第0夜 すこし昔の物語
Memory.1 雪真珠
3. なつかしい景色
しん… しん…
音がする。静かな音。
しん… しん…
なんの音?
透明な曲みたい。
「……ん、…」
ふ・と、気付いて身じろぎしつつ、うっすら目を開ける。
「瑪瑠?」
ぼやけまなこに映る麓兄が、瑪瑠の頭を軽くなでてきた。
どうも寝ちゃったらしい瑪瑠は、あぐらをかいて座ってる麓兄の膝の上にいた。まだ寝ぼけてる目をこすりながら、その上で身を起こす。
「…ここ、どこ…?」
「瑪瑠、起きた?」
左隣に座ってる流蘢姉に訊かれて、とりあえず頷く。
「うん…」
周りの景色が、おぼろげ。頭もまだ寝てる。
右隣に座ってる汀兎兄が、肩を叩いてきた。
「瑪瑠、すごいよっ」
「う?」
わからなくて、首を傾げる。
「前を見て」
興奮気味の汀兎兄の声に押されて、その通りに前を見る。
「……わっ」
目の前に広がる景色に、一気に視界が鮮明になった。
ちょっとした丘にうっすらと降り積もった、白い雪。
ところどころに見える、雪化粧しはじめた遠くの木樹。
丁度真上にきた、ひとつの月。
その月が、丘の雪を光らせてた。
きらきら、きらきら。
静かにやさしく。
きらきら、きらきら。
月に照らされて、真珠が光ってるような。
そんな、きれいな景色。
「これが『スノーパール』だよ、瑪瑠」
後ろから紅唖姉の声。
振り向くと、紅唖姉は木によりかかって立ってた。
「…この景色が…?」
「あぁ」
前に広がる景色を見つめたまま、紅唖姉は頷いた。
流蘢姉が微笑んで。
「綺麗でしょう?」
「うんっ!」
間も空けずに瑪瑠は、思いっきり頷いた。
ほんとうに、ほんとうに綺麗で。
今まで知らなかったのが、もったいないくらいに。
人差し指を口にあてて、流蘢姉が秘密を教えてくれるみたいに教えてくれた。
「雪がこうして薄く積もった具合が、月明かりによって真珠みたいに光るの」
「だから、この景色は、降り始めだけの楽しみなんだよ」
麓兄が瑪瑠の前で手を組んで、やさしく言う。
「まさしく、『雪真珠』だろう?」
「うんっ!」
やっぱり、間も空けずに瑪瑠は頷いた。
そんな瑪瑠を嬉しそうに見て、麓兄は言葉を続けた。
「この景色を知ってるのは、あまりいないらしいよ」
「! じゃぁ、瑪瑠たちは運がいいんだねっ!」
うれしくて、声が弾む。
麓兄が笑う。
「そうだな」
実際、運がなければ知らないままだったと思う。運良く唯兄が知ってたから、瑪瑠たちも知ることができたんだと思うから。
それに、なんか秘密ごとみたいに楽しい。
唯兄をはじめ、麓兄、紅唖姉、流蘢姉、汀兎兄、それに瑪瑠の6人だけの秘密みたいで。
なんか、うれしい。
前を見つめたまま、汀兎兄が言う。
「唯さんにこの気持ち、伝えないとね」
「うんっ!」
なにより瑪瑠は、唯兄本人から頼まれてる。この『スノーパール』のお土産話という、頼まれもの。
それからもしばらく、瑪瑠たちはそこにいた。
静かに。
ただ、景色を見てた。
見てたら、嬉しさがなつかしいような感じになっていった。
胸の奥の何処かの泉。
その、何処かわからない泉が、溢れそうになる。
なつかしくて。
切なくて。
泣きそうになる。
なんで、そう感じるんだろう。
わからない。
唯兄も、感じたのかな? 汀兎兄たちも、そう感じてるのかな?
「あぁ」
すっかり積もった切り株の上の雪を落として、唯は座る。
「そうだな。あの景色は、そう感じる」
昨日の雪は陽が昇る頃にはやみ、今日は曇り模様の天気。
瑪瑠は白くなった地面に座って、唯の座る切り株に寄りかかる。
「……なんで、そう感じるのかな…?」
不思議な疑問。
帰り道、汀兎たちも同じ想いをしたと言っていた。訊くと、何でかは判らない、と返ってきた。
雲で白い空を、唯は見上げる。視界の端に木々が映る。
「……遠い記憶、かもな」
「…? 遠い記憶?」
瑪瑠は首を傾げる。
昔の…と言うのなら判るのだが、遠いとはどういう意味なんだろうか?
想い出すかのように、唯は答える。
「こうやって産まれる前の記憶」
遠い、遠い。
「オレたち妖怪や動物・人間……全ての生きものたちは初め、地球(ほし)に生きる自然だったとされてる」
悠か遠い、記憶。
あの景色はもしかしたら、この地球(ほし)の初めの形に近いものかもしれない。だから、なつかしいと感じるんだと思う。
今こうして妖怪として生きてる中、それでも、心の何処かに残ってる記憶。
「……」
瑪瑠も空を見上げる。
(うん)
あの気持ちは、そうかもしれない。
なつかしいのに、忘れてしまった遠い記憶。
吐く息が白い。
「まぁ」
苦笑して唯は、脚に肘を立てて、その手に顎を置く。
「あいつが言ってたことなんだけどな」
「あいつ?」
「そう」
あの景色を教えてくれた、張本人。
月明かりに照らされた雪が、真珠みたいだからといって、『スノーパール』と名前を付けたのもお前だった。
瞳をぱちくりとさせて、瑪瑠は訊く。
「誰、それ」
「すんごい、自分勝手のわがままな一匹狼」
呆れ気味に唯は息を吐く。
今や、とある家業で有名な幼馴染みの性格。
「それじゃ、わかんなーいっ!」
不満一杯に両腕を上げて、瑪瑠は眉間にシワを寄せる。
そんな瑪瑠に、唯は笑うだけ。
気温が下がってきた。空の色が、白から灰色になっていく。今日も夕方から雪が降る感じだ。
風が吹いて、雲が流れていく。
サワ…
瑪瑠と一匹狼のふたりが出逢うのは。
もうすこし、あとの話。
3. なつかしい景色/完