<邂逅> 2

 

 

 

「? どうしたの?」

瑪瑠が固まっていることを不思議に思ったのか、赤橙の妖狐は首をかしげて問いかけた。
その声に、はっと現実へ引き戻される。

改めて見てみれば、やはり『彼』とは全く似ていない。

年は、「人」でいえば、10代半ばから後半くらいだろうか?
小柄で、どちらか少し迷ったが、多分性別は女……まるっこい狐娘だった。

 

「え、えっと……私…」
「あ。怪我してる」

言われて思い出した。
数日前に追った傷。
すっかり忘れていたが、言われて急に痛みが戻ってきた。

「いたっ…」
「あ、えっと、ちょっと待って。すぐに薬草を……ぎゃん!!」

 

ドンガラガッシャーン!!

 

いきなりの音に、ぎょっとして顔を上げると、瑪瑠の目に映ったのは、幹に沿って作られた棚から転げ落ちた、色々な箱や壺。
…と、その下敷きになっている狐娘。

「だ、大丈夫!?」
「う、うん。平気。よくやってるから……」

ぽりぽりと頭をかきながら、箱の下から出てきた。
苦笑いを浮かべながらも、手にした箱から何やら取り出す。

薬草をすりつぶした塗り薬やら、湿布やら、包帯やら。
次々取り出すと、当たり前のように、瑪瑠の手当を始めた。
手際はあまり良いとは言えなかったが、それでも痛みはすうっとひいていく。

 

「はい。おしまい」
「あ、ありがとう……えっと、聞いてもいい?」
「うん。どうぞ」

狐娘は薬箱と、散らばったその他の箱やら何やらを片付けながら、瑪瑠に返事をした。
その間にも、幾度か箱を散らかすは、中身をぶちまけるは、色々やっていたが……相当、ドジなのだろうか?
(なお、この何百年か後、人間界某所にて、萌えなる言の葉が出現することになるわけだが、彼女は全くそれに該当しない。本当に呆れるほど、からっとした「ドジ」であった…)

 

「えっと…此処は…何処?」
「妖桜樹の中。結界が張ってあるから、あいつらは入って来られないよ」

言われてみれば、耳をすませば、ほんの僅かだが、あの連中の声が聞こえた。
瑪瑠を見失ったことで、どうやら揉めているらしい。

「あの程度の妖気じゃ、絶対に結界は壊せないし、それ以前に多分結界にも気づかない。そのうち、諦めるだろうから、それまでゆっくりしていって」
「う、うん……えっと、もう1ついい?」
「1つでも2つでもいいよ。私が答えられることなら」

狐娘は決して愛想がいいわけではないが、素っ気ないわけではなかった。
箱を全て片付けると、瑪瑠の目の前に、ペタンと座った。
木賊色の大きな瞳で、じっと瑪瑠を見つめる。

 

 

「あ、その前に……助けてくれて、ありがとう」
「え、いいよいいよ。そんなの!」
「でも、本当に助かったから……けど、どうして?」

同じ狐だから…かもしれないと思ったが、しかし後一歩遅かったら、連中はこの結界に侵入していただろう。
彼女は、そのリスクを犯してまで、瑪瑠を招き入れたのだ。

 

「う〜ん、と…何となく、ほっとけなかったっていうのも、あるんだけど……それ」

すっと狐娘が遠慮がちに指さしたのは、瑪瑠の胸元より、少し上。
純白の毛並みの中で、ひときわ輝く、瞳以外の金色。
『彼』がくれた、琥珀の勾玉だった。

 

「これが…どうして?」
「それ、蔵馬さんのでしょう?」
「!!」

思わぬところから、思わぬ名。

先ほどから幾度も脳裏をよぎっていた。
狐娘の姿を見て、驚愕もした。

けれど……今回は、その比ではなかった。
だが、次の言葉には驚きを通り越して、愕然としてしまった。

 

「蔵馬のこと、知ってるの!?」
「うん。だって蔵馬さんは、私の主人だもん」
「えっ!!??」

呆然としてしまう瑪瑠。
さっきから、驚いてばかりだった。
けれど今回の驚きには……先ほどまでにはない感情もあった。

こぼれ落ちた言の葉は、本音であり……愕然とした気持ちでもあった。

 

「く、蔵馬……結婚、してたの……」

「へ?? ……あっ、ち、違う違う!」

今度慌てたのは、狐娘の方だった。

 

「そ、そんな意味じゃないよ! 『雇い主』って意味なだけ!」
「え? …あ、そ、そうなんだ」

心の底からほっとする瑪瑠。
同時に少しばかり早とちりだったと、頬を染めた。

 

「じゃあ、あなたは蔵馬に雇われてるの?」
「うん。随分前に契約してね」

「じゃあ、ここは蔵馬の家?」
「違うよ。此処は、盗品の管理所」
「管理所?」

「蔵馬さんには特定の『家』がないから。盗賊のお仕事して、使うか売り払うまで、誰かに盗られないように、管理して見張っておくのが、私の仕事……といっても、此処にいればいいだけだけど」

結界があるから…と、狐娘はあっさり言った。

 

「……1人で?」
「うん」
「寂しく…ない?」

問うた瑪瑠の瞳には、複雑な色が滲んでいた。
家族を亡くして、もう随分になる。

けれど、未だ「独り」には慣れることはない。
ふとした折り、家族の様などを見ると、涙がにじみそうになる。

魔界では…妖怪の間では、家族がいないのはそう珍しいことではない。
むしろ、両の親が分かっている方が、珍しい。
それは分かっているけれど……。

 

 

「……あんまり、考えたことなかったかな。「気」の強くない動物なら入ってくることあるし。それに」
「それに?」

「何十年か何百年先になるか分からないけど。蔵馬さん、来るから」
「……そっか」

彼女は「帰って来る」とは言わなかった。
ただ、「来るから」と。

ここが彼の還る場所ではない、あくまでもアジトの一つなのだと。
彼女はそう理解した上で、ここを守っているのだ。

いつかは来る。
例え、還る場所ではなくとも。

だから……待っているのだ。
それを己の役目として。

 

 

 

 

それから2人は、とりとめもない話をしていた。

瑪瑠が蔵馬と初めて会った時のこと。
その時に、勾玉をもらったこと。
今はいない家族のこと、白狐の森、盗賊……そして、今までずっと蔵馬を捜していたこと。

 

「そっか……でも、蔵馬さん。次いつ来るか、分からないから……30年前に来たばかりだから、もう何十年かは来ないかも」
「そうなんだ……」

 

そして、狐娘も蔵馬のことを語ってくれた。
盗賊として、どれだけ悪名が高いか。
今までどんなことをしてきたのか。
けれど、心を許した友もいたこと……その彼が目の前で死んでしまったことも。

 

「でも、蔵馬さんは強いんだ。失うことを怖れて、大切なものを見失ったりは、絶対にしない。悲しみを…超えられる人なんだ」
「うん……私もそう思うよ。蔵馬は……本当に強い」

 

心も、魂も。
本当に彼は……強い人だから。

けれど、それだけに惹かれたわけではない。

惹かれた理由全てを言えるわけがない。
理屈を並べることは出来ても、全てを言い表すことなど、到底出来ない。

それくらい……彼には惹かれて止まないものがあるから。

 

だけど。
言葉にはしなかったけれど。

2人とも分かっていた。

お互いの感情が、「同じ」ではないということを。

何処がどう…と、はっきりとは言えないが。
近いけれど、「同じ」ではない。

 

しかし、「同じ」ではないからこそ。
瑪瑠は自分の気持ちを正直に言えたのだと……この時の彼女は気がついていなかった。

 

 

 

「あ」
「どうしたの?」
「連中、遠く離れたよ。もう何も聞こえないから」

言われた通り、耳をすませてみる。
先ほど、僅かに聞こえていたあの男たちの声は、微塵も聞こえなかった。
それどころか、気配すら全く感じられなくなっている。

「行っちゃったのかな?」
「ううん、違うよ。樹が動いたんだ」
「え? どういうこと?」

「この妖桜樹は宝物庫として、蔵馬さんが自分の妖気で育てたもので、普通の樹じゃないから。結界はあるけど、なるべく敵対する盗賊に襲われないように、時々空間を移動してるんだ。だから、さっきの森にはもうないよ」

一層上の山林に移動したみたい…と、彼女は続けた。
気を探ってみれば、確かに外の空気自体が少し変わっているように思えた。

 

「じゃあ、もう出ても大丈夫なのかな」
「うん。近くに強力な妖怪はいそうにないから……」

けれど、それは同時に。
2人の別れを表していた。

 

此処に蔵馬が来るのは、何百年後になるのか分からない。
それまでずっと此処で待つわけにも行かない。

言われずとも分かっていた。
此処に、管理を任された彼女以外が長く滞在することが、この結界自体に影響を与えてしまうということを。

 

 

「また……会えるかな」
「会えるよ、きっと……」

ふっと狐娘は笑った。

「だって、妖狐は長生きする生き物だから……ずっと此処にいるよ、私は」

また来て欲しい。
自分はここから、動くわけにはいかないから。

そう、告げていた。

 

 

 

***

 

 

 

「あ、しまった!!」

妖桜樹を飛び出して、山林を駈けていた瑪瑠だが、突然立ち止まった。

「名前……聞くの、忘れた」

振り返った先に、もうあの樹はない。
きっとまた空間を移動してしまったのだろう。

 

「でも……いっか。また会えるだろうから」

そうしたら、今度こそ聞けばいい。
そして、己の名も名乗ればいい。

だって、きっとまた会えるから。

 

 

 

***

 

 

 

「はあ〜」
「どうした、璃尾狐」

ぼ〜っとして、ため息をついていた所に、いきなり背後から声をかけられ、飛び上がる狐娘。
振り返った先にいたのは、銀髪を靡かせる同じ種族の美青年。

「蔵馬さん!? いつ、来たんですか!?」
「たった今だ」

しれっと言ってのけたが、その人の悪い笑みで、彼女には彼が本当はいつからいたのか、すぐさま分かった。

 

「……何で、会わなかったんですか?」
「何のことだ」
「……言いたくないなら、別にいいですけど」

はあ〜っと、先ほどよりも数倍大きなため息をつく狐娘――璃尾狐。

「ため息つくと、幸せが逃げるぞ」
「…貴方にはあんまり言われたくないですけど」

あまり主に対する態度とは思えないが、蔵馬は気分を害した様子もなかった。

 

 

「……今は…」
「え?」

「今はまだ……会わない方がいい。それだけだ」

「……そうですか」

 

今は…その言葉だけで、璃尾狐には充分だった。

 

 

 

 

 

 

〜後書き〜

リクエストは「蔵馬と璃尾さん…と、瑪瑠ちゃん」でした。
…の割には、蔵馬さんほとんど出てきませんけど(滝汗)

イラストか文章かってことだったので、両方やってみました!(両方下手で申し訳ないですが…)

瑪瑠さんと璃尾狐は、イラストでは何度も描いたことあるけど、文章にするのは今回が初めてです。
……璃尾狐は自分の分身みたいなもんなので、書くの結構照れましたけど。
実際の管理人はもうちょっと言葉遣いも性格も悪いです(おい!!)
そのまんまにすると、あまりにも性格の悪すぎるキャラになりそうだったので、ある程度緩和してみました(笑)

こんなのでよろしければ、受け取ってくださいです。