<吐息ため息あなたの気持ち>

 

 

 

2月14日。

 

その日、蔵馬は決して家から出るまいと、心に誓っていた。
むろん学校はズル休みになってしまう。
だが、そうするしかないのだ。

 

幸い家族の中では、普段から自分が一番最後に家を出ている。
この日だけは、行ったということにして、休むしかないだろう。
優等生で模範生な彼だが、境界トンネル事件あたりに思いっきりサボってから、サボリにも大分慣れているのだ。

学年TOPの彼が無断で休むなど、教師たちにしてみれば、とんでもない話だと思われるかもしれないが…。
しかし、あまりに優等生過ぎるため、家の事情だろうとか、家庭学習の方がはかどるのだろうとか、知識欲を満たすためだろうとか、結構勝手に納得してくれているので、蔵馬としても今日1日くらい休んだところで、大した問題もないのだ。

 

そう……一般的には、日本全国のうら若き乙女たちが、愛しき男性へ愛を告げる、冬だというのに真夏よりも熱く燃え上がる、素晴らしき日。
だが、蔵馬にとっては、ある意味どんな日よりも悲劇に見舞われる、恐るべき冬の一日なのだ。

 

 

 

「出ないぞ……絶対に……」

ブツブツと、ベッドの中で反芻し続ける蔵馬。
まだ13日の夜だというのに、かなりせっぱ詰まっているようである。
外に出ないと決めたのなら、それを実行すればいいだけのはずなのだが、上手くいくとはとても思えない。

理由は特にないが、ものすご〜〜く嫌な予感がするのだ。
妖狐として長年培ってきた感は、決して外れないだろう。
外れるとすれば、予想以上の悲劇的展開になるという場合のみ……。

 

「……今、11時半か…」

もうすぐ0時。
バレンタインデイになった途端、押しかけてくる女子がいないとも限らない。
なるべく早く寝てしまうに限る。

夕飯は母親に無理を言って、早めにしてもらい、風呂にも早めに入った。
後は眠るのみ……なのに、不安からか眠気が全く襲ってこない。
狸寝入りすればいいだけなのだが、そこまで冷たくする気にはどうしてもなれない辺り、やはり彼は優しいのだろう。

 

 

 

そして30分後。

2月14日、午前0時。

いよいよ聖バレンタインデイの開始である。

 

 

その途端!!

「南野くーん!!」
「秀一くーん!!」
「南野さまー!!」
「王子さまー!!」

……いつの間にそんなあだ名をつけたのだろうか。
下の名前で呼ぶなど、この年にもなれば、滅多にないこと……現に蔵馬は、家族以外では、今まで一度たりとも呼ばれたことはなかった。
さま付けなど以ての外……。
「王子さま」など、自分に当てはまらないとは言わないが、だからといって……。

 

 

 

「……」

 

頭が痛いところだが、出るしかないだろう。
朝まで叫び続けられれば、それこそ近所迷惑である。
パジャマのままでいけば、それだけでも失神する女子がいることは明白なので、いちおう着替えて階下へ向かう。

と、外から聞こえてきた叫び声に、また別タイプの響きが混じりだした。

 

「あんたたち帰りなさいよ!! 盟王高校の生徒でもないくせに!!」
「なによ!! 学校が同じだけだからって、同じ市にも住んでないくせに!! あたしたちは南野くんと同じ中学に通ってたのよ!」
「どうせ数週間でしょ! 彼が3年生の2月の末に転校してきたことくらい、分かってるんだから!! こっちはもう2年も机を並べた仲なのよ!」

「両方邪魔だわ! ガキのくせにしゃしゃり出てくるもんじゃないわよ!! 私たちは秀一くんの御父様の部下なのよ! いずれはあんたたちよりも長く付き合う仲なんだから!!」
「ほとんど喋ったこともないオバサンの出る幕じゃないわ!! 彼だって、若くて可愛らしい子の方が好みに決まってるわよ!!」
「なんですってー!!」

 

「……」

何だか……外に出るのがものすごく恐い。
まさかこんな事態になるとは夢にも思わなかった。

どうやら、盟王高校の同級生(及び先輩後輩も混ざっているらしい)、中学時代の同級生や後輩、義父の会社の新人社員の3グループに分かれて、壮絶な言い争いをしているようである。
時折、どのグループにも属さない近所の女子たちもいるようだが、いずれかの勢力に飲み込まれている始末。

今出て行けばどうなるか、想像は容易だが、だからといってほおっておくわけにもいかないだろう。
そのうち拳と拳の戦いになることは目に見えている。
しかし、出ていったところで止められるとも思えないし……。

 

 

「……せこいけど、仕方がないか……」

 

ため息をつきながら、蔵馬はポケットに手を突っ込み、ある植物を取りだした。
小さな花のたくさんついた、一見スズランのような花……だが、蔵馬が持っている以上、ただの花ではあるまい。

そっと誰にも気づかれぬよう扉を開けると、ふわっとその花粉を風に乗せた。
人数が人数だけに、何処まで通用するか不安だったが、幸運にも風向きがよく全員に花粉が行き渡った。

次々にぱたぱたと倒れていく女たち。
そう、これは夢幻花の花粉。
記憶を夢として消去する、魔界の植物である。

 

 

「これで忘れてくれればいいけど……」

むろんこれは今日のことも含め、彼女らが蔵馬に対して抱いていた想い全てである。
いくら今回消したとしても、来年また同じようなことが起こればその時はもう止めようもない。
これは同じ人間には一度しか効かないのだから……。

 

「とりあえず朝になるまでに全員帰さないとな……」

扉を開けつつ、ため息をつく蔵馬。
植物に送らせるしかないだろう。
とはいえ、全員の家を知っているわけではないから、知らない子たちは、変質者の出現率がないであろう場所にいてもらうしかない。
出来れば、目覚めた時は何事もなかったように納得出来る所に……。

 

 

 

「……」

植物を取り出そうと、髪の毛に手を入れた時、蔵馬は何故か視線を感じた。
ふいに横手に目をやると……そこにはありえない光景があった。

 

立っていたのだ。
一人の少女が……。
全員眠らせたはずなのに!!

 

「(ど、どういうことだ……妖怪? いや、違う人間だ。多少霊力は強そうだけど……でもオレの妖力を跳ね返せるほどじゃない。じゃあ一体……)」

 

「な、何これ? 何で? 何で寝ちゃったの?」

少女は驚いている蔵馬に対して、率直な感想を述べた。
彼女も彼女で、この状況には驚いているらしい。
ということは少なくとも、夢幻花の効力は知らないだろうし、蔵馬がやったことにも気づいていないはずである。

 

 

「南野くん、どうなってるの? これ…夢??」
「えっ……あっ!」

思いだした、彼女が誰か……『夢』、その一言で。

いや、何故見た瞬間に思い出せなかったのだろう……。
眠らなかったことで、動揺していただろうか?

 

しかし、分からなくても無理はなかった。
彼女に会うのは……そう、2年ぶりにもなるのだ。

 

ほとんど卒業の直前だったが、母親の仕事の都合上、転校せざるを得なかった。
だが、蔵馬はそれがとても有り難かったのを覚えている。

支配していた妖怪である以上、離れるのに不安もあったが、八つ手を倒した妖怪がいた土地……ともなれば、近づく妖怪もあまりいないだろう。
色々あったあの土地とは、ケリをつけたかった。
そうなるべく早く……。
彼女の記憶を消したことを、後悔することがないように……。

 

 

 

喜多嶋麻弥。

 

中学3年の大半を通った学校での同級生。
怪奇現象やら妖怪やら、とにかくオカルトなことに興味があり、そのせいか霊力も生まれつき高いようだった。
別段深く意識していたわけではないが……何となく気にはなっていた。

狐の妖怪である以上、霊力の高い人物に惹かれるのは自明の理。
だが、それだけではない感情が僅かだがあった。

 

しかし……想いを告げるわけにはいかなかった。
当時の蔵馬は母親を守るだけで精一杯で、守れる自信がなく……実際一度妖怪に攫われるという危険な目にもあわせてしまった。

彼女も自分に好意を持ってくれていたことは、正直嬉しかった。
だが、それを甘んじて受け入れるわけにはいかない。
結局、夢幻花の花粉で、自分への想いも全て消去したのだ……。

 

直後、蔵馬は転校し、喜多嶋への想いも忘れてしまっていた。
喜多嶋自身も、自分への想いなどすっかり忘れ、また新しい恋でもしているのだろうと思っていたのに……。

それなのに、今……彼女はそこに、確かにいるのだ。

 

 

 

「……ああ、夢だよ。これは」

一瞬の驚愕の後、蔵馬はいつもの平静を取り戻した。
夢幻花は一度しか効かない、彼女が眠らなかったのはそのためだろう。
告げてから、また別の記憶消去の植物を使うしかないかと、髪の中へ再度手を入れる蔵馬。

 

「そっか〜、夢か〜。よかった。夢なら、はっきり言える」
「え?」
「本当はポストに入れていこうと思ってたんだけど。はい」

すっと蔵馬の前まで歩み寄り、彼女は小さな箱を差し出した。
白い包装紙でくるまれ、赤いりぼんで止められた小箱。
どう考えてもこれは……。

 

 

「あの、オレは……」
「受け取ってくれないかな? あ、気にしなくていいよ……その…義理チョコ…だから」
「義理?」

そう聞いて、蔵馬は不思議に思った。
義理ならば、何故わざわざ遠いところを、こんな時間に……。

 

「あのね。あたし、春から引っ越すの、イギリスに。お父さんの仕事の都合で」
「……そう」

特に驚きもせず、落胆もせず、普通にかえす蔵馬。
今時、海外への引っ越しなど珍しくもない。
高校生ならば、親についていく方が普通だろう。

 

「でね。多分、しばらくは帰れないと思うから……だから、せめて伝えておきたくて」
「何を?」

蔵馬の問いかけに、寒空の下、小さな吐息をもらしてから、頬を赤らめ、言う麻弥。

 

 

「あたし、昔……南野くんのこと好きだったんだ」
「……えっ」
「好きだったんだ」

ぽかんっとしてしまう蔵馬。
確か、あの時しっかり記憶も好意の気持ちも消したと思ったのだが……。

 

蔵馬が唖然としているのに構わず、麻弥は続ける。

「何でか分からないし、いつ頃からだったのかも分からないけど。でも好きだったの」
「……」
「それでね……今更なんだけど、伝えたかったの。好きでした、ありがとうって」
「……何で…『ありがとう』になるの?」

 

「だって、南野くんが大好きだった気持ち、すっごく嬉しかったんだもん。南野くんのこと好きでいられるだけで、すごく幸せだったんだ。だから……ありがとう!」

 

笑顔で彼女はそう言った。
今、別に好きな男がいるわけではないようだが、とりあえず蔵馬を『好き』ではないらしい。

慕っている…という感じだろうか?
好意はあるが、恋愛対象ではないようである。

 

それは蔵馬にとっても同じ……複雑な気持ちである反面、ホッとしていた。

蔵馬もまた、今は彼女を『好き』でない。
むろん嫌いではないが、恋愛対象としては見ていない。
昔好きだった、懐かしい記憶……今の蔵馬にとって、喜多嶋麻弥という少女はそういう存在でしかないのだから。

 

 

 

「じゃあ、受け取っておくよ。オレも『ありがとう』」
「うん! じゃあね! さよなら!」

手を振りながら、喜多嶋は走っていった。
夜道だから送ろうかとも思ったが、余計なことをしては、彼女の封じた記憶が蘇らないとも限らない。
こっそり植物の使い魔に見送らせ、蔵馬はまだ足下で寝ている彼女たちの送還に取りかかることにした。

 

しかし、ふいに手が止まる。
見上げてみると、満天の星空だった。
あの日は確か……そう、月もなく、星もない、闇夜だった。

 

 

告げることなく終わった想い。
だが、後悔はしていない。
例え伝わらなかった想いだとしても……あの日の自分にはケリがつけられた。

記憶を消した彼女からのバレンタインチョコ。
『サヨナラ』と『アリガトウ』の詰まった贈り物。
苦い『サヨナラ』を、甘い『アリガトウ』が打ち消してくれるようだった。

 

今なら思える。
彼女と出会えて、確かに幸せだったと……。

 

 

終わり

 

 

〜作者の戯れ言〜

これは、「WHITE BIRTHDAY」とは別バージョンの麻弥ちゃんとの話です。

でも……これ失敗作ですね(汗)
もうやっぱりダメだーー!
恋愛小説、私には向いてないー!!

結果的に、私には蔵馬さんと麻弥ちゃんがくっつく話は書けないので。
でもお互いのことが好きだった「気持ち」は、決して嫌いじゃないんで。
もう『好き』じゃないけど、でも好きだったことには、ありがとうって言えるような間柄という形に……。

あー、やっぱりダメだー!!
とにかく、ごめんなさい!!

でも終わった後の話ばっかりというのも、なんですね……次は中学時代の話でも(もうやめておいた方が…)