<薄氷>

 

 

 

それは、桑原が御手洗と戦い、その桑原を探して幽助が町中走りまくり(その前にゲーセンに行き)、ぼたんもその後を追い(もちろんゲーセンには行っていないが)、幻海が茶をすすり、螢子が幽助の馬鹿さを指摘していた頃のこと。

蔵馬はその誰とも接触しておらず、学校へも行かず、とある場所へ行った帰り道だった。

とある場所とは、明日に幽助に話すことになるのだが、霊界の審判の門。
現在までの状況を考えてみれば、コエンマが首謀者について何も知らないというのは、不自然のような気がしてきたため……そのことを問いただすためと、もう一つ…。

 

 

 

 

「……いるんだろ。飛影」
「……」

ふいに立ち止まり、目を閉じて、声をかける蔵馬。
問われた…というより、確信をもって言われた本人は、しばらく躊躇していたが、やがて彼の後ろにすっと現れた。
同時に蔵馬も振り返り、真正面から彼を見つめる。

 

この逆立った黒髪と紅い瞳の少年を最後に見たのは、たったの四日前。
武術会以降、幽助が誘拐されるまで、全く会わなかったことを考えれば、全然久しぶりではないのだが、

「久しぶり」

と、何となくその言葉が口をついた。
そのことについて、飛影は別に反論もしなければ、意見もせず、「フン」と言って、そっぽを向いてしまった。

 

 

「魔界の穴のことが気になってきたんですか?」
「開くまでは興味はない」
「そうですか。まあ、魔界に帰りたいというのなら、それもありかもしれないけど。俺はこっちに守りたい人たちがいるからね。その人達に魔界の穴は危険だから。悪いけど、止めさせてもらうよ」
「フン」

蔵馬のすることなど興味がないといった風に、睨み付ける飛影。
別に蔵馬のやることが成功しても不成功であっても、どうでもいいといった雰囲気だった。
成功すれば、魔界へ帰れないはずなのだが……。

どうせ、魔界の穴が開いてしまおうが、蔵馬をはじめ、飛影が人間界において、死んで欲しくない連中は死なない。
また魔界の穴が開けられなければ、仕方ないから、しばらくまた人間界にいればいい。
そう思えば、やはりどうでもいいことでしかないのだろう。

 

 

 

しばらくの間、飛影は蔵馬を睨み、蔵馬は笑顔で飛影を見ていた。
電車の高架下。
雨が地面を叩く音と、時折通り過ぎる電車の音、遠くの遮断機の音だけが、周囲にはあった。

 

ふいに飛影が蔵馬の腕に目を落とした。
いつもの白と黄色のチャイナ服、右手にはさっきまで差していたらしい濡れた傘が握られていた。
しかし、その白い袖口が、微妙に破れているような…。

「おい」
「はい? 何か、ありまし……わっ」

突然、飛影が距離を狭め、蔵馬の腕につかみかかった。
いくら力量が互角とはいえ、スピードは圧倒的に飛影の方が上。
ついでに腕力も若干は飛影の方が上なのだ。
いきなり掴まれては、蔵馬も振り解くタイミングを作れず、ばっと袖がまくられるのを、止められなかった。

 

……そこには。

痛々しいまでの夥しい数の傷跡があった。

それも真新しい。
ここ数ヶ月で何度もついたとしか思えない傷跡。
そして、今日また新たについたとしか。

飛影にはその傷に見覚えがあった。

 

 

「……貴様、今まで何処へ行っていた?」
「分かっていて、あえて聞くんですか?」
「……」

飛影の手をやんわりと外し、袖を直しながら言う蔵馬。
が、飛影が黙り、数秒の沈黙があったため、くすっと笑い、答えた。

 

「霊界にね。コエンマに聞くこともあったし。まあ、主な理由は裁判だけどね」
「……何故、まだ行っている」
「ぼたんが無罪放免にしたのは、貴方だけでしょう? 俺はまだ執行猶予中の罪人のまま。枷はもうしばらくつけるハメになりそうですよ。棘だらけで、毎度痛いけど」
「……」

蔵馬の言葉に、愕然とする飛影。
あの日以来、飛影は一度も霊界を訪れず……いや、実は武術会以降、霊界から呼び出しを喰らったことはまだなかったため、武術会以前に数回呼ばれただけで、裁判もあまり進まぬまま、無罪放免になってしまったのだ。
審判を受ける折に、強引にも必ずつけられていた棘の枷の跡も、もう消えてしまった……。

 

だから、てっきり蔵馬も同じように、無罪となり、今は魔界の穴のことで手一杯状態だと思っていたのに。

今のこの、霊界にとっては危機的状況のはずなのに、一匹の妖怪の裁判など、何故やるのか。
コエンマの意向が全く測れなかったが、しかし蔵馬の次の言葉ではっきりした。

 

「コエンマも魔界の穴に没頭していて、裁判には来ないから。代理のヤツがやっててね。悪くなりそうですよ。ま、死刑はないと思うけどね。少なくとも、魔界の穴が塞がるまでは」
「……」

蔵馬は当たり前のように言っているが、飛影は言葉もなかった。

 

蔵馬の言葉を訳すると、つまりこういうことである。

『魔界の穴が塞がれば、死刑になっても、不思議はない』

 

 

氷の橋を歩いているような。
いつ、壊れてしまうともしれない。

霊界に協力しているにもかかわらず、その霊界によって、いつ命が奪われるともしれない状況。

 

これから蔵馬が強くなれば、霊界は決して彼を生かしてはおかないだろう。
少なくとも、魔界の穴が広がれば、魔物である彼は、『魔界』という世界の影響を受ける。
そうなれば、否が応でも、多少の妖力は増してしまうのだ。
現にこの数日の間に、自分もそして蔵馬も、微弱ながら妖力が増していた。

人間ですら、能力を持つほどの影響力のある『魔界』。
本来、そこの住人である彼ならば、どれほどの強大な力を手に入れるかは……自明の理であろう。

 

魔界の穴において、どれだけ彼が貢献していようとも、霊界は非情な決断を下すに違いない。

人間界と霊界を巻き込んだ事件を、数多く起こしたであろう妖狐蔵馬ならば、尚更。
たかがエンマ大王のお気に入りを盗んだだけの自分とは違う。
蔵馬は妖狐だった頃から、たくさんの罪を人間界でも霊界でも犯してきたのだ。
コエンマが魔界の穴の後処理に没頭することになれば、おそらくは確実に。

 

薄い氷の橋は、一瞬にして砕け、全てを消し去ってしまうだろう……。

 

 

 

 

「……おい」
「はい、何か?」

しばしの沈黙の後、飛影が口を開いた。
蔵馬は特に表情も口調も変えず、答える。

「お前が魔界の穴を塞ごうが、俺は興味はない」
「そうですか」
「だが、覚えておけ。俺はいつか魔界へ帰る。そのためにはどんな手で使うからな」
「……はあ」

飛影が何を言いたいのか、よく分からず、きょとんっとする蔵馬。
だが……次の一言で分かった。

 

「魔界の穴など、いくらでも開けようがある。コエンマに言っておけ」

「……! 飛影…」

 

それはつまり……今回、穴が閉じられたとしても、いずれはまた自分が開けるということ。

そんな力は、今の飛影にはない。
以前、妖力が最下級並に下がった頃の自分が通れる程度の穴なら、かろうじて開けられるだろうが。
B級まで回復した飛影が通る穴は、簡単には開けられないだろう。

 

だが、もし今回開けられなければ……いずれはするというのだ。

それは霊界にとって、脅威でしかない。

しかし、まだ何もしていないうちから、たかがコソドロ程度である妖怪に対して……まして簡単に無罪放免となってしまった妖怪に対して、総攻撃でもしようものなら、エンマ大王の地位も危ぶまれる。
というより、馬鹿にされるのは必定。
妖狐蔵馬としての蔵馬に対する罰とは、あまりに違いすぎるのだ。

 

いずれ来る、新たな危機……その時、今回の協力者がいなくなるのは、霊界としてもデメリットでしかない。

飛影が人間界にいる以上、おそらくは生かし続けるほかないのだ……。

 

 

 

 

「……何がおかしい」

一瞬、蔵馬は驚きに言葉を失っていたが、やがて小さく笑い出したのだ。
その態度に、眉をひそめる飛影。
だが、蔵馬は悪気もなく、笑顔で言った。

「別に何も。そうだね、気が向いたら言っておくよ」
「勝手にしろ」

それだけ言うと、くるりと背を向け、風のように去ってしまう飛影。
相変わらず、目でも追えない素早い動きに、蔵馬はため息をついた。

 

「やれやれ……さてと、幽助の家に行かないとね」

方向転換し、幽助のマンションを目指す蔵馬。
傘を差そうとして……一度だけ振り返った。

 

気紛れで、自分勝手で、ひねくれ者。
きっと向こうもそう思っているだろう。

もしかしたら、一生会うこともないかも知れないなどと思いながらも、実は結構しょっちゅう会っている。
そんな不思議な間柄。

 

「また、今度」

聞いていないと分かっていながらも、そう言い残し、歩き出す蔵馬。

二度と会わないかもしれない。
そう思いながらも……。

 

そんな思いとは裏腹に、彼らが再会したのは、この翌日のことであった……。

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

えっと、飛影くんは幽助くん誘拐の件で、確か無罪放免になったんでしたよね?
ってことは、多分蔵馬さんも一緒に無罪ってことになったんだとは思うんですが……(あれ以降、一度も罪のことは触れてませんし)

しかし、はっきり無罪と言われたわけじゃない=まだ有罪という可能性もあるわけで。
幽助くんのことで霊界がてんやわんやしてて、もう彼どころじゃなかったから、自然に無罪、あるいは魔界へ送るということで、流罪という形で終わったのではと思いまして。
まあ、一ヶ月で戻ってきたんだから、何とも言えませんけど。
といっても、彼が帰ってきてたこと、コエンマさま以外の霊界の人がはっきり知っていたかどうかも謎ですが……(彼なら、余裕で潜伏も出来そうだし)