<片道切符> 2

 

 

 

そんな想いで、少女を眺めてから、何時間が経ったろうか?

電車は終点に着いていた。
気が付けば、車内には蔵馬と少女しかいない。

 

少女はちらっと蔵馬を見たが、包みを抱え直すと、電車からすぐに降りた。
蔵馬ももう電車に用はないため、続いて降りる。
少女とは少し距離をとって。

 

 

「……」

蔵馬が改札口を出る頃、少女は雪の中をゆっくりと歩き出していた。
駅から気配は断ってきたから、多分気付いてはいないはず。

いや、気配を断つ必要などなかったかもしれない。
少女の目は、何も映してはいなかった。
目の前の雪景色も、白い包みも……ただうつろにぼんやりと、前を向いて歩いているだけ……。

駅で感じられた、強固な意志は見られない。
まるで自ら封印してしまったかのように……。

 

その意味を蔵馬は理解出来なかった。

「(……自分の感情を殺すほどのことなのか? この雪道を歩くことは……いや、これからのことなのか? こいつは一体何をしようとしている?)」

いくら考えても、答えは出ない。
だが、しかし……その意味は、この雪道の先で明らかになった。

 

 

 

少女が向かった先。
人里離れた、誰もいない雪の世界。

そこから先に道はなく、ただ広い冷たい水のたまり場が広がっているだけ……。

 

「(……! 自殺…か?)」

 

ようやく意味が分かった蔵馬。
しかし、少女の後ろ数メートルのところから、動こうとはしなかった。

自殺者を見たのは、これが初めてではない。
敵に攻め落とされかけた城の中で、自ら腹を切った男など何人も見てきたし、大昔の源平合戦では海に飛び込んだ人々もたくさん見た。

だが……この少女はどう見ても、敵に攻められているようにも、追いつめられているようにも見えない。
何のために、わざわざ親が腹を痛めて創った身を散らす必要があるのだろうか?
興味はあったが、止めることはなかった。

 

いや……彼は、止める方法を知らなかったのだ。

敵を攻める、敵を倒す、敵を殺す……この3つにかけては、天才的な彼だが、逆に無関係の人間を助けることには不慣れである。
それが死にかけて、でも生きることに縋っているならば、まだ助けようもあるのだが……。

 

 

自分から死のうとしている人間を助けることは、やったことがない。

どう、声をかけるのか。
もしくは無理矢理引っ張って止めるべきなのか。
いや、死のうとしているのを邪魔するのは、悪いのかもしれない。

……などと、色々考えてしまうため、どうしても止める方法がパッと思いつかないのである。

 

「(……どうする? 止めるか? それとも……)」

 

 

 

 

『……死ンジャ駄目ダヨ』

ふいに、蔵馬の耳に声が聞こえてきた。

 

どう考えても、少女のものではない。
少女のものにしては、あまりに幼すぎた。
十にも満たない、幼子の声にしか思えない。

だが、そんな童女はここにはいないが……。

 

見回してみたが、やはりいない。

すっと少女の方を向いてみると、彼女は特に驚いた様子もなく、立ちつくしていた。
断崖絶壁で。
ぼんやりと……まるで、声が聞こえていないかのようだった。

 

 

声は続ける。

『死ンジャ駄目。生キナキャ』

「……貴女には分からない」

少女の口が動き、僅かにそれだけが発せられた。
そして、手にしていた包みを地面に置くと、風呂敷状に包んであった布を解いた。

 

中に入っていたのは、一体の日本人形。
黒髪に着物をまとった童女の……。

着物の汚れ方や糸の解れ方から、その人形がかなりの年代物であることは、かなり離れた位置にいる蔵馬にも分かった。
そしてそういう人形には、大概何かしら曰くがあるというもの……。

「(……なるほどな。あの人形、多くの人間に触れすぎて、霊気を帯びたのか。となれば、言葉を発することが出来ても不思議はないな……)」

 

いちおう納得しつつも、人形の気持ちまでは分からなかった。
何故……何故、この人間の望んでいる「死」を止めようとするのか。

自分も何となく止めようかなとは思ったが、しかし本気で止めようとは思わなかった。
だが、あの人形は明らかに自殺を真剣に止めたがっている。
人形から発せられる霊気がそれを物語っていた。

 

少女が何度も列車を降りたり乗ったりしていたのも、これで分かった。

駅に近づくたび、人形が彼女に語りかけていたのだ。
列車を降りるように……この場へ向かわせぬように。
そして少女は人に見られまいと、列車を降り……そして、人形が語りかけてきても無駄なよう、発車ギリギリに乗り込んだのだろう。

そのイタチゴッコを繰り返していたのである。
傍目には奇妙にしか映らなかった行為も、人形と少女の両者必死の攻防だったのだろう。

 

 

だが、表情は変わらずとも、声の強弱は変わらずとも……蔵馬には分かった。

人形が、本当に必死なのが。
彼女を死なせたくないのが……。

 

 

 

 

しかし……少女には、それが伝わらなかったのだろうか?

 

『生キテタラ、イイコトモ、アルヨ……』
「何よ……人の気もしらないで、勝手なこと言わないで!! あの人に捨てられたら、私は生きていけないの!!」
『……帰ロウヨ。帰レル、家ガ、アルンダカラ…』
「ないわよ…ないわよ、私には! 片道の切符しか買わなかったんだから!」
『歩イテダッテ、帰レルヨ』
「片道しかないの! 帰る場所なんてないんだから!」

 

「(何だ、恋愛のもつれか……くだらないな。そんなことでわざわざこんなところまで、死ににくるとは。ヒマというか何というか……なっ!?)」

自殺理由に半ば呆れた蔵馬だが、ふと見ると、少女が両手を大きく振りかぶっている。
当然その手には人形が……。
何をしようとしているのか、これを見て分からない者など、そうそういない。

 

そして次の瞬間。
人形は少女の手から放たれ、冷たい海の方へと飛ぶように投げられた。

 

 

 

 

「チッ」

 

……特に何を考えたわけでもない。
少女の自殺など、とうに頭から吹き飛んでしまっている。
好きだった異性に捨てられた程度で死ぬなど、恋愛経験のない蔵馬にはバカのすることとしか思えなかったのだから……。

だが、いつの間にか飛び出していた。
少女の方ではなく、人形の方へ。

妖狐の姿で……。

背中に広がる浮妖科の魔界植物。
少し目立つが、辺り一面雪が降っているから、まだマシだろう。
ここにはこの少女しかいないのだし……。

 

 

空中で人形を受け止めると、向き直って少女を睨み付けた。
突如現れた、この銀色の物の怪に、少女の表情のなかった顔が一気にこわばる。

「ひっ!」
「お前……この人形の声が聞こえなかったのか?」
「……」

答えたくても答えられないといった雰囲気。
それもそうだろう。
いくら蔵馬が美しくても、宙に浮いていて、しかも鋭い目つきで睨まれれば、気絶してもおかしくないほどの恐ろしさである。

 

「生きろと言っていただろう。聞こえていなかったのか?」
「……」
「俺はお前の命になど、頓着はない。死にたいなら、協力してやってもいいぞ」
「そ、それは……」
「どうした? 殺して欲しいんだろ? 死にたいのだろう?」

言いながら、蔵馬は髪の毛から植物を取り出した。
といっても、魔界の高等植物ではなく、ついさっき適当に千切ってきた雑草である。
だが、これでもちょっと妖力を込めれば、少女の命を絶つのは、わけないこと……。

鋭く尖らせた緑色の刃に、少女は震える身体を必死に動かし、後ずさりした。

 

「死にたいんだろう? 遠慮することはないぞ」
「……い、いいえ…え、遠慮…します……」
「なら、何故人形が言った時に聞き入れて、帰らなかった。片道しか切符がないだと。ふざけるな。歩いて帰れ」
「……」

「帰れと言っている」
「は、はいぃ!!!」

蔵馬の最後の睨みに、少女は喉の奥から声を絞り出し叫ぶと、死にものぐるいで逃げ出した。
着物の裾を踏んで転びかけたが、それでも構わず……。
靴が脱げ、裸足になっても、それでも構わず……。
雪の中、僅かに足が血でにじんでも……。

 

 

 

 

「……生きる執念とは、恐ろしいものだな。人間とは不思議なものだ」

ため息をつきながら、ゆっくりと地面に足をつける蔵馬。
ふと、手にした人形を見ると、人形が蔵馬の顔をじっと見ていた。
もちろん表情は変わらずに……。

「どうした?」
『……アリガトウゴザイマス』
「は? 何を言っている。俺はお前の助けようとした女を殺そうとしたんだぞ?」

嘘偽りはない。
少女があの瞬間、死を望めば、本気で殺していただろう。

 

 

『イイエ。カノジョハ、コレデ、チャント、家ニ帰ッテクレル。ソレダケデ、充分』
「妙なヤツだな。お前、言うなれば、置いて行かれたんだぞ」
『流浪ハ、慣レテマス』

と言うと、人形はかくかくと少しだけ動いた。
それを見て、少しだけ驚く蔵馬。

 

「……動けるのか?」
『ハイ。モウ、数百年、コノ世ヲ渡リ歩イテ、来マシタ』
「……人の霊気のせいか?」
『ハイ。スゴイデス、人間ハ。人間ノ生キヨウトスル心ガ、私ヲコノ世ニ留メル……』

「死にたいと思ったことは?」
『ナイコトモ、ナイデス。ヤハリ、人形ハ生キニクイ、世界デスカラ』
「差別か? それとも虐めか?」
『両方、デスネ。後、始末サレカケタコトモ、ヨクアリマシタ』

「なのに、助けるのか? あの少女を……」
『ハイ。ソレトコレトハ、違いますから』

 

「……奇妙な関係だな。そして……奇妙だな、お前も人間も」

 

そう言って、ふっと笑う蔵馬。

無駄足だと…無駄な時間を過ごした列車旅行だと思ったが。
意外とたくさんの収穫があった。

 

たった一人の人間の観察。
それが人間だけでなく、人間界特有の人と物の関係を見せられたのである。

これは魔界にはないこと。
霊力をそれほど知らない人間だからこそ……。

 

それに、この人形も……。

 

 

 

人形を地面に下ろすと、人形はかくかくと立ち上がり、そしてぺこんと頭を下げた。

『デハ。オ元気デ……』
「ああ……」

頭を上げると、ゆっくりと方向転換をする人形。
かくかくと歩き出そうとしたが……身体が思ったよりも、動きやすかった。
はっとしたように全身を見回すと……。

 

人形が見たのは、いつもの人形の自分ではなかった。
一人の少女のような……そうさっきの少女そっくりの、人間の少女の姿だった。

 

 

「これは……あっ、声も」
「魔界の植物だ。お前に使われている木と融合させてある。副作用はない」
「……」
「悪いが、顔は適当だ。あまり女には興味がないんでな」

言うと、蔵馬は再び翼を広げた。
雪は大分止んできている。
雲の隙間からは月の光も差し込んでいる…。

 

「じゃあな……」

バサっと一度だけ大きく羽ばたき、葉が何枚か散らばったかと思うと、蔵馬はその場から姿を消していた。

 

 

 

後に残された人形…だった少女は、しばらくその場に佇んでいた。
何が起こったのか、まだよく分からないような……そんな雰囲気であった。

 

 

彼女が歩き出したのは、雪が完全に止み、空で月が大きく輝きだした頃だった。
新しい彼女の人生を…そして元の主の人生を祝福するには、十分すぎる光。

その中で、少女はぽつりと呟いた。

 

 

『ありがとう……』

 

 

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

妙に暗い話で、すいません…。
本当はこれ明るい話にする予定だったんだけどな…(何で暗くなったんだろう…)

しかし……異性にふられたからって、自殺とか絶対にしないでくださいねー!
私はまだ恋愛したことないから、大きなことは言えないかもしれませんが…。
でも世界の半分は異性なんだから、絶対にいい人、他にいるはずだから!!

後、自殺したくなった時は、人にどれだけ迷惑をかけるかということを、しっかりと考えてください。
捜索隊とか後始末とか通夜とか葬式とか…とにかくすご〜く大変なことですから。
間違っても電車に飛び込みだけはしないでくださいね…(大勢の赤の他人に一番迷惑かける自殺だろうから…)