<二人の距離>

 

 

それは、とある満月の夜のこと……。

蔵馬はいつものように、夜の散歩へ繰り出していた。
この年頃の少年ならば、別段珍しいことでもなんでもない。
だが、それはあくまでも繁華街などの遊べるような地での場合であって、蔵馬が出向くようなところでは割合珍しいかもしれない。
最も彼の姿を目撃する者は滅多におらず、そのため「珍しい」と思う者も滅多にいないが。

彼は大概、人通りの少ない裏路地や高架下などへ赴く。
そして他に人がいそうな場合は、飛影が寝ていそうな森や公園などを歩きに行くのだ。
大まかな目的は散歩だが、一部に暇つぶしのからかいも含まれていたりするが……。

 

しかし今夜、蔵馬が森で出会ったのは、あの目つきの悪い黒髪少年ではなかった。

いちおう黒髪ではある。
だが、目つきはそれほど悪くはない。
どちらかといえば、普段の蔵馬のように穏やかな方だろう。
ましてその瞳は二つしかなく、額に三つ目は存在していなかった。

黒髪と東洋人系の顔立ち、そして纏うのは霊気。
つまりは人間ということだ。
こんなところに人間が……と、いつもの蔵馬ならば思うだろう。
だが、今夜は違った。
それは何も彼が蔵馬と顔見知りだからというだけでなく、今夜が満月だったからだろう……。

 

 

木々の合間から、ぼんやりと空を眺めていたが、ふいに蔵馬に気づき、振り返る彼。
年齢は二十歳前後といったところだろうか。
肩ほどまでの黒髪を乱雑に束ね、着ている服は今では珍しい和服だった。
しかし珍しいだけでなく、随分と古そうである。
ボロボロで、継ぎ接ぎもあり、色も褪せ……とても数年でなるような古さではなかった。

それでも蔵馬は怪訝には思わない。
この服は、あの時のものだから……。

 

「お久しぶりですね、蔵馬どの」

ニコッと笑って言う青年。
蔵馬も笑い返したが、その言葉には少々棘があった。
もちろん本人はからかっているだけのつもりだろうが。

「まだ生きてたのか」
「当たり前でしょう……」

蔵馬の言葉にため息をつきながらも、別に気を悪くした風はなかった。
自分が座っていた切り株から立ち上がって、そこを勧め、自分はその前にあった倒木に座った。
少し遠慮したが、彼がさっさと倒木の方へ座ってしまったため、切り株の方へ座ることにした蔵馬。
青年は蔵馬が腰を落ち着かせたのを確認すると、また一つため息をついて、言葉を続けた。

 

「私は死なない身体です。人間とはいえね。例えこの身が焼かれようと、切り刻まれようと。それに…」
「それに?」
「もう一度…あの人に会うまでは……死んでも死にきれません」
「そうか……」

二人同時に月を見上げた。
丁度、雲が丸い満月の一部を隠しだしている……二人の顔も一緒に曇ったのは言うまでもない。

「あれから……何年経つ?」
「そうですね。千年は軽く…後、一五〇年といったところでしょうか」

 

 

 

今から、千年以上も前。
蔵馬がまだ妖狐として、魔界を暗躍していた頃。
とはいっても、彼も常時魔界にいたわけではない。
暇を見つけては、人間界や霊界へも足を運び、財宝を盗んだり、情報収集を行ったりしていた。

時には数年滞在することもあったが、そうする時はいつも何かしら理由があった。
この時の理由は他ならぬ、彼であり、彼に興味を持ったため……。

 

出会ったのは本当に偶然だった。
たまたま人間界へ来た時、狼の群れに囲まれていたのを、何となく見ていたら、狼の方が蔵馬に気付いて、格の違いを察して退散し……開けた空間で、人間と妖狐が対面したのである。
今まで何とか彼を守ろうとしていた部下たちも、蔵馬の容姿には恐れを成し、あっさりと薄情にも逃げ出した。

にも関わらず、彼は銀色に輝く自分を見て、感動していた。
こういう類は結構珍しい。
拝んだりされれば、うっとうしがったかもしれないが、彼はそこまではいかず、ただ純粋に感動し、見上げてきていた。

殺す気にもなれず、かといって山奥に一人きりほおっておく気にもなれず。
当時はまだ十歳にも満たなかったこともあり、仕方なく彼の屋敷まで送っていった。

 

以降、何度か人目を忍んで会っていた。
蔵馬は幽助たちの前では披露したことはないが、変化の術が使える。
なので、割合潜入は簡単に出来るのだ。

そして出会って十年ほど経ったある時、すっかり青年になった彼だが……尋ねたその日、とてつもなく気落ちしていた。
これには蔵馬も意外さを感じ、どうかしたのかと尋ねると、どうやら好きな女が出来たらしい。
もうそんな年になったのかと、呆れる反面、感心したのを今でも覚えている。

あれこれ詮索するのは、趣味ではないが、とりあえず軽く聞いてみる蔵馬。
しかし、どうも彼は最初から蔵馬に聞いて欲しかったらしく、あっさりと女のことを話し、更には落ち込んでいる理由まで語った。

 

 

「彼女……今度の満月に、故郷へ帰ってしまうらしいんですよ」
「なるほど。随分と遠い故郷だな……」

雲一つない空に浮かぶ待宵の月。
素人目には、ほとんど欠けたところなどないように見えるであろうそれも、青年にしてみればもっと欠けていて欲しいと思うようなものであろう。
いや、明日月が出ないでくれることが一番望ましい……。

「……一ついいか?」
「はい」
「満月って……明日じゃないのか?」
「はい、明日です……」
「……止められないのか?」
「彼女はむしろ貴方たち物の怪に近しい存在。ですから、貴方なら分かるでしょう。無理であることが……いちおう兵に彼女の家を守るよう言いつけ、明日は私も向かいますが……」

言葉に詰まる青年。
ほとんど決定づけられている別れ……それを言葉に出来なかったのだ。
涙は流石に流さなかったが、それでも……。

 

「止める手だては……知りませんか?」
「……無理だな。いくら俺が妖怪でも、連中は俺とは別世界の住人だ」
「そうですか……」

がっくりと肩を落とす青年。
おそらくは蔵馬が最後の頼みの綱だったのだろう。
物の怪である蔵馬ならば、もしかしたらいいアイディアが浮かぶかもしれない。
そう、淡い期待を抱いていたのが、蔵馬の嘘のない発言に打ちのめされたのだから……。

それは蔵馬も分かっているが、どうしようもないことは事実。
蔵馬は人間界よりも下にある魔界で生きる存在。
彼の想い人とは全く別次元の存在なのだ……。

「…とりあえず明日は俺もいてやろう。気晴らしにはなる」
「……ありがとうございます」

 

 

 

そして翌晩。
結局、彼女を止めることは出来なかった。

兵など何の役にも立たなかった。
十年前と同じように……いや、あの時以上に。
彼女を迎えに来た者たちが発した光によって、全く動けなくなってしまったのだから。

蔵馬は約束通り、青年の側にいて、唯一動くことは出来たが、何も出来なかった。
人間界よりも上にいる存在。
霊界とは全く別の力だが、当時の蔵馬では敵わなかった。
もちろん本気でやれば勝てたかもしれない。

だが、それは青年の想い人もろとも……という結果になることは、明白。
だから何も出来なかったのだ。

 

しかし蔵馬がいてくれたおかげで……収穫はあった。
青年の想い人が迎えに来た者たちの元へ行く直前、青年の側で支えている蔵馬の姿を垣間見た時、一瞬彼女の表情が変わった。
何か……希望の光が見えたような、そんな感激したような表情。

彼女は迎え人たちを少しの間待たせ、そして青年に何かを渡し、言葉を贈った。
何を告げたのか、それは蔵馬と青年にしか聞こえなかったろう。

 

やがて彼女は迎え人たちの元へ……、
故郷へと帰ってしまった……。

 

 

 

「……もうそんなになるのか」
「ええ。長く生きたものですよ。普通の人間とは比べものにならないくらい」
「それはそうだろう。月の世界で創られた不老不死の妙薬。今の人間の科学でも創れないものだ」
「創れるかもしれませんよ。後千年もすれば」

雲が晴れだし、現れた満月はあの夜と全く変わらず、地上を照らし続けている。
淡く照らされる蔵馬と青年は、穏やかな表情で笑い合っていたが、しばらくして不思議そうな顔になり、

「それにしても、何で物語はこういう風になったのでしょうね」
「さあね」
「時折書店へ行くたびに見ますが……どれも実話は書かれていない」

足下に転がしてあった鞄をひっくり返し、中身を地面にばらまく青年。
旅でもしているのだろう、それに必要そうなものに紛れて、本が数冊地面に落ちた瞬間広がった。
その全てが『竹取物語』。
絵本から分厚い専門書まで様々だが、どれを見ても、蔵馬も青年もため息をつくばかりである。

 

「確かにあの日、富士山には登りましたけど……しかし、不老不死の薬など焼けませんよ。長寿である蔵馬どのが側にいるから、きっと不老不死の苦しみにも耐えられるだろうと、薬を渡してくれたのに……いつかかぐやは戻ってくると約束してくれたのに……」

薬を受け取った時、告げた言葉。

『また会いましょう』

あの言葉だけが、青年を支えてきている。
通常、周囲の者が老いて死んでいく中、自分だけが若く生き続けるというのは、酷なことこの上ない。
だが、彼は一度もめげることなく、生き続けていた。
それは蔵馬が時折会いに来てくれるからということもあるが、一番はやはり彼女のあの言葉だろう……。

 

 

「それまでは…何があっても生きねばならないのに……」
「そうだな…いつになるか分からないがな」

先は長いぞ…というように、忠告する蔵馬。
むろん諦めろと言っているわけではない。
ただ、覚悟はしておけと言っているのだ。

いつ自分と永遠に会えなくなってもおかしくはない。
もちろん死ぬつもりはないが、いつ何時どういうことが起こるか分からない世の中である。
永遠に死ぬことのない彼とは違うのだから……。

それを彼も承知しているのだろう。
苦笑を浮かべながら、言った。

「まだまだ我慢出来ますよ。この千年で世界も変わりました。着実に科学は発展している。月へ行った者もいるらしいですし。かぐやには会えなかったようですけどね」
「簡単には会えないだろう。かぐやたち、月読一族の治める夜の国は、人間どもに見つけられるものではない……最も、あの月着陸には色々と噂があるらしいが」
「別に嘘でもいいですよ。いずれ百パーセント信用出来る月着陸もあるでしょうから。後数百年も待てば、いいだけですし」
「そうか……」

見た目は変わらないが、随分大人になったなと、感嘆のため息をつく蔵馬。
そして月を見上げて思う。

二人の距離は、着実に縮まってきている。
間違いなく、数百年…もしかすると、数十年後には会えるかもしれない。
いつになるかは分からないが、それでも永遠に会えないということはないだろう。

お互いがお互いを思い続ける限り。
いつか会えると信じ続ける限りは……。

 

 

 

「じゃあ、そろそろ俺は帰るとする」
「ええ、お元気で……そうそう、蔵馬どの」
「何だ?」

切り株から立ち上がり、帰路につこうとする蔵馬を呼び止める青年。
くすっと笑いながら、

「この千年で一番変わったことがありますよ」
「何がだ?」
「貴方ですよ、蔵馬どの」
「は? それは、見た目は大分変わっただろうが……」

「違いますよ。中身も変わりました。初めて会った頃から、ずっと綺麗で神秘的な方でしたが……今はあの時にないものがあるように感じます。穏やかで温かい何かが……」
「……おだてても何も出ないぞ」
「期待してません」

きっぱり言い切る青年。
こういうところは、小さい頃から変わっていないな……そう思いながら、蔵馬はその場を後にした。

 

 

森を抜け、家へと戻る途中、暗い路地を歩きながら思う。

千年も経てば、変わるか……。
そういえば、あいつと縁を切ってからも千年は経つか。
もう会うこともないだろうけど。

 

そんなことをぼんやりと考えていたが、ふいに背後に気配を感じた。

三人……妖怪らしい。
だが、妖力は蔵馬の方が圧倒的に上。
いちおう用心しながらも、振り返った。

同じような風貌をした妖怪が、やはり三匹いた。
敵意はなく、悪意も感じない。
しかし、友好的には見えなかった。
というよりも、彼らから僅かに感じる臭いが、嫌な感じがして……。

先程、青年と会ってきて、気分がよかったのが、一変に崩される。
それもあいまってか、少しばかり言い方が乱雑になった。

 

「深夜の来客は歓迎出来ないな。用件次第では、あしらいが乱暴になるぜ……」

彼は何も喋らなかった。
数秒の後、真ん中に立っていた男が、懐から何か取り出した。
それは金色に輝く球体で……ゆっくりと宙を浮かびながら、蔵馬の元へと飛んできた。

「これを……黄泉様からの言霊です」
「黄泉!? 何故俺のことを……」
「失礼」

僅かな音と共に、連中は姿を消した。
闇へ溶けいるように……。

残されたのは、輝きを放ち続ける言霊だけ。
見たくない。
どんな内容なのかは、見当がつく。
そして最終的に、あの男が自分に望むもの……復讐か脅迫か。

 

心拍数が高まるのを抑えられぬまま、蔵馬は言霊をポケットへ突っ込むと、ひとまず家に帰ることにした。
これから起こるであろう、新たな戦いに身を投じることを決意しながらも、今夜だけは満月の光を浴びて、昔に浸っていたかった……。

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

最後らへん、少し暗かったですね。
あそこの辺りは、最初入れる予定なかったんですが……。
コミック17巻見て、蔵馬さんの所へ使者が来たのが、満月のようだったので、じゃあ入れてみようかなと。

さて、蔵馬さんが会ってきた「彼」ですが、お分かりいただけたでしょうが、竹取物語に出てきた帝です。
五人の求婚者はふったかぐや姫、しかし彼のことは月へ帰る予定がなければ、入内することになっていたという話を、何処かで聞いたような気がするので。
じゃあ、帝のことは好きだったのかなと思って書いてみました。

蔵馬さんがいくつかはっきりしていないから、どれだけ昔のことでも当時から生きていたと仮定して、わんさか書けるから楽しいです(笑)
今度はツタンカーメンでも書いてみようかな♪(昔すぎるって…)