<涙の行き着く先> 2

 

 

……種の保存のため、そのためだけに外界との交流を避け、男児が生まれれば空飛ぶ城から平気で投げ捨てる。
異性どころか例え女性であっても異種族と関わることなく、自分たちだけの城で死ぬまで生きる。

子孫を残す、ただそれだけのために。
死んだ同胞…つまり子孫を残す大儀を行えなくなった同胞は、もはや仲間ではなく、葬式もせずに、早桶にほおりこんで墓標を立てるだけと聞く。
埋葬というよりは処分に近く、誰も墓参りになど来ない。

心まで凍てつかせた女たちの国。
それが『氷河の国』である。

 

 

しかし……そんな連中の中にも変わり者はいる。
それがこの涙を流した女……。

蔵馬が氷河の国を訪れた時、他の氷女たちが自分を怖がり、逃げまどうか泣き散らすかのどちらかだったのに対し、彼女だけは違った。
毅然とした態度で、自分に歩み寄ってきた。
恐怖を感じない馬鹿なのか……そう思ったが、しかしすぐに分かった。

恐怖は間違いなく感じている。
足取りがゆっくりだったことと、僅かに着物の裾から見える足が小刻みに震えていたので理解した。
だが、このまま逃げるのも泣くのもいやだったのだということも……。

 

「何のご用ですか…」

少し震えの入った声で問いかけてきた。
自分が盗賊で氷泪石を盗みに来ただけだと言うと、女は静かに着物の袖口から氷の刃物を取り出した。
こんな小さな刃物で斬りつける気か…そう思うと、思わず嗤ってしまいそうになったが、何とかそれを堪える。
どうせ、氷女の腕ならば、例え刺さる瞬間でも避けられるだろうし、しばらく見ているかと腕組みしていたが……。

 

 

しかし、女の取った行動は蔵馬の予想を裏切り、何と自分の腕を差したのだ。
思わず瞳を見開いた蔵馬だったが、女がなおも刃物を自分の身体へ食い込ませていくので、思わず止めようとした。

だが、蔵馬が止める前に女は動きを止めた。
痛みでそれ以上、刃物を進められなくなってしまったのだろう。
血が雪にしみこみ、赤く染め上げる……。

と、その血色の雪の上に何かが落ちた。
氷泪石。
乳白色で美しい石。
さっきまで大量に見てきたのに……これだけはまるで別の石のように見えた。

あまりに美しすぎたのだ。
同じのはずなのに……何がこの石をそこまで美しくしているのだろうか。

 

呆然として、見つめていた蔵馬だが、女が腕を抑えて痛がったので、慌てて彼女の袖をめくった。
ドクドクと流れ続ける血。
蔵馬が刃物を抜くと、尚更出血が酷くなった。
深く刺したのだろう、骨がむき出しになっている。

「お前、馬鹿か…」

言いながら、蔵馬は髪の毛から薬草を取り出し、女の腕にすり込んだ。
女は痛みに小さく悲鳴をあげたが、やがて痛みがひいてきたので、血に染まった腕を見た。
蔵馬が自分の腰布で血をぬぐうと、傷は綺麗になくなっていた。

「あっ…」
「無茶するんじゃない…子供もいるんだろ」

女の腹を指さして、蔵馬は言った。
気付かれていたのかと、少し赤くなって顔を背ける女。
こういうところは人間も他の妖怪も氷女も大差ないものだなと思いながら、しかし男である蔵馬にはよく分からないことだった。

 

だが……この女から生まれるであろう子は、少しだけ羨ましかった。
蔵馬には母がいない。
もちろん産んだ母はいたはず。
そうでなければ、ここに彼が存在するわけがないだろう。

しかし、育ててくれた覚えはない。
狐は母性本能が強いというから、見捨てられたわけではないかもしれない。
銀狐は珍しいから、狩られたのだろうか……?

どちらにしても、蔵馬には母がいないことに変わりはない。
だから…これから母の愛情を受けて育つであろう子が羨ましかった。
それも他の氷女などではなく、この熱い想いを秘めた母に……。

 

 

「これはもらっていくぞ」

女の流した涙から生まれた氷泪石。
他のものは拾いもせずに置いてきた。
噂に聞いていたほど綺麗には見えなくて……。

だが、これは違った。
予想以上の美しい石。
盗賊として盗むに値するものだった。
売る気はなく、ただずっと眺めていたかった……。

 

「あ、あの…」

立ち去ろうとした蔵馬を女が呼び止めた。
何か文句でもあるのかと思って、顔だけそちらを向けたが、しかし女の顔は氷女とは思えないほどの…笑顔だった。

「あの…ありがとうございます…」
「何故、礼など言う。城を襲った奴に」
「何となく…です」

そう言ってペコンと頭を下げた氷女。
本当に馬鹿だなと思いながら、女が顔を上げる前に蔵馬は飛び去った。
もう二度と此処へくることもないだろう、そう感じながら……。

 

 

 

「なるほどな…」

蔵馬の話が終わって、妖怪は深くため息をついた。
それにどういう意味があったのかは、蔵馬には分からない。
妖怪自身にも分からないだろう。

その後しばらく沈黙が続いた。
相変わらず、蔵馬の中には妖怪に対しての恐怖心がある。
だが、それは一般的な恐怖とは少し違うような気がしてきた。

 

この妖怪を恐れているのは間違いない。
しかし肉体的な怖さでも精神的な怖さでもない。
これだけの傷を負わされた後なのだから、もはや肉体的な恐怖など感じるわけがない。
弱者の死という魔界の掟は、盗賊である以上誰よりも分かっているのだから、精神的な怖さであるわけもない。

では、何なのだろうか?
沈黙の間、ずっと考えてみたが、しかしどれだけ悩んでみても分からない。
もしかすると、この妖怪も同じようなことを感じているのだろうか?
目の前に殺そうとした相手がいるのに、何故か殺せない気分でいると……。

 

ふと妖怪の顔をじっと見つめている自分に気付いた。
特に眺めていたのは、その藍色の瞳……妖怪はずっと氷泪石に視線を落としていて、蔵馬に見られていることには気付いていないらしい。
だから、どれくらい見ていたのかは分からなかった。
ふいに蔵馬がもらした一言で、静寂が打ち破られるまでということしか……。

 

 

「青い方が…似合いそうだな」
「何?」

すっと顔をあげる妖怪。
特に怒りも歓喜も、特に感情はこもっていない。
変なことを言われたと、怪訝にしているだけだった。
蔵馬は淡々と続ける。

「氷女の氷泪石には二種類ある。一つはそれと同じように、普段流す涙から生まれる氷泪石。もう一つは出産と同時に流す涙の氷泪石。それは透明感のある青い石らしい」
「そうか……それが誰に似合うって?」
「お前に」
「俺に?」

蔵馬の発言にしばらくぽかんっとしていた妖怪。
その後、氷泪石に目を落とすと、何やら考えていた。
そしてちらっと蔵馬を見ると、確認するように問いかけた。

「……本当に、似合うと思うのか?」
「嘘をつくならもっとマシな嘘をつく」
「それもそうだな……」

軽く息を吐いてから、妖怪が立ち上がった。
氷泪石をもう一度見つめ、蔵馬に了承を得ることもなく、懐へ突っ込む。
別に蔵馬は何も言わない。
負けた以上、何をされても何を盗られても、当たり前なのだから……。

 

 

氷泪石をしまい込み、少し服のズレを直す妖怪。
それが帰る準備であることは明白で、そしてこれから何をするのかも、蔵馬にはよく分かっていた。
一度消そうとした者を生かしておくのは、後に寝首をかかれることを意味している。
結構長く生きたせいか、それほど人生に後悔はなかったが……それでも恐怖だけは消えていなかった。

妖怪がすっと右腕を蔵馬に向けた。
妖気が指先に込められている。

 

殺られる……。

そう直感した蔵馬だが……。

 

何故か痛みがなかった。
即死だろうか?
それにしては、死んだような感じではないが……。

と、急に身体が軽くなった。
はっとして見下ろすと、両手両足の戒めが全て砕け散っていた。
髪や尾の呪符も吹き飛んでいる。
流石にボロボロの腹はそのままだったが、それでも……。

 

驚きを隠せず、妖怪を見上げる蔵馬。
だが、妖怪は攻撃を外した様子もなく、笑って言った。

「お前、それほど嫌いじゃないな。生かしておいてやる。運がいいな。気分の悪い俺に出会って生きてた奴はお前が初めてだぜ」
「……」
「じゃあな。せいぜい長生きしろよ」

ふっと笑って、立ち去ろうとする妖怪。
その後ろ姿には、やはり恐怖はあったが……幾分おさまっていた。
汗もかかず、普通に見ていられる。
居心地も悪くなかった。

 

だから、つい…呼び止めてしまった。

「おい」
「何だ」

振り返る妖怪。
それでも恐怖は膨れない。
消えたわけではないが……しかし、初めて見た時とは全然違う。
それだけは分かっていた。

「青い石、見つけたら……お前にやる」
「そうか……じゃあ、また会うかもな」
「そうだな……そういえば、名前聞いてなかったな」
「……俺のこと、知らないのか?」

不思議そうに尋ねてくる妖怪。
しかし、蔵馬にはこれといった心当たりはない。
少しすまなさそうに、だがはっきりと言い切った。

「知らないが…」
「……ああ、そうか。人前では滅多に顔見せないから、無理もないか。俺は…」

 

 

 

 

あれから数百年後。
蔵馬は再びあの妖怪と出会った。
言葉を交わすことはなく……しかし、すぐ近くで、お互いの存在を認識していた。
ある一人の男を間に挟んで…。

 

「ねえ、飛影」

魔界統一トーナメント準々決勝。
幽助はまだ寝ていたが、二人は並んで試合を見ていた。
対戦カードは煙鬼vs躯。
前の試合で消耗したのか、躯の方が押され気味のようだった。

「何だ」
「首からさげてるそれ……君の氷泪石って、躯が持っていたんだろ?」
「それがどうした」

服の外に出ていたことに気付き、慌てて隠す飛影。
そんなことをしても遅いというのに……特に相手が蔵馬では。

 

「躯、誰から貰ったって言ってた?」
「貰ったとは言っていなかった。支配国の貢ぎ物の一つにすぎないと言っていただけだ」
「そう…」

それを聞いて、ホッとしたような残念のような…不思議な気分にかられる蔵馬。
そういう風に言ったのならば、彼女はあの時のことを何一つ、飛影に話していないことになる。
彼に言っていないのだから、おそらくは他の誰にも……。

もしかすると覚えてさえいないのだろうか?
いや、それはないだろう。
飛影の氷泪石が絡んでいるのだから、忘れることはないはずである。

 

人間になる少し前。
偶然魔界で見つけた青い氷泪石。
何処かあの時の石に似ていて……あの時の女が零した涙だということは、すぐに分かった。

青い石は高価といわれている。
それもそうだろう。
百年に一度の分裂期にしか手に入らないのだから。
売れば高値になるのは分かっていたが……しかし、蔵馬はあの時の約束を覚えていた。
だから、彼女の元へ持って行ったのは、ごくごく当たり前のことだった……。

 

 

 

氷泪石。
熱い感情を秘めた女の流す涙。

子の手を離れ、後に子の友になる者に拾われ、後に子の想い人の元へ行き、そして子の元へ戻ってきた。
この広い魔界を巡り巡って、持ち主の元へ帰ってくるなど、通常ではあり得ない。
それも多くの者を導き、引き寄せながら……。

 

青い涙。
母の想いを受け継ぐモノ。

それは自分の子だけではなく、母に恵まれなかった全ての子たちへの想いなのかもしれない……。

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

この話は飛影くんが見た目よりもずっと年を取っている…南野秀一さんよりも年上だという設定で書いてみました。
彼の年齢はとりあえず100歳以下ということしか明らかにされていませんから、まあ無理はないかなと…。
でも氷泪石探しに人生の大半費やしたって事は、やっぱり若いんでしょうか?
無くす前より、無くした後の人生の方が長いってことですし…(爆)

とりあえず涙といえば、氷泪石かなと思って。
氷泪石が行き着いた先……飛影くんがなくしてから、躯さんの元へ行くまで、こういう経緯があったりしたらな〜と。
17巻179Pで蔵馬さんが言っていた台詞「生まれてなかったから知らないんだよ、飛影。躯の恐ろしさを」というのが、ずっとひっかかっていて。

躯さんが氷泪石で癒されたのならば、氷泪石が彼女の元へ行くまで…つまり飛影くんが石をなくすまで、ずっと荒れていたってことになるけど、でもそれだと飛影くんが躯さんの噂をほとんど知らないのは不自然なんですよね。
魔界は広いとはいえ、ずっと荒れていたんだったら、あれだけ強いんだから、知らないわけないし。
三竦みとして均衡を保つために抑えていたとしても、だからって伝説状態なのは…。
とすれば、飛影くんが生まれる前に、躯さんは何か心身が落ち着く事件に遭遇したのではないかなと。

後、蔵馬さんがはっきり「躯の恐ろしさを」と言っていたことから、おそらく蔵馬さんは躯さんと会ったことがあるのではないでしょうか?
彼が会ったこともない人を、きっぱり恐ろしいというとは思えないんで…。
しかしこれで本当に恐ろしいという印象残ったでしょうか…?(滝汗)