翌日。
瑪瑠は魔法界でじっと鏡を見ていた。
「気になるのか?」
「うん……ちゃんとお城へは行けたみたいなんだけど。今頃、どうしてるかなって」
試験は問題なく合格した。
少女の願いは、間違いなく、『心からの願い』であったし、「城へ行きたい」という願いはちゃんと叶ったから。
だが、その後どうなったのかは、魔法界へ戻った瑪瑠には全く分からない。
本当は帰ってくるまで待ちたかったが、人間界へ行けるのは、1日だけ。
12時までに帰らねばならないのは、瑪瑠も少女と同じだった。
「しかし、もう映らないだろう?」
「うん……」
鏡はあくまでも試験のために、レンタルされたもの。
試験が終われば、ただの鏡に戻ってしまう。
これは学校の備品であるから、来年の試験まで、魔力を損なわないよう、封印されてしまうのだった。
今日の夕方までには、担当教諭に返品する予定になっている。
「何故だ?」
「え?」
「何故そこまで気にかける? 昨日会ったばかりだろう?」
「……」
言われていることは分かる。
願いは叶えた。
そして、瑪瑠に告げられた成績からして、彼女は少なくとも昨日幸せを感じていたことは間違いない。
だから『心からの願い』は成就されたはずなのだ。
瑪瑠はやれるだけのことはやった。
魔法だけでなく、己が大切にしていたものを差し出してでも、彼女の願いを叶えた。
そして、彼女は昨日、間違いなく、幸せだった。
……本来ならば、そこで終わるはずなのに。
「……分からない。けど」
「けど?」
「ほっとけないの。あれで終わっちゃダメな気がするの!」
そうだ。
終われないのだ。
理由は分からない。
根拠はない。
確信もない。
強いて言うならば、妖狐としての予感だけ。
まだ終われない。
彼女の願いは、あれだけではない気がしてならないのだ。
いや、問うたところで、おそらく、彼女はあれ以上を望みはしないだろう。
あの時、彼女が願っていたのは、あの言の葉で正しい。
けれど……根本にあるのは、もっと別の…いや、同じだけれど、同じでない。
あの願いの、もっと先にあるような。
そんな気がするのだ。
それを叶えるまで。
終わるわけにはいかない。
「……本当にお前には敵わないな」
「え?」
「行くぞ」
言って、身を翻す蔵馬。
ばさりと黒いマントがはためきを、風が鳴った。
「ど、何処に?」
「……決まっているだろう? お前が行きたがっている所だ」
「! い、一緒に行ってくれるの!?」
驚きを隠せない瑪瑠。
けれど、そこには同時に歓喜の色が湧き上がっていた。
「……まだ見習いで生徒のお前には、許可無しに境界を抜けることは出来ないだろう。俺なら出来る」
「あ、ありがとう!!」
そして訪れた人間界。
蔵馬が一緒にいてくれたおかげで、境界もすんなりと通り抜けることが出来た。
本当ならば、こんなことをすれば、退学もいいところだ。
けれど、それも覚悟の上だった。
あの子の『願い』を叶える……今の瑪瑠には、それが何よりも重要なことに思えた。
それをしないうちには、前には進めない。
例え、そのことで学校にいられなくなったとしても。
再び訪れた小国は、ハロウィンを終えたというのに、昨日よりも活気に溢れていた。
後片付けのために動き回っているからだけではない。
どうやら、あの城の家臣やら何やらが、街や村を訪れているらしい。
しかも、昨日のように年頃の娘らを迎えに来ている…というわけではなさそうである。
「何かあったの?」
見ているよりは…と、手近にいた老人をつかまえて、問いかけてみる瑪瑠。
例の魔女の衣装だったが、昨日が昨日のため、老人は特に気に留めなかったらしい。
「ああ。昨日、城でパーティがあったじゃろう? 王子の婚約者を決めるパーティじゃ」
「うん。知ってるよ」
「あれで、王子が相手を決めたらしいのじゃが……何処の誰だか、分からんらしいのじゃ」
「? どうして?」
「名を問う前に、帰ってしまったらしい。しかも、城の馬車で来たわけではないらしく、国の何処から来たのかも、分からんそうじゃ」
「!」
老人のその言葉だけで、瑪瑠には分かった。
昨日の、あの子。
城の馬車が間に合わず、蔵馬が用意してくれた馬車で向かったのだ。
それに、名を名乗らなかったというのは、継母らに気づかれないようにするためのはず……。
「(間違いない……あの子だ…)…そ、それで?」
「それがのう。どうやら、帰り際、靴を落としていったらしいのじゃ。硝子で出来た珍しいものらしくてな。皮などで出来た靴とは違うから、伸縮もせんじゃろう? ぴったり合うのは、おそらく本人だけじゃ。じゃから、国中の若い娘に試させてまわっているらしい」
「そ、そっか……」
硝子の靴。
これで確定。
王子が選んだのは、間違いなく、昨日の少女である。
あれは、瑪瑠の耳飾りで出来た、特殊な靴。
彼女の足以外には、決してぴたりと合うことはない。
どれほど似通った体型の娘であろうと、絶対にはくことは出来ないだろう。
「でも……じゃあ、何でこんなにドキドキしてるんだろう? あの靴はあの子しかはけないんだから、私はもう何もしなくてもいいはずなのに……」
いずれ彼女の家にも、王子はやってくるだろう。
そして、彼女が靴をはけば、全ては丸くおさまるのである。
なのに……どうして、まだ終わっていないと思ったのだろう。
そして、その感情がまだ消えていないのだろう。
「百聞は一見にしかず……何処か彼方の国の諺だ」
「蔵馬!」
「行ってみるか? 彼女の家に」
「うん!」
少女の家は、ここから王宮とは逆方向。
おそらく、まだ王子の乗った馬車は回ってきてはいないだろう。
家が密集している地帯を挟んで、もう一つ丘を越えた先である。
瑪瑠たちが先回りするには、なんの障害もなかった。
「な、何あれ!?」
けれど……だからこそ、驚いた。
他に誰かが此処へやってきていれば、其処の異常に気づいたかも知れない。
だが、おそらくは朝から誰も訪れてはいなかったのだろう。
いや、魔力がある瑪瑠たちだからこそ、異常に気づいたのかも知れない。
とすれば、もしかすると、此処は普通の人間には何もないように見えたかも知れなかった。
少女の家がある、その一帯。
黒い靄のようなもので、完全に覆われていたのだ……。
「く、蔵馬。あれ、何…」
「……魔力の結界だ」
「結界!?」
驚く瑪瑠の横で、蔵馬は淡々と語る。
「時空をねじ曲げて、この世界から存在を浮かせている。人間には入ることも出ることも出来まい……いや、おそらく、王子らが此処を訪れても、何もないように見えるだろうな」
「そんな!!」
それでは少女は靴をはけない。
王子に会えない。
『願い』を……叶えられない。
「い、一体誰が…こんな酷いこと……」
「……人間の不幸を食い物にしている奴の仕業だろうな」
「あ、悪魔?」
人間の不幸を食らう……学校で習った、『悪魔』という生き物がいると。
相手の『願い』や『思い』が大きければ大きいだけ、叶えられなければ、不幸に出来る。
その悲痛な思いを食らっているのだという……。
「ああ。おかしいとは思っていたがな」
「えっ、どういうこと?」
「……お前の同級生が、『願い』を叶えられなかったと言っていたんだろう? いくら見習いの生徒だろうが、あれくらいは可能のはずだ」
「あっ!!」
そうだ。
何故か、彼女の願いは誰にも叶えられなかった。
それも、昼間ならば、馬車もまだいらない。
衣装を用意する……という、とても単純なことだったのに。
まさか、悪魔に妨害されていたとは。
「え、じゃあどうして私は…出来たの…?」
「俺が近くにいたからだろうな。俺から発せられる魔力が、相殺効果を起こしていたんだろう」
「じゃあ…今は?」
「ヤツに隠す気がないからだ。全力で魔力を使っている……そうだろう?」
すっと蔵馬が見やった先。
丘の頂上……突如、黒い影が現れた。