<眼差しの温度> 3
ザクッ……
「なっ……」
突如、剛鬼の視界が紅く染まった。
紛れもなく、それは血だった。
噴水のように、止め忘れたシャワーのように、止めどなく……。
それが彼自身の血だと気付いたのは、腕に力が入らなくなり、飛影を地面に落とし、そして仰向けに倒れてからだった。
「な、なに…」
「俺がその追っ手だよ」
「なっ!?」
驚愕の表情で、顔だけ必死になって起こそうとする剛鬼。
その頭に、すっと細い指が伸びてきた。
抵抗する間もなく、頭から諸刃の輪が取り外される。
瞬間、鬼の血が溢れかえるように、飛び散った。
薄れ行く意識の中で、彼は声を聞いた。
「お前たちには言うなと言われていたが……俺は情状酌量の代わりに、霊界探偵と同等の仕事を任されることになっているんだよ」
「な…にぃ…」
「留置所は崩壊してるし、他の妖怪もたくさん逃げた。一人でも多くの人材が必要だからと……顔を知っているのは、お前だけだからな……今回、俺の命じられた仕事は、一つ。お前を説得し、出来れば連行、無理なら抹殺……連行の方がよかったけれど……」
「……はははは!!!」
突如、鬼が笑った。
大きな口を開けて、森に響き渡る声で。
しかし、狐は全く動じない。
表情は少しばかり変化していたが……何処かもの悲しそうなものに…。
「ははは!! 鬼が狐に負けるとはな! 呆れて笑いがとまらねえぜ!!」
「……せめて、妖怪の手で死なせてやるよ。霊界や人間よりは幾分マシだろう……」
髪の毛から鞭を取り出し、構えて狐は言った。
その様子を見ても、剛鬼に恐怖の色は伺えない。
笑うのを止めると、一息ついてから言った。
「ああ…そうだな……」
ズバッ……
二度と動かなくなった肉塊を、しばらく眺めていた蔵馬。
しかし、すぐに振り返って、地面に座り込んでいる邪眼師に声をかけた。
「大丈夫か? 飛影」
「……」
「何処か、傷むか? なるべく君に傷はつけないようにしたつもりだけど……」
「……包帯にこんなものを仕込んだヤツの台詞か」
言いながら、飛影は胴体に巻かれた包帯を解き始めた。
霊界探偵によって負わされた傷跡に、最初の裁判の直前、蔵馬によって無理矢理手当され、巻かれた包帯。
先程までは、ただの包帯だったはずなのだが……。
しかし、今その包帯は、白くも、血に染まって紅くもなっていなかった。
植物の発す緑の色になり、しかも一部が鋭く尖り、その先端に血餅がベタベタとついていた。
「驚いたぞ。包帯がいきなり剛鬼の喉を引き裂いたんだからな」
「万が一の時のためにね……遠隔操作出来るようにしておいたんだ」
「……剛鬼が脱獄すると分かっていたのか?」
「いいや……最近の看守はとても乱暴だと聞いてたんでね」
けろっとした笑顔で、飛影の元へ歩み寄る蔵馬。
何を思ったか、いきなり彼の手枷を引っ張ると、植物を使って、いとも簡単に外してしまった。
「なっ…」
「吸収は出来ても、元に戻すには、この枷は邪魔なんでね。じっとしてて」
手枷を足元に転がすと、諸刃の輪を飛影の頭上に翳し、額部分にあたる宝石を捻った。
途端、飛影に妖力が戻ってくる。
みるみるうちに回復していく身体。
傷も痛みもあっという間に癒えてきた……。
「……」
「? 飛影?」
ふと蔵馬は飛影が俯いたまま、何か呟いている事に気付いた。
「どうかしたのか?」
「……何故、殺さない。俺も逃亡者だぞ」
「いいや。君は違うよ。監視カメラに写ってたってさ。足元が崩れて、留置所からほおりだされた君の姿が」
笑顔で言いながら、蔵馬は諸刃の輪を引っ込めた。
飛影の身体には完全に人間界へ来た時の妖力が…いや、それ以上に諸刃の輪に封じられていた他の妖怪の分の妖力までが戻り、手足も自由に動いた。
元々負傷したのだから、本調子とはまではいかないが、それでも充分だった。
手枷が外れているのだから、逃げようと思えば逃げられる。
だが……そんな気にはなれなかった。
どうせ逃げても、こいつが目前にいるのでは、逃げられない。
そう思ったこともあるが、他にも何かあるような……よくは分からないが、そんな気がした。
「……」
「何?」
「俺は足元が崩れたのではなく、爆風に煽られたんだぞ」
「ふ〜ん。そうだったんだ」
「偽の映像創るなら、もうちょっと情報集めてからにしろ」
「そうだね。次から気をつけるよ」
「……俺は助けられたとは思わんからな」
「ああ。俺も助けたとは思わないよ。こんなことで裏切ったことを許してもらおうなんて思わないし、別に一生許してくれなくてもいい。これは俺がやりたくて、勝手にやったことだ」
平然と言う蔵馬。
自分に対する優越感も嫌悪感もない。
いつも通りの平凡な一日を送った……そんな顔だった。
敵わない……そんな気持ちが、飛影の頭の中をよぎったのも無理はないだろう。
この強い眼差しには……熱すぎる眼差しの温度には敵わない。
そして同時に思った。
恨むのも、馬鹿馬鹿しい。
裏切ったことなど……許すも許さないもない。
忘れた方が、せいせいすると……。
「ひとまず、これで任務終了っと。飛影の協力のおかげで」
「?」
「コエンマ、聞こえてますか?」
突然、蔵馬が振り向いた先に現れたのは……何と、霊界の次期長・コエンマだった。
見た目は二十歳前後の若者だが、少なくとも700はいっているらしい男。
まあ、そんなことはどうでもいいが、何故こんなところに。
しかもいつからいたのか……。
一方、コエンマはため息混じりに、二人に歩み寄り、
「ああ。ご苦労だったな」
「それから、飛影の手枷だけど……戦っている最中、偶然壊してしまいました。どうしてもそうしなければ、避けられなくてね」
「分かった」
ほとんど棒読みの蔵馬の台詞を、半ば諦めの表情で聞くコエンマ。
その態度を見て、飛影にも分かった。
これが最初から……剛鬼が脱獄した時から、二人の間で取り交わされていた約束だったのだと……。
「では、約束通り、飛影も執行猶予として、お前と同じ仕事につくように。居場所はまあ、人間界に……しばらく蔵馬の家にいろ」
「なっ…」
「了解しました」
「じゃあな」
「待て! 俺は納得してな…」
シュンッ…
……彼が言い終わる前に、コエンマは消えていた。
最初から人間界には実態のない存在である。
一瞬で霊界へ戻ることも、わけないのだろう。
「さてと。じゃあ行こうか」
「……おい」
「大丈夫だよ。友達一人くらい泊めても、母さん気にしないから」
「いつ、俺が、貴様の友達になんぞなった!?」
「そう言った方が、事が早いからね。適当に合わせてくれたらいいから」
「そういう問題ではなくてだな!!」
「さ〜、雨降りそうだし、早く行こうか♪」
「人の話を聞けー!!」
ギャーギャー叫ぶ飛影を引きずりながら、帰路につく蔵馬。
その顔はどことなく先程とは違い、嬉しそうだった。
むろん、飛影には見えていないが……例え見えていたとしても、彼は今、それどころではなかったろう。
これから当分、蔵馬と暮らすなど……考えただけで、ぞっとする。
次の指令が待ち遠しい……
しかし、悲しいことに二人に次の指令が科せられるのは、この半月も後だった……。
終
〜作者の戯れ言〜
何か蔵馬さんの登場の仕方が、白馬の王子様のような感じになってしまいましたが……。
飛影くんが本調子なら、別に行く必要もなかったと思いますけど、何せ背中に直撃ですからね…。
よくよく考えてみれば、死ななかっただけでも、すごいんじゃ…(色々あって、あんだけ霊力あがってたんだし…)
にしても、剛鬼の最期、剛鬼らしくなかったなと、自分で書いといて、妙な空しさが…。
剛鬼がいさぎいいなんて、絶対変だー!
最期の最期まで、あがきそうな感じなのに…。
それにしても、半月も蔵馬さんのおうちに居候するハメになった飛影くん。
この半月、一体どんな生活してたのかは……想像にお任せします(笑)