<泥まみれの翼> 2
「なあ……蔵馬」
「何だ?」
「暗黒鏡でさ。俺の命……少し分けたろ?」
唐突に、昔のことを言う幽助。
思わぬ発言に、蔵馬は視線を彼に戻した。
僅かに、緑色がかかった金色の瞳で……。
「ああ。随分前の話だね」
「で、あの時は俺が命分けたと思ったんだけどよ。俺が仙水の殺された時から、そういえばって思ってたんだ」
「何を?」
「多分、俺、お前に命わけてねえよ」
突拍子もないことを言い出す幽助に、蔵馬はますます首をかしげた。
暗黒鏡とは、蔵馬が幽助に出会う前に霊界から盗み出した秘宝……正確にいえば、あれを盗み出したことによって、彼らは出会ったのだ。
盗賊の蔵馬と、それを追う霊界探偵の幽助。
しかし、蔵馬から事情を……母を助けるために、命を投げだそうとしている事実を聞いた幽助は、彼を捕らえず、逆に自分の命をさしだして、母も彼も救ったのだった。
それを今になって、何故否定するのか……。
「あん時さ。暗黒鏡の野郎、俺の命ちゃんと分けたって言わなかったんだ。だから、最初っからそんなこと無理だったんじゃねえかって、最近思ってる」
「……でも、母さんは」
「ああ。助かったぜ。けど、それは俺は関係ねえと思うぜ。お前一人の命だ」
「……そうしたら、俺はとっくに死んでると思うけど?」
蔵馬のシンプルかつ、もっともな疑問符。
だが、幽助はその言葉に焦りもなく、同調するように頭を縦に振った。
「だろうな。願いが、他のだったら、多分死んでたと思うぜ。願いが叶うと同時に命を奪われるってんだろ? けどよ、お前が死んだら、お袋さん、一生幸福な人生送れねえじゃん」
「……!!」
「俺は一回死んでる。だから、断言出来るぜ。息子が死んだ母親が……その後、幸福な人生送れるなんて、ありえねえよ。お袋、もう立ち直れねえってツラしてたからな……」
「……幽助」
「お袋さんがさ、幸せな人生送るには……お前が必要なんだよ。だからよ。どんだけ妖狐になったって……お袋さんが幸せな人生送ってる間は、お前は南野秀一に戻れるはずだぜ」
「その後さ……もし…今の南野秀一がいなくなってもさ……」
ぽんっと蔵馬の肩に手を置く幽助。
その手の下にあたった衣服は、白い装束ではなく、よく着ている茶色のコートだった。
「お前はお前だ」
「……」
正面から見つめた瞳に、金色は見られない。
あの草原のような緑色だった。
銀の髪も紅い短いものに戻っている。
あの……美しいが、やはり人間でしかない、南野秀一の姿だった。
「お前はお前以外の誰でもねえ。それによ。お前にとって、俺って人間でも魔族でも変わりねえだろ?」
「まあ、ね」
「だろ? だからよ。正直、俺にとっちゃ、南野秀一も妖狐も別に何の代わりもねえんだ。見た目は変わってようが、中身は同じだろ? 頭がキレて、いっつも冷静で、性格悪くて」
「何か最後のが気になるけど」
「ま、いいじゃねえか!」
蔵馬が少しばかり、むっとしたようなので、焦る幽助。
しかし、嘘をつく気は毛頭無い。
当たり前のことを、当たり前のように言っただけだった。
「とにかくよ。南野秀一でも妖狐でも、どっちでも俺はお前のこと、大事なダチだって思ってるぜ」
「……」
「だから、そんなに気にすんなよ。気にしすぎると、身体に悪いっていうしよ!」
「……ああ」
「ほら、行こうぜ。景気づけだ! ラーメン一杯おごってやる」
「じゃ、有り難く」
袖を捲りながら歩き出す幽助の後ろを、笑顔でゆったりと追う蔵馬。
と、ふいに幽助が振り返った。
「にしても、低級妖怪も嫌なところに出るよな。式、来週だろ?」
「もう死骸も完全に消した。俺の妖気も浄化したし、問題ないだろう」
「そっか。ならいいけどよ。ま、どうせ俺が行ったら、穢れるかもしれねえけどよ」
「あはは」
「って、笑ってねえで、否定しろよー!」
「自分で言ったんでしょ」
ニコニコ笑って、さらりと言ってのける蔵馬。
出会って、もう何年にもなるが、敵わないところは全く変わらなかった。
例え、妖狐であっても、南野秀一であっても。
結局、幽助にとって、蔵馬は蔵馬でしかないのだ。
「(ったくよー。妖狐だって、秀一だって、全く変わらねえもんな〜。秀の前でも、全然創らなくなったし。ま、俺たちのことが知れた時点で、もう意味ねえと思ったのかもしれねえけど)」
はあっとため息をつきながら、紅い髪の天使の横を歩く幽助。
ちらっと一度だけ振り返った教会は、さっきまで妖怪たちが戦っていたとは思えないほど、清々しい空気に包まれていた。
当然だろう。
来週のために、蔵馬は妖怪の気配がするたび、ここを訪れ、妖狐になることも厭わず、浄化に勤しんでいるのだから。
来週の日曜。
その日だけ、ラーメンの屋台は畳んで、朝から起きることにしている。
蔵馬の弟の結婚式……母親の結婚式に行けなかった以上、これを行かぬわけにはいかないだろう。
蔵馬にも…ややこしいので『秀』と呼んでいる弟の秀一にも、是非来てほしいと誘われている。
螢子も桑原ももちろん招待されているらしい。
「(しっかし、何着ていけばいいんだ〜? タキシードなんて、俺似合わねえぞ〜?)」
ここしばらく、自分が悩むことは、こればかり。
まあ、後一週間もあるのだ。
ゆっくり特製ラーメンでも創りながら、考えることとし、紅い天使の手を引っ張って、幽助は走り出したのだった……。
終
〜作者の戯れ言〜
霊界紳士録に、「妖狐に戻るたびに、南野秀一の生命力をかなり削っている」と出ていたので、書いてみた話です。
個人的には、蔵馬さんは「妖狐さん」と「南野秀一さん」がセットになって、「蔵馬さん」だと思っているので。
どちらにも消えて欲しくないんで……。
でも、いつかその日は来てしまうかも……そう思った時、妖狐さんだと家に帰れない! と思いまして。
だったら、せめて家にいる間は、南野秀一さんがいなくては!
志保利御母様と畑中さんと秀一くん。全員がこの世にいる間は、せめていなくては!
多分、幽助くんにとっては、妖狐さんも南野秀一さんもあまり違わないんじゃないかな〜と。
プーちゃんが変わっても、全然気にしない人だから。