本当のことを聞きたいと……。

 

「……さあな……ただ」
「ただ?」

「また会えてよかったとは思っている」
「そっか」

 

 

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

そういえば、修羅をまともに書いたの、初めてかもしれません。
ちょこっとだけなら、登場させたことあったかもしれませんが…。

漫画とアニメどちらを元に書こうかな〜と思ったんですが……ごちゃ混ぜですね(汗)
既にどちらにもなかった台詞がなきにしもあらず。
すいません、かなり原作無視傾向にあります(いちおう漫画重視だったんですけど…/滝汗)

蔵馬さんと修羅はアニメで一瞬だけの対話しかなかったんですよね。
漫画では接点なし。
とりあえず修羅は蔵馬さんにも生意気だということで。
蔵馬さんにとっては、秀一くんとは違う、もう一人の弟ってところですかね?(あ、飛影くんとも違う弟かな?/笑)