<恋愛遊戯>

 

 

 

「残念ですが、現代の医学では……」

医師にそう告げられた時……蔵馬は何も言わず、ただ説明を続ける医師の顔を見ていた。
その場にへたりこんで泣きわめいたり、医師につかみかかって怒鳴ったり、自暴自棄になって暴れ出したりもせず……。

ハタから見れば、とても冷静に見えただろう。
高校生にしては、現状をすぐに受け入れられるしっかりした子だと。

 

だが、しかし。
その時の蔵馬は、産まれてから……いや、妖狐の時からの人生を含めても、これ以上にないくらい、呆然としていた。

 

『手の施しようがない』
『もって、後半年』

 

間違いなく、その言葉は耳に入っていた。
そして、外耳から鼓膜に達し、三種類の骨によって、内耳へ。
内耳の有毛細胞によって、電気信号に変換され、脳へと送られ、そして言葉として理解していた。

そう、理解はしていた。
しているはずなのに……納得は出来なかった。
それが現実だと理解しているのに、現実として納得出来なかった……受け入れられなかったのだ。

 

これは夢だ……そう思っている自分がいた。

だからこそ、逆に何もしなかった……いや、出来なかったのだ。
手足は全く動かず、表情を変える筋肉すら、ぴくりとも動かなかった。

 

 

考えたこともなかった。
あの母が後半年もたないなど……。

確かにあまり身体の強い人ではなかった。
決して、強靱とは言えず、むしろ虚弱の方が近いくらいだった。
しかし、年々妖気を帯びていった自分の傍にいても、何の影響も受けなかったし、いつか自分が出て行くまでも、何ともないだろう。
その後もきっと……。

そう、思っていたのに……。

 

 

 

 

……あれから、数ヶ月。

母の病状は日に日に悪化していった。
続く入院生活。
あらゆる薬の投与。
何度か手術も行った。

しかし……よくなるどころか、悪くなることをゆるめることすら出来なかった。

 

もちろん、病院だけに頼るつもりなど、蔵馬も最初からなかった。
魔界の薬草の中でも、人間に使って問題のないモノを使い、そっと食事に混ぜたりした。
人間界の植物も色々試してみた。

だが、それでも、無駄だった。
流石に人間の治療よりは効果があり、多少進行を遅らせることは出来たのだが……それだけだった。

 

 

もう、本当の意味で手の施しようがない。

母の命も……後わずかに数ヶ月。

 

 

「はあ……」

見舞いに病院へ行った帰り道。
蔵馬はいつもため息をつき続けていた。

母には病のことは知らせていない。
医師も看護師も母の今の恋人も……皆で協力して、隠してくれている。

いつか治ると、空々しい気はしたが、それでもそうとしか言えなかった。

 

しかし、母は純粋で……本当にそう信じてくれている。
退院した後のことなどを、楽しそうに話す時などは、とても胸が痛んだが。

しかし、そういう日がいつか来ればと、来ないと分かっているのに、思い描く自分がいることも確かだった。
いつか退院出来れば、再婚も出来るし、そうなれば自分はいなくなってもいいかもしれない。
離れがたくはなっていたが、もしそうできるならば、そうなってもいい。
また暗い闇の世界へ戻ることになっても……。

 

どうにかならないのだろうか……。

 

 

 

「……ん?」

五回目のため息をついた後、ふと顔を上げると……そこに一匹の犬がいた。
『いた』というよりは、倒れていた。
道路の端っこ、しばらく雨が振っていないため、からからに乾いている溝の中に。

見るからに、行き倒れである。

「……」

特に動物好きでもないが、犬といえば、自分の親戚のようなもの。
とりあえず、様子を診てみるかと近づくと……それが犬でないことが分かった。

 

 

「街中で……珍しいな」

蔵馬が呟いたのも無理はない。
蔵馬のいる町は、決して大きくはないが、小さな田舎ではない。
それに今いる場所から、森や山林はかなり遠くにある。

住宅街と呼ぶに相応しいここに……何故、狸がいるのだろうか…?

 

 

 

 

 

「……ああ、気が付いたか?」

南野宅。
その二階の洋室で、たぬきは目覚めた。

がばっと起きあがった途端、足元がふらつき、また後ろへひっくり返る。
幸い、寝ていた布団が身体よりも大分大きかったため、頭を打ってまた失神とはならなかったが。

 

再び起きあがって、よくよく正面を見ると……いたのは、燃えるような紅い髪の青年。
もちろん、第六感の鋭い動物なのだから、すぐに彼が人間ではないとは見抜いたが。
しかし、それ以上に彼の恐ろしいまでの美しさに圧倒され、言葉を忘れた。

まあ、その様子が、蔵馬には怯えているように見えたのだが……。

 

「心配しなくていい。別に、たぬきなべにしようなんて、考えてないよ」

くすっと笑って言う蔵馬。
その笑顔がまた、たぬきにとっては致命傷で、ユデダコのように真っ赤になってしまった。

「? …ああ、まだ熱がありそうだね。軽い疲労だろうから、すぐ治るだろうけど。怪我が治るまで、うちにいていいよ。今は一人暮らしみたいなものだし」

 

 

それから数日間。
たぬきは、南野家で世話になることになった。
といっても、現在住人は蔵馬一人だし、その彼も朝から夕方までずっと留守のため、いつも一人で留守番なのだが。

好きに出かけてもいいと言われているが、しかし何となくお世話になっているのに悪いと思い、ずっと家にいた。
その間、掃除や洗濯、料理など、異様なまでに得意になってしまったが。
むろん最初のうちは失敗ばかりで、その度に尚更迷惑をかけていたが、蔵馬は全く怒らず、やり方を面倒がらずに教えてくれていた。

 

 

そして、ある日。
蔵馬が『学校』というものに行かず、母の『見舞い』というのも、午後から行くと言っていた日の朝。
朝食の後、居間で休んでいた蔵馬に、たぬきは意を決したように言った。

「そうか……行くのか」

こくんっと頷くたぬき。
長い間世話になったこと、本当に感謝していること、心の底からお礼が言いたいこと、そして……何故、自分が町へ来たのかも話したいと言った。
たくさん色んなことを教えてくれた人に、自分の決心を言いたいのだと。

蔵馬は頭を縦に振り、話を聞くことにした。
別にとりわけてものすごく興味が湧いたわけではない。
かといって、聞かなければ、たぬきに悪いと思ったわけでもない。

ただ何となく……気になっただけである。
本来、山に住まう狸が、食べ物を漁る目的でもなく、まして自分のように妖怪となって盗賊に身をやつしたわけでもないのに、危険を冒してまで町に来たのか……。

 

 

「なるほど…」

数分の短い話の後、蔵馬が言った。

「その人に恩返しを…」

蔵馬の言葉に、強く頷くたぬき。
幼かった頃に助けてくれた人間に対する恩返しのために、山を下りる決心をしたその眼には、強い光が宿っていた。
若者らしい、希望の光と、優しくしてくれた人への温かい気持ちによる光。

 

いつからだろうか。
自分にその光がなくなったのは……。

 

 

 

「場所は?」

そう聞いた蔵馬に、たぬきは少し先の町だと言い、今日中にはつきたいからとも言った。
つまりそれは、おいとましますという意味……蔵馬もすぐに分かり、

「分かった。そこまで送ろう」

と言って、立ち上がった。
が、たぬきは未練が残ってしまうから、ここでお別れしますと言って、頭を下げた。
もちろん蔵馬も無理強いするつもりはなかったし、自分自身数日同居したたぬきに対して、多少の思い入れはあったので、「そうか」と言って、座り直した。

 

 

 

数秒の沈黙。
お互いに何も言わず、ただお互いを見つめていた。

出会ってから、今まで、本当に僅かな時……それでも、お互い、近しい存在であることは分かっていた。
種族の問題というわけでもない。
お互いに人ならぬモノでありながら、人の傍にいたいと思う気持ち……。

 

ふいにたぬきが、立ち上がった。
行くのか……そう思って、目を閉じる蔵馬。
見送ってはダメだろうと思ったのだが……ふいに、頬に温かいモノが触れた。

ぱちっと目を開くと、そこにたぬきの顔があった。
小さな舌でペロペロと頬をなめてくる。

「あはは。くすぐったい」

そう言いながら、蔵馬は笑顔だった。
その温かな毛皮をなでながら……笑っていた。

 

母が倒れて以来、こんなに素直に笑えたことはなかった。
たぬきがいた数日間で、自分は変われていた。
まるで……二度と戻らない、『家族』との生活を感じていた頃のように……。

 

 

やがてたぬきが自分を離れた時……蔵馬は晴れやかな笑顔で言った。

「……見る目があるね、君。初対面の人は、間違える人も少なくないのに」

その言葉に、たぬきは顔を赤らめながらも嬉しそうだった。
そして、意を決して、窓から駈けだしていった。
一度、敷居で転びかけたが、それでも立ち止まらずに……。

 

その後ろ姿を見送りながら、蔵馬の中にはある決心が湧いていた。

あのたぬきのように……大切にしてくれた人の役に立つ。
想ってくれた人に、何としてでも。
どんな手を使っても、恩返しをする。

 

例え、自分が命を落とすことになっても……。

 

そして、その計画は……立てる前に、チャンスが来た。

丁度その晩。
半年以上前に出会った邪眼師に、誘いを受けたのだ。
霊界から秘宝を盗み出さないかと……その秘宝の中に、どんな願いでも叶えてくれる鏡があったはず。

恩返しをするには、これしかない。

大まかな作戦を立てる役を請け負うことで、作戦時期も決められるようになった。
なるべく長く母の傍にいたかったこともあるが……母と彼女の恋人が、再婚を決意してくれるまで、待ちたかった。
きっと後数ヶ月もあれば、決心してくれるだろう。
それを見届けたかったのだ……。

 

 

 

 

 

 

「あれから、もう三年か…」

窓の外を見ながら、そっと呟く蔵馬。
幸い、その声はその場にいた誰にも聞こえてはいなかった。

それもそのはず、その場にいた…といっても、幽助とぼたんと螢子の三人だけだったが、彼らは話に夢中でこちらを全く見てもいなかったのだから。
しかしまあ……蔵馬が過去を振り返っていたのも、彼らの話のおかげなのだが。

 

「それでそのたぬきさん、どうなったの?」
「じいさんが逝っちまった後、一人で旅に出たぜ……けど、あいつならちゃんとやってけるさ」

幽助の言葉に、少し涙を浮かべている螢子。
ぼたんも思い出しているらしく、少し目の端が潤んでいた。

「いい子だったのね……」
「そうなんだよ〜。本当にいい子だったんだよね〜、幽助」
「ああ……今頃、どっかで雌狸と会って、子供に囲まれてるかもなー」

 

 

「それはない」

突然、話に全く加わっていなかった人物に言われ、全員がそちらを振り向いた。

 

「へ? 蔵馬?」
「それは絶対あり得ない」
「どういうことだよ!」

むっとし、怒鳴る幽助。
しんみりしていたところに、いきなり否定の言葉である。
流石に相手が蔵馬だろうと、怒鳴りたくなるというもの……最も、これが飛影であればつかみかかっているし、桑原であれば問答無用で殴りかかっているところだろうが。

 

しかし、蔵馬は冗談を言った様子もなく、冷静な面持ちで言った。

「そのたぬき。多分、俺も会ったことある」
「え、蔵馬が!?」
「幽助たちが会う前だろうけど。化けた男の子って、小学生くらいでおかっぱ頭、目が丸い子じゃないか?」
「そ、そうだけど……」

「やっぱりね。旅に出る前に恩返しするって、町に下りてきたんだろう。俺が会ったたぬきに間違いない。化けるところも一度見せてもらったし」
「でも、だからって何で……その後に会ったわけじゃないんだろ?」
「ああ。会ったのは、一度だけだ」
「じゃあ、何で!!」

 

 

 

「その狸。メスだよ」

 

「……え゛」

 

 

 

「だから、雌狸と会って子供に囲まれてるってことは、あり得ない。雄狸ならあるだろうけど」
「メ、メスって……ま、まさか……」
「あいつ女だったのかーー!!?」

混乱し叫ぶ幽助。
叫んでこそいないが、ぼたんもパニック状態だった。
螢子は流石に話に聞いただけなので、まだ男の子とも女の子とも聞いていなかったので、「そうだったんだ」程度だったが。

 

「気が付かなかったのか? まさか男の子に化けたから、オスと思ったとか…」

図星だった。

「そういえば……男の子だとは一言も……」
「で、でもあの時ぼたんに色々言われて、照れて……」
「何があったかは知らないけど……小さい女の子が年長の女の人に諭されたら、別に同性であっても照れることもあるさ」
「そ、そんなもんか……」

あまり納得いかないが……しかし、同じ獣の蔵馬が言うのである、間違いないのだろう。

 

 

 

「ねえ、幽助」
「な、何だ?」
「きっと立派なお母さんになってるね、そのたぬきさん!」

笑顔で言う螢子。
別に男の子だと間違えていた幽助をからかう気など、微塵もない笑顔だった。
その様子に、幽助ももう性別などどうでもよくなってしまい、笑って言った。

「そうだな! あいつなら、いいお袋になれるぜ、ぜってー!」

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

あのたぬきさん、個人的には大好きなキャラの一人です♪
謙虚で偉いし、何よりすっごく優しい!
管理人の涙もろい母は、あの話読んだ後、ボロ泣きしてました…。
アニメ化されなかったのが、ちょっと残念…(アニメではコミック2巻まで、かなりカットされてますもんね…まあ、蔵馬さんの出番が遅くなると思うと、複雑だけど…)

で、この話のどこらへんが「恋愛遊戯」なのか……。
そういう方向へ持って行こうとしたんですが、上手くいきませんでした、すいません…。
おじいさんのところへ行く直前のたぬきさんのほろ苦い初恋を…と思ったんですが、いくら狸と狐で、人よりは近い存在でも、なかなか難しくて…(そういう問題?)
ちなみにあのたぬきさんが女の子というのは、単なる管理人の勝手な推測です。
男とも女とも言ってなかったので…。