<Passion>

 

 

とある日曜日のことだった。
その日蔵馬は、特に用事もなかったので、徒然に散歩へ出かけた。

陽射しは強いが、割と風があるため、あまり暑くはない。
といっても、単に蔵馬が暑さにも寒さにも強いだけなのかもしれないが。
しかしあまり人通りが多い場所では、やはり人混みによる熱気や女性軍から注がれる視線による熱射病になりかねない(ほぼ後者が原因と思われる)。

家からはかなり遠いが、人の少なく、ついでに涼しいと思われる山中へと足を伸ばした。
途中までは電車に乗らねばならぬような所……後になって思えば、何故そんなところに行く気になったのか、よく分からない。

もしかすると、あの子が無意識のうちに呼んだのかもしれなかった……。

 

 

 

小さな家がまばらに立ち、低い生け垣が点在する小村。
空き家も多いらしい。
しかし思った通り、人は少なく、いても年配層ばかりなので、視線は滅多に注がれない。
物珍しそうに見ている者は何人かいたが、それでも熱気のこもった目で見られるよりはずっとマシである。

 

……ふいに近くで奇妙な妖気を感じた。
この辺りはまだ田舎だから、小妖怪も住みやすいのかと、何気なく行ってみた。
悪い感じはしない。
良い感じもしないが、それは悪意ではなく、何かに怯えているような怖がっているような……とりあえず蔵馬に対しての気ではなかった。

たどり着いた先。
他の家よりも数段ボロく、空き家としか思えない家。
その裏手にあった、これまたボロボロの生け垣の横に、気を発していたと思われる妖怪がいた。
顔を足の間に埋めて、座り込んでいる。

 

生え際が白く、毛先へ行くほど青くなっている短い髪。
その間から茶色の触覚が3本と、それよりも太い黄色の触覚が5本も生えている。
まとっている服は白いが、何となくボロく見えた。

気配を察したのか、顔を上げる妖怪。
まだ幼さの残る顔立ち。
何処か怯えたような眼……だが蔵馬を恐れているわけではなさそうである。
整っているか整っていないかと言われれば、整っている方だろうが、しかし取り分けて可愛らしいというわけでもなかった。
それに引き替え、蔵馬は整っている以上に美しいのだから、妖怪が驚くのも道理で…、

「(はあ〜…綺麗…)」

心の中で思った言葉だったが、しかし漏らした吐息まではごまかせない。
同時に赤面しているのだから、何を思っているかは聞かずとも分かることで、蔵馬はため息をついて、

「はじめまして。俺は蔵馬」

と、普通に名乗った。
いやきっちりと『俺』の部分を強調させて…。
妖怪が一瞬硬直した後、更に頭を沸騰させた。

どうやら間違いなさそうである。
妖怪でも人間でも『俺』という一人称は男女兼用だが、普通は一方の性の者が使う言葉である。
しかもこういう場合はその性の者が、自分の性別をはっきりさせるために使うのだ。
つまり…この妖怪は、蔵馬のことを『女』だと思っていたのだった……。

 

「す、すいません!」
「何、謝ってるんだ」

言いたいことは分かるが、少し腹が立っていたこともあり、ちゃかす蔵馬。
しかしあまりに妖怪の方はオロオロしまくってしまったため、このくらいにしておくかと、

「君は?」

と、名前を聞いた。
はっとした妖怪は、少しびくびくしながらも、

「…か、順羅(かずら)…」
「順羅か。いい名前だね」

ニコッと笑う蔵馬。
その笑顔を見て、またも赤面する順羅。
蔵馬はその様子を面白そうに見ている。
飛影のようにそっぽを向いて照れるのも可愛いが、こういう真正面から照れるのも可愛いかもしれない。
そんな飛影が聞けば、激怒して八つ当たりに桑原でも蹴飛ばしそうなことを考えながら……。

 

「ところで、順羅。こんなところで何をしているんだい?」
「……」
「君は本来こんな暗いところにいるべきじゃないだろ?」
「……明るいところにいても…しょうがないから」
「しょうがない? どういうことだ?」

まるで子供に話しかけるように、穏やかに優しく問いかける蔵馬。
実際、順羅はまだ雪菜ほどの子供だが、妖怪は外見と実年齢が一致しないのが一般的である。
もちろん蔵馬よりは年下だろうが、しかし子供扱いするような年なのかは定かでない。

だが、子供のように見られていることが分かっていながらも、順羅は機嫌を悪くしたりはしなかった。
ぽそぽそと口の中で呟くように小さな声で、

「あたし…姉さんがいるの。姉さんは…日の当たる場所で、みんなに大切にされて……いつかすごく綺麗になって…誰かのものになれる。でもあたしは……」

途切れ途切れで、ゆっくりとした言葉。
それでも蔵馬は急がせたりも、先を促したりもしない。
順羅が話し終えるまで、何も言わず、黙って彼女を見下ろしていた。

 

「あたしは…綺麗になれない。誰にも……もらってもらえない。分かってるんだ…」
「今でも綺麗だよ、充分」

蔵馬の言葉にハッと顔をあげる順羅。
見上げた蔵馬の瞳は嘘をついていなかった。
僅かに笑みのこめられたそれは、順羅から僅かもそらされることはなく、

「これからもっと綺麗になる。君の姉さんが綺麗になるのは、確かだろうけど、君も綺麗になれるよ。姉さんと同じくらい」
「……本当?」
「ああ」
「でも……もらってはもらえないよ…」

再び気を落とす順羅。
綺麗と言われて嬉しかった。
でも……最終的にもらってもらえなければ、どうしようもない。
それが分かっているからこそ……こんな誰も来ないようなところで、一生を終えようとしていたのだ。
誰にももらわれないのならば、誰にも見られない方がマシというもの。

所詮、自分のような者に居場所などない……。
そう思っていたからこそ、次に耳に入ってきた蔵馬の言葉は信じられないようなものだった。

 

「じゃあ俺がもらおうか?」
「……え?」
「俺でよければもらおうか? というか、もらっていいかな?」

ぽんっと順羅の頭に手を置いて言う蔵馬。
くしゃっと触覚が斜めに倒れたのは、蔵馬が触ったからだけではないだろう。
順羅の顔がますます赤くそまり、それにつられて、身体の力がグラグラと抜けていった。
そうでありながら、口が動いたのは奇跡に近かっただろう。

「……あ、あたしでいいの?」
「ああ」
「あたし……綺麗になれるかどうかも分からない。まして、姉さんみたいに……」
「分かってるよ。でもね、俺は君がいいんだ」
「……」
「君は綺麗だし、これからも綺麗になる。それに俺は君が好きだよ」
「……!!」

『好き』……その言葉が、順羅の頭の中で反響するように鳴り響いた。
そんなこと今まで一度も言われたことがなかった。
姉にはあったが、他の人…ましてこんなに綺麗な男の人に言われるなど、人生で初めて、そして一生起こりえないことだと思っていた。

「ほ、本当!?」
「ああ」
「じゃ、じゃあ……」

顔も身体も全てを焔のように真っ赤にし、四肢を突っ張るようにして立ち上がった。
それでも瞳だけはしっかりと…他の何も写らないくらい蔵馬に向け、そして勢いよく頭を下げ、叫んだ。

 

「も、もらってください…お願いしますっ!」

 

嬉しさと気恥ずかしさと…とにかく色んな気持ちが混同して、まともな言葉を言ったのかどうか、自分でもよく分からなかった。
伝えたかったことが、ちゃんと伝わったかどうか…。
自分がどれだけ今嬉しいか……どれだけ感動に包まれているか……。

それ全てが伝わったとは言えないかも知れない。
だが、蔵馬には分かっていた。
順羅の気持ち……蔵馬に分からないわけがないのだ。
蔵馬なのだから……。

 

 

 

「じゃあ行こうか」
「え、でも……」

すっと差し出された蔵馬の手。
今すぐ取りたいところだが……まだ時期ではない。
しかし今でなければダメだろうか。
もしたった今こなければ、いらないというのならば、今でもいい。
綺麗になれなくても、それでも……。

だが、蔵馬は別のことを考えていたらしい。

 

「ああ、そういう意味じゃないよ。分かってるから、大丈夫。君が綺麗になるまでは待ってる。だけど、姉さんは君が綺麗になる前にもらわれていくんじゃないか?」
「…多分」
「だから先に挨拶しておかないと。大事な妹、もらうわけだから。ね?」
「はいっ!」

蔵馬の気遣いに感謝しながら、順羅は彼の手を取った。
しばらく歩いていくと、日当たりのよいとある庭先に妖怪がいた。
どうやら家の主は留守らしいので、堂々と家の中へ入っていく蔵馬。

妖怪は遠くから見ても、一目でその美しさが分かったが、しかし間近で見ても美しいものだった。
ウェーブのかかった白銀の髪。
それによく似た白いヒラヒラの服は、ウエストの辺りだけが紫色になっており、彼女の細さを強調しているようだった。
順羅と同様、触覚が生えているが、しかし茶色いものはなく、全てが淡い黄色。
流石に蔵馬ほどの美しさではなかったが、それでも順羅と比べると、かなり……。
だが、蔵馬はそのことには一言も触れず(まあ彼の場合、鏡で見慣れているせいかもしれないが)、笑顔で妖怪に話しかけた。

 

「初めまして。貴女がこの子のお姉さんかな?」
「ええ……順羅。この人は?」
「えっと蔵馬さんっていうの。あのね、姉さん。この人、私を……も、もらってくれるって」

かあっと赤くなりながら、答える順羅。
それを見て、妖怪は少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になって、「そうなの」とだけ言った。
そして立ち上がって、蔵馬を見つめると、軽く頭を下げて、

「初めまして。順羅の姉です。そして…ありがとう。ずっと心配だったの。誰にもらわれるのか…」

順羅とは違い、ゆったりとした、しかししっかりとした声で話す女性。
真っ直ぐと蔵馬を見つめる瞳も、大人の雰囲気が流れるもので…。
順羅がこれから登る太陽とすれば、彼女は穏やかに夜空に浮かぶ月のようだった。

彼女の言葉も蔵馬は順羅の時と同じように、一言一句聞き届けていた。
それを見て、安心したように、彼女は言った。

「でも貴方なら……妹を…よろしくお願いします」
「こちらこそ。妹さんをもらいますね」
「ええ……順羅。この人の言うことを聞いて、いい子にしているのよ…」
「うん。今までありがとう…サヨナラ、姉さん……」
「サヨナラ…」

 

 

 

あれから数日後。

「兄さん、兄さん」

南野家のリビングで、新聞を見ながらお茶を飲んでいた蔵馬を、義弟の秀一が呼んだ。

「秀一、何かあったのか?」
「ううん、違うよ。ねえ、また庭に新しい花を植えたでしょ?」

ソファの背もたれから覗き込むように、義兄を見る秀一。
まだ植えてから一時間も経っていないのに……意外と鋭いなと思いながら、立ち上がる蔵馬。
カーテンを開けると、庭が一望出来、最も日当たりの良い場所がすぐ目の前に見えた。

そこには蔵馬がついさっき植えたばかりの新しい花があった。

白い萼と薄桃色の花弁が交互に並んで、まるで花びらがぐるりと輪を作っているように見えた。
中央には先端が青く、中央へ行くほど白くなっている糸状の花冠があり、茶色の雌しべが3本と白い雄しべが5本、時計の針のように並んでいる。
その花が咲いているのと同じ蔓には、小さな硬そうな実が成っている。

一風変わっているが、美しく可愛らしい花。
蔵馬が一目でほしいと思ったのも頷ける……しかし、日の当たるところに咲かなければ、ここまでの美しさは見られなかっただろう。

 

「綺麗だろ?」
「うん、すっごく! ねえ、なんて名前なの?」
「…『時計草』っていうんだ」
「時計草? 時計草ってパッションフルーツのこと?」

この前、家族でレストランへ行った時、デザートに出てきたのを秀一は覚えていた。
丸ごと出たわけではなく、ムースになっていたが……甘酸っぱくて、とても美味しかった。
もしかしたら、家でも作れるのかも。
淡い期待を抱いた秀一だったが、

「品種は同じだけどね。でもこれは食べられないよ」
「ふ〜ん。ちょっとがっかり」

少し肩を落とす秀一。
その瞬間、少し花が傾いた気がした。
風もないのに……ごしごしと目をこすってみたが、やはり動いてなどいない。
しかし、角度は少し違うような……。

頭をひねる秀一。
その肩にとんっと蔵馬の肘が当たった。

 

 

「でも…綺麗だろ」
「そだね。綺麗だから、いいや!」

兄の顔を見上げながら、笑顔で言う秀一。
途端に、花が元の位置までふわりと上がったのだが、残念ながら秀一はそれを見てはいなかった……。

 

 

 

 

〜作者の戯れ言〜

パッションと言われて、初めて思いついたのがパッションフルーツというのは、我ながら食いしんぼだと思います(笑)
あれ酸っぱいけど、おいしいんですよねー♪
パッションの本当の意味は「情熱」や「受難」などで、割と応用のきくタイトルなのですが…。
でも一度思いついたのは、早々消えてくれなくて、結局その方面で進みました(おいおい)

蔵馬さんは植物使いだから、多分草花の声も聞けるんじゃないかなと。
でもそのまんまだと分かりにくいんで、妖怪のパッションフラワーということになりました。

ちなみに順羅(かずら)は時計草の別名である「ボロンカズラ」から取りました。
つぐみに続く、安易な名前第二弾…(第三弾、第四弾と続いたりして…/爆)